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京王2700系電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
京王2700系電車
新宿付近を走る2715。標識灯設置改造前。
1954年撮影)
基本情報
運用者 京王帝都電鉄
製造所 日本車両製造東京支店[注釈 1]東急車輛製造
製造年 1953年 - 1956年、1962年
製造数 43両
運用開始 1953年3月[1]
運用終了 1981年11月8日
廃車 1981年12月
投入先 京王線
主要諸元
軌間 1,372 mm
電気方式 直流600V → 1,500V
(架空電車線方式)
車両定員 100人
自重 デハ2701‐2704:34.5 t
デハ2705以降:33.5 t
クハ2770形:22.0 t[2]
全長 17,655 mm
車体長 17,000 mm
全幅 2,656 mm
車体幅 2,600 mm
全高 3,550 mm(集電装置なし)
4,020 mm(集電装置あり)
車体高 3,550 mm
床面高さ 1,150 mm
車体 半鋼製
台車 日本車両製造 D-16A、NA-4、NA-4A
東急車輛製造 TS-101、TS-101A、TS-103など
主電動機 東洋電機製造 TDK553/4ーCM
主電動機出力 90kW×4基 / 両(600V時)
→110kW×4基 / 両(1,500V時)
駆動方式 吊り掛け駆動
歯車比 59:21(2.81)
制御方式 抵抗制御
制御装置 東洋電機製造 電動カム軸式ES-556A
制動装置 AMA元空気溜管式空気ブレーキ
備考 寸法などは1次車製造当時の数値[3]
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京王2700系電車(けいおう2700けいでんしゃ)は、1953年昭和28年)に登場した京王帝都電鉄京王線用の通勤形電車

車体に緑色塗装が施されていた[4][注釈 2]ことから、京王部内・部外問わず、「グリーン車」の通称で呼ばれていた車両の一形式であり、日本で初めて高張力鋼を使用した軽量車である。

登場経緯

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1948年(昭和23年)6月に大東急から分離独立して発足した京王帝都電鉄は、京王線の本格的な高速鉄道への脱皮のため設備改良を実施、1950年5月20日より戦前からの14m車による3両編成運転を開始、8月には車幅はやや狭いが車体長を16mとした2600系の導入と段階的に改良を進めた[1]

そして車幅は2600系とほぼ同じであるが、車体長は17メートルに延ばした大型車として、1953年3月に導入[1]したのが本系列である。

車両概説

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本系列は3形式あわせて43両が製造された。

デハ2700形
奇数番号車が新宿方に運転台、偶数番号車が八王子方に運転台のある制御電動車。24両製造。
クハ2770形
奇数番号車が八王子方に運転台、偶数番号車が新宿方に運転台のある制御車。14両製造。
サハ2750形
中間に挟まれる付随車。全て中型車の更新名義となっているが、車体は新製されており、流用されたのは台車だけである。5両製造。

下記に説明する内容は1次車の製造当時を基本とする。2次車以降の変更点は増備途上での変更として記載する。

車体

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前面は2600系の非貫通3枚窓から、非貫通2枚窓の湘南形に変更された。前照灯は窓上中央に1灯大型白熱灯が搭載され、幕板部左右には尾灯が配された。側面は2600系同様1,100 mm幅の片開き3扉だが、横幅1,000 mmの大型側面窓を採用したために窓配置が変更され、先頭車がd1D3D3D2、中間車が2D3D3D2となった。これは京王で5000系まで踏襲されただけでなく、他の関東私鉄でも同様の窓配置の車両が頻出した。それらの車両を総称して趣味者は『関東タイプ』『新関東型』と呼んだが、京王含め本系列をそのはしり[5]と位置付ける向きもある。

当時京王線は軌道施設の許容軸重が10トン以内[6]と、軌道線並みの規格をまだ脱していなかったが、電動車に高張力鋼を採用することで車両軽量化を図り、車体の大型化を実現した[7]。1次車は後述する通り初の試みということで、デハ2701 - 2704は台枠など骨組みのみの採用[8]であったが、デハ2705と2706は車体全体に使用。日本車輛の製造当時の発表によれば、この2両は基本的に材料変更のみで、台車込み4トンの軽量化を達成している[9]

塗装は登場当時の標準色であったダークグリーンに塗られていた[10]

内装

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車内はロングシートで、シート長は運転席側が1,100 mm、ドア間3,300 mm、連結面側2,400 mm。連結面側貫通路は幅800 mmで扉付きとなっている。半鋼製車のため内装はラワン材などが用いられており、側妻や仕切壁はニス塗、天井は白色エナメル仕上げ、床には耐久性・耐水性に優れたアピトン材が、二重張りで用いられている。室内灯は当時標準だった白熱灯で、片側に6個ずつ2列で配置した[11]

主要機器

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2600系同様、架線電圧の1500Vへの昇圧も視野に入れ、主電動機は1500V用であるTDK553/4-CM[注釈 3]を採用、制御器は電動カム軸式ES-556Aを採用した。どちらも東洋電機製で、駆動方式は吊掛駆動である。集電装置はパンタグラフで、デハ2700形の運転台側に装備された。

台車についてはデハ2701 - 2704は流用品のD-16A[注釈 4]を装着、デハ2705、2706は国鉄DT20形台車と軸箱などの基本構造が共通で、台車枠に高張力鋼を使用し、側面に複数の穴が開いている[注釈 5]のが特徴のオールコイルばね台車NAー4を採用。サハはデハ2000系(初代)の更新名義で作られたため、車籍元の使用していた雨宮製作所製の板台枠リベット組み立ての釣り合い梁式台車[注釈 6]を履いていた[13][14]

制動装置(ブレーキ)は、AMA元空気溜管式空気ブレーキが採用されたほか、非常用として手ブレーキを併設した[3][15]

増備途上での変更

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1次車(1953年[注釈 7]製造

デハ2701 - 2706(日本車輌製造東京支店製)、サハ2751 - 2753(東急車輛製造製)の9両。Mc-T-Mcの3両編成を組んで登場。デハ2705と2706の2両には試験的に誘導無線が採用された。誘導無線の実用化は1954年で、京王の導入は阪神電気鉄道と並んで日本で最初の例である。連結器は柴田式自動連結器を採用していた[2]

2次車(1953年[注釈 8]製造)

デハ2707 - 2714(日車製)、デハ2715 - 2720(東急製)の14両。全面的に高抗張力鋼を使用しているほか、側窓まわりが大きく変化し、上段がHゴム支持・下段がアルミ窓枠にHゴムで固定というスタンディー・ウィンドウ(いわゆるバス窓)を採用、補強のため車体の幕板部・窓中央・窓下の3か所に横方向のリブが入った。内装はニス塗を止めてデコラ張に変更[6]したが、床はデハ2713と2715がリノリウム張りになった[6]以外は木製。台車は日車製は1次車で採用されたNA-4の改良型であるNA-4Aを、東急製はNA-4からオイルダンパを取り払ったような構造のウィングばね台車・TS-101を履く[4][6]。連結器は日本製鋼所の密着自動連結器に変更された[6]。なお、このグループの車番表記から、その後長く京王で使われた、独特の角ばった自体が採用されている。

3次車(1954年[注釈 9]製造)

クハ2771 - 2777の7両で全て東急製。2次車と車体上の差は少ないが、横方向に入ったリブが幕板部・窓下の2か所と2次車に比べて1本少ない。また前面下部に急行灯が設置され、これは既存車にも追設された。パンタグラフ台座の準備はされなかったものの、将来の電装化を見越して[18][19]高抗張力鋼で製造されたため、重量はわずか22トン[6]。台車も電動車化できるよう、2次車東急製の改良型であるTS-101Aである[4][20]

4次車(1956年[注釈 10]製造)

デハ2721 - 2724、クハ2778 - 2784の11両で全て東急製。このグループから車体色がより明るいライトグリーンに変更され、側窓はHゴム支持ながら、上段・下段ともに上昇式となった[22]。誘導無線を本格的に装備したほか、低圧電源用として100Vバッテリーを搭載、客室灯が蛍光灯となった[2]。台車はデハがTS-101B、クハは電装化を想定しない付随台車で、1955年にサハ2110形のサハ化改造時に老朽台車交換のため作られた台車(TS-103)と同系統のTS-103A[4]

5次車(1962年[注釈 11]製造)

サハ2754 - 2755の2両で当時碑文谷にあった東横車輛工業製。2010系2次車に準じた全鋼製車体で製造されており、貫通路も2010系に合わせた1,250 mmの広幅で室内もデコラ貼りとなっている。車籍上はサハ2117,2118の更新扱いで、台車は車籍元が1955年に交換していたTS-103[23][24][注釈 12]を流用している。このサハと連結するデハ2707[24]、デハ2708[26]は貫通路を広幅に改造して4両編成を組んだ[27][注釈 13]

主な改造

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台車換装

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1956年から1958年にかけて[注釈 14]デハ2701 - 2704はD-16A台車をクハ2771 - 2773、2776のTS-101A台車と交換し[2][20]、サハ2751 - 2753の雨宮製台車も東急製の新造台車TS-306B[注釈 15][注釈 16]に置き替えられている[23][32]

その後、昇圧改造されたデニ201などへのD-16A供出[注釈 17]や、後述する5070系(1967 - 1968年にかけて5100系へ改番)への電装品・台車流用及びサハ2500・2550形への転用、その後の5000系・5070系向け新造台車に伴う振替に際し、クハや転用されたサハは中型車の廃車発生品である釣り合い梁式台車などを一時装着していたり、デハ2700形でも台車振り替えが行われる[注釈 18]など、各車両間での交換が多数行われた。

2700系として残ったグループの台車は、最終的に日本車輛製のNA-4系と東急車輛製のTS-101及び103系という3種にまとめられ、転用改造が終わった1972年の時点で、

  • デハ2701、2702、クハ2776、2777:TS-101・TS-101A[注釈 19]
  • デハ2703 - 2712:NA-4・NA-4A
  • クハ2772 - 2775、2778 - 2782:TS-103・TS-103A

となっている[4][16][38]。しかしその後もデハ2706が台車をTS-101系に交換[注釈 20]するなど、最末期まで台車交換は続いた。

新宿駅地下化と1500V昇圧に伴う改造

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1963年4月に京王線新宿駅が地下化され、8月には架線電圧が1500Vに昇圧された。2700系に対しては前年1962年の夏から対応工事を実施された[2][41]

  • デハ2700形のパンタグラフを連結面側に移設。旧来のパンタ台は撤去・整形され、ベンチレーターが設けられている。理由は車体外に取り付けている高圧母線を連結面側に移設することと、さらに奇数車(新宿側先頭車)は2600系やデハ2050形と同様に新宿地下駅終端部での過走による火災事故防止のため[42]
  • 不燃化のため、電動車デハ2700形は床を鋼板化・ロンリウム貼りに変更。
  • ヘッドライトを2灯化。デハ2701 - 2710とクハ2771 - 2784はシールドビーム2灯化[43][8][44][45]されたが、デハ2711 - 2724はシールドビーム2灯化された車両[45]と、経費節減のために他の車両から外された大型白熱灯と並べて2灯化されたもの[46][47]と2つの形態に分かれた[注釈 21]
  • 1~3次車について、4次車と同様に誘導無線装備、低圧電源用100Vバッテリー搭載、客室灯の蛍光灯化を実施。なお誘導無線を試験導入していたデハ2705 - サハ2753 - デハ2706の3両はすでにこれらの改造を実施済みであった[48]
  • 昇圧対策にデハ2700形に電圧転換装置を設置。昇圧工事終了後には取り外し、その場所に弱め界磁制御器を取り付けた。この改造で制御器名称はES-556Bとなった。
  • 新宿 - 笹塚間の軌道改良・複線間隔拡大工事完了に伴い側窓の保護棒撤去。

パンタグラフの移設とヘッドライトの2灯化は順次行われたため、パンタグラフ移設前に昇圧を迎えた車両[26][49]や、デハ2712[50]や2719[51]のようにパンタグラフは移設したものの、ヘッドライト1灯のまま昇圧後も営業運転していた車両も存在した。

ブレーキのHSC化

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1967年から京王線は自動列車停止装置(ATS)の設置を開始した。それに伴い車両側の応答速度を上げる目的で、2600系以降のグリーン車もATSが全線で使用されるようになった1969年までに、ブレーキをAMAから電磁直通ブレーキ(HSC)に改造した[52]

サハ2500系への転用改造

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京王は新宿 - 初台間地下化と1500Vへの昇圧、それに伴う車両新造や設備増強などの投資を実施していたため、デハ2011 - 2022・2061 - 2072の編成までのサハは新造費用を抑えるべく、昇圧困難な京王電軌時代からの14m級中形車を電装解除して編成していた。しかし京王社内でスモールマルティー(○に小文字tを入れる。以下ⓣ)と呼称されていたこれらの車両は昭和初期製の車両も多く、車体の狭さや乗り心地にも問題があったため、早期の更新が求められていた。

そこで京王は2000系グループ並みの車体を持つ中間サハ、通称ラージマルティー(○に大文字Tを入れる。以下)合計24両を、昇圧後の1963年から1969年にかけて投入しを代替した。24両のうちサハ2521、2522、2571、2572の4両が新造車で、残り2511 - 2520、2561 - 2570の20両は2700系を改造して充当している。これは下記するように昇圧と同時に登場した5000系の増備計画とも関連し、台車や電装品流用など複雑な動きを伴うものとなった[34]

  • 5000系の増結用2両編成の5070系のうち、1963年から1966年にかけて製造された12編成に2700系から各種機器を流用。
    • デハ5071 - 5082(→デハ5101 - 5112):デハ2713 - 2724を電装解除し、主電動機をはじめとした電装品(電動発電機以外)とパンタグラフを流用。流用する台車はTS-101系に統一している。
    • クハ5771、5772、5774(→クハ5851、5852、5854)[37]もしくはクハ5774 - 5776(→クハ5854 - 5856)[注釈 22]:サハ2751 - 2753のTS-306B台車を流用。
  • 電装解除された元デハや台車を供出したクハ、更にTS-101系台車を履いていた車両の一部は、1500V昇圧で廃車された中型車の発生品[注釈 23]やサハ2650形のTR-11Aなどに台車を交換[注釈 24]
  • 元々中間車であるサハ2750形5両に加え、電装解除された元デハ2700形12両と、クハ2770型のうち3両を2010系のサハに改造し、中型車改造サハを代替。デハ2700形のうち5両はまずは電装解除のみを実施して一旦クハ2770形に編入、後にサハ化されている。
  • 中型車由来の台車のうち京王電軌時代からのものは老朽化が進んでいたため、1966年以降に5070系や向けに空気ばね台車を新造した際に[注釈 25]玉突きで交換して淘汰[注釈 26][23]

先頭車から中間サハへの改造は、湘南形の運転台部分の鋼体を撤去し、台枠いっぱいまで切妻型客室を延長し、両側に広幅貫通路を設けている[注釈 27]。この際車体にリブのあるグループはリブの延長も行われており、旧デハ2700形の改造車の旧パンタ台部分にベンチレーターが増設されていない[56]ことを除けば、サハ2750形の改造車と区別が困難である[注釈 28]

長編成化に伴う中間車化

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他系列への転用が終わった1970年、2010系との6両編成の際に中間に組み込まれるようになった車両のうち、デハ2706以降の偶数番号車と、2700系単独で編成を組む際に中間になっていたデハ2703・デハ2704に対し、中間車化改造が行なわれた。目的は運転台を客室化することで収容人数の増加や、貫通化することで乗客の移動や車掌の車内巡視強化などを図れるため[57]。工事内容は上記の中間サハ改造とほぼ同じであるが、2700系同士の貫通路については広幅化されていない[38]

その他

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乗客数増加による混雑で生じた窓ガラス破損対策として、1957年製の2000系以降で採用が始まった強化ガラス装備のアルミサッシは、2700系を含めた在来車でも採用され、戸袋内窓・反戸袋側下窓・側下窓の順で交換が進められた[58]

軽量化のために高張力鋼で材料の寸法を下げるといった手法[3]で作られた本系列は、2次車から4次車については外板のリブが目立つ特徴だった。しかし薄い外板は傷みが目立ち、さらに京王線の規格向上でそこまで軽量化を追い求める必要がなくなったことから、後年サハ2500,2550に改造された車両も含め、外板が交換された車両は、リブが下段一本だけになるなどの変化が生じている[59]

また京王線の車両規格の拡大が進み、1964年製造の5000系第7編成より台枠上面幅2700mm、1972年(昭和47年)登場の6000系では都営新宿線乗り入れ用定規で台枠上面幅2780mmと、車体幅が順次拡張されたため、2700系もホーム戸の隙間を埋めるステップ幅を順次拡大した。

沿革

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登場から新宿駅地下化前まで

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1次車はMc-T-Mcの3両編成を組んで登場したが、当時京王線は設備改良工事の真っただ中であり、2600系の3両編成同様新宿駅 - 千歳烏山駅の運用で使用された[注釈 29]。登場から半年以上たった1953年12月10日、調布駅が東へ300メートル移転[注釈 30]して、京王多摩川駅に向かう分岐の急曲線上のポイントが廃されたことで、本線の府中駅多摩川支線の京王多摩川駅まで運用できるようになった[31][17]

そのためか2次車はMc-Mcの2両編成で運用を開始したが、沿線人口の増加によりラッシュ時の収容力不足を露呈し、1954年1月25日よりデハ2707 - デハ2708編成以外の2次車12両について、急遽編成をデハ2700形3両(新宿方1両はパンタグラフを下してクハ扱い)[20]に組み直した[17]。同年11月にはクハ2770形が導入されたためこの暫定編成は解消され、2次車はラッシュ時はMc-Mc-Tc、もしくはMc-Tc-Mcの3両、閑散時Mc-TcまたはMc-Mcという2両編成での運用となった[6][10][60]

駅設備の充実、そして沿線人口の急増に応える形で、京王線では1955年10月のダイヤ改正で新宿 - 東八王子間を急行でそれまでより6分短縮した53分で結び、その急行も2700系の3両編成が主力となった。そして4次車が増備された1957年(昭和32年)1月21日のダイヤ改正より、朝夕のラッシュに新宿 - 高幡不動間での急行の4両編成での運用が、さらに2000系導入後の同年末には全線で大型車の4両編成運転が始まった。これに合わせて2700系は2次車以降の編成を組みなおし、おおよそ下記のような編成にまとまった[48]

 
新宿
形式 デハ2700 サハ2750 デハ2700
区分 Mc T Mc
車両番号 2701
2703
2705
2751
2752
2753
2702
2704
2706
 
新宿
形式 デハ2700 デハ2700
区分 Mc Mc
車両番号 2707
2709
2708
2710
 
新宿
形式 デハ2700 クハ2770 クハ2770 デハ2700
区分 Mc Tc Tc Mc
車両番号 2711
2713
2715
2717
2719
2721
2723
2771
2773
2775
2777
2779
2781
2783
2772
2774
2776
2778
2780
2782
2784
2712
2714
2716
2718
2720
2722
2724

デハ2707 - 10は、閑散時に2両編成で運用される以外にも、ラッシュ時に分割して2600系・2700系1次車の3両編成に1両ずつ増結する運用がされた[20][26]。また2700系単独のMc-Tc+Mc-Tcという4両編成は閑散時は2両単独で走行し、さらに分割できることを活かして休日の競馬・競輪ファン輸送に対応した前2両が府中競馬場正門前駅行、後ろ2両が京王多摩川駅行という運用にも就いた[48]

1962年(昭和37年)1月に5次車サハ2両が導入されると、デハ2707と2708がその2両を組み込んで4両編成化され、デハ2705他の3両編成が、サハ2752を組み込んで同じく4連を組んだ[42]

 
新宿
形式 デハ2700 サハ2750 サハ2750 デハ2700
区分 Mc T T Mc
車両番号 2705
2707
2752
2754
2753
2755
2705
2708

優等列車への運用と他系列転用

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1963年(昭和38年)4月1日京王線は新宿駅が18メートル車7両編成対応ホームを備えた地下駅となり、5月2日からは17メートル級車両による5両編成が新宿 - 高幡不動間で走り出した。5両編成を組むために2700系は4月末に2600系を含めて編成を組み替えた[42]。すでにヘッドライトの2灯化改造・パンタグラフ移設工事と同様に、昇圧後の同年8月に新型車5000系の増結車として導入される5070系3編成への機器流用と、の置き換え改造も始まっており、デハ2720、2723、2724が電装解除され、クハ2770形に編入された[注釈 31]

  • デハ2720、2723、2724 → クハ2785 - 2787
1963年4月から8月3日にかけての2700系の一部の編成表[49][42]
車番太字が2700系
下線付のデハ2700形はパンタグラフ未移設車
新宿
形式 デハ2600 サハ2650 デハ2600 デハ2700 クハ2770
区分 Mc T Mc Mc Tc
車両番号 2603 2652 2604 2709 2787
形式 デハ2700 サハ2750 デハ2700 デハ2700 クハ2770
区分 Mc T Mc Mc Tc
車両番号 2703 2752 2704 2719 2779
形式 クハ2770 デハ2700 デハ2700 サハ2750 デハ2700
区分 Tc Mc Mc T Mc
車両番号 2778 2718
[注釈 32]
2701 2751 2702
形式 クハ2770 デハ2700 デハ2600 サハ2650 デハ2600
区分 Tc Mc Mc T Mc
車両番号 2772
2784
2712
2710
2609
2607
2655
2654
2606
2608
形式 デハ2700 サハ2750 サハ2750 デハ2700 デハ2600
区分 Mc T T Mc Mc
車輛番号 2707 2754 2755 2708 2610
形式 デハ2700 クハ2770 クハ2770 デハ2700 デハ2600
区分 Mc Tc Tc Mc Mc
車輛番号 2715 2775 2776 2716 2602
新宿
形式 デハ2600 サハ2650 デハ2600 クハ2770
区分 Mc T Mc Tc
車両番号 2601 2651 2605 2783

続いて8月4日の1500V昇圧に合わせ、デハ2707 - 2711、2714とクハ2777 - 2781、2784の2両編成6本が、2010系のデハ2023 - 2026・2073 - 2076を含む4両編成4本と共に、塗装を5000系と同じアイボリーに臙脂色帯に変更した。これは同年10月1日よりそれまで不定期だった特急の毎日運転を開始するにあたり、5000系だけでは運用を賄えないため、5000系と主電動機の出力程度しか違いのない2010系、そして5070系と同一性能の2700系で運用を補完するためであった[注釈 33]。更にデハ2019 - 2020・2069 - 2070を含む編成についても、組み込んでいるに代替してアイボリー塗装化することとなり、5070系に電装品を供出するデハ2700形のうち2両を中間車化し、もともと2010系2次車に準じた車体のサハ2754 - 2755と共に2010系サハに転用、2両はクハ2770形に編入した。

  • デハ2717、2721 → クハ2788、2790[注釈 34]
  • デハ2715、2716 → サハ2569、2519
  • サハ2754、2755 → サハ2570、2520

これらに加え、ヘッドライトの二灯化やパンタグラフ移設工事などもあって運用から離脱している車両も多かったことから、下記の昇圧直後の暫定編成表のように状況に応じて編成は組み換えが行われた。特にサハ2750形は、サハ2751が一時的に2600系に組み込まれて4両編成を組成し、ほかの4両は編成から外されて休車(予備車)になっていたりもした[46]

1963年8月4日から9月30日にかけての2700系の暫定編成[46]
車番太字は2700系
新宿
形式 デハ2600 サハ2650 デハ2600 デハ2700 クハ2770
区分 Mc T Mc Mc Tc
車両番号 2601
2605
2651
2655
2602
2606
2701
2703
2771
2773
形式 デハ2600 サハ2650 デハ2600 クハ2770 デハ2700
区分 Mc T Mc Tc Mc
車両番号 2603
2607
2653
2657
2604
2608
2772
2774
2702
2704
新宿
形式 デハ2600 サハ2650 サハ2750 デハ2600
区分 Mc T T Mc
車両番号 2609 2655 2751 2610

12月に入ってホームの延長工事が完成し、6両編成の特急が新宿 - 京王八王子間をそれまでの急行より10分も早い40分で走るようになると、2700系も2010系、時には5000系の4連と連結[61]して特急運用についた他、5070系とも連結した4両編成でも運用された[46]。弱め界磁機能がなく車体が重い[62]2600系が支線やローカル運用を中心とする中、元々軽量車でかつ弱め界磁機能追加で高速性能の向上した2700系は、グリーンのまま残っていた車両も2000系や2010系との混結で5両編成・6両編成を組んで本線運用で使用された。

5070系の増備による電装品供出は続き、1964年の秋にはデハ2722が電装解除され、翌1965年3月に就役する5070系3次車[注釈 35]に電装品を供出した。デハ2722は代替のため1964年11月にはサハ2568に改造され[64]、翌1965年の春には貫通路を広幅に改造したサハ2751 - 2753と共に2010系のサハとなった[注釈 36]。これによりサハ2750形は形式消滅した。デハ2700形の数が16両まで減少したのに対し、クハ2770形は編入含めて19両になったため、組む相手のいない3両は、2600系の編成組み換えでねん出したデハ2600形と編成を組むようになった[45]

  • デハ2722 → サハ2568
  • サハ2751 - 2753 → サハ2567、2517、2518
1965年4月の2700系基本編成表[28][67]
車番太字は2700系・2700系改造車
中間サハは区分Tが新造または2700系改造、tは中型車改造サハ(ⓣ)
 
新宿
備考
形式 クハ2770 デハ2700 デハ2010 サハ2550 サハ2500 デハ2060 アイボリー塗装
区分 Tc Mc Mc T T Mc
車両番号 2778
2780
2784
2708
2710
2714
2025
2023
2021
2575
2573
2571
2525
2523
2521
2075
2073
2071
形式 デハ2700 クハ2770 デハ2010 サハ2550 サハ2500 デハ2060
区分 Tc Mc Mc T T Mc
車両番号 2707
2709
2711
2777
2779
2781
2026
2024
2022
2576
2574
2572
2526
2524
2522
2076
2074
2072
形式 クハ2770 デハ2700 デハ2010 サハ2550 サハ2500 デハ2060 グリーン塗装
区分 Tc Mc Mc T T Mc
車輛番号 2782 2712 2017 2567 2517 2067
新宿
備考
形式 デハ2700 クハ2770 デハ2010 サハ2550 デハ2060 グリーン塗装
区分 Mc Tc Mc Mc
車両番号 2705
2713
2719
2775
2783
2787
2011
2013
2015
2551
2553
2555
2061
2063
2065
形式 クハ2770 デハ2700 デハ2010 サハ2550 デハ2060
区分 Tc Mc Mc Mc
車両番号 2776
2788
2706
2718
2012
2014
2552
2554
2062
2064
形式 デハ2700 クハ2770 デハ2000 サハ2500
または
サハ2550
デハ2050
区分 Mc Tc Mc Mc
車輛番号 2701
2703
2771
2773
2001
2003
2562
2510
2051
2053
形式 クハ2770 デハ2700 デハ2000 サハ2500
または
サハ2550
デハ2050
区分 Tc Mc Mc Mc
車輛番号 2772
2774
2702
2704
2002
2004
2512
2509
2051
2053
形式 クハ2770 デハ2600 デハ2000 サハ2550 デハ2050
区分 Tc Mc Mc Mc
車輛番号 2790
2786
2608
2610
2006
2008
2559
2561
2056
2058
形式 デハ2600 クハ2770 デハ2000 サハ2500 デハ2050
区分 Mc Tc Mc Mc
車輛番号 2609 2785 2006 2511 2056

また1965年の夏より、京王はグリーン塗装の色をライトグリーンからより明るいスタンリッドライトグリーン(萌黄色)に変更することを決め、2700系もグリーン塗装の車両について塗り替えが始まった[注釈 37]。この塗り替えに際してデハ2705、2706、2712とクハ2775、2776、2782はアイボリー塗装化され、2010系と6両編成を組み、急行や快速など優等列車をメインに運用された。

また5070系への電装品流用と代替のための転用改造も行われ、1966年の2月から3月にかけてデハ2両と1963年に電装解除されてクハ2770形に編入された2両が、続いて9月にはそれまでアイボリー塗装だったデハ2714を含む2両が改造され、サハ2500形・2550形へ編入された[4]

  • デハ2713、2714、2718、2719 → サハ2514、2564、2565、2566
  • クハ2785、2788[注釈 38] → サハ2516、2515

京王の車両運用政策上の都合[注釈 39]から、デハ2700形のデハ5070形への電装品流用はこの1966年までに製造された12両で終了し、デハ2700形は12両体制になった。また5000系・5070系がこの年の増備車より、高尾線開通に伴う分割特急運用に対応した連結器の変更[70]や、ブレーキ方式の電磁自動空気ブレーキ(ARSE-D)から電磁直通ブレーキ(HSC-DもしくはHSC)への変更を実施したことによって、2700系と5000系・5070系の混結は見られなくなった。

1967年10月の2700系基本編成表[70]
車番太字は2700系・2700系改造車
 
新宿
備考
形式 クハ2770 デハ2700 デハ2010 サハ2550 サハ2500 デハ2060 アイボリー塗装
区分 Tc Mc Mc T T Mc
車両番号 2776
2778
2780
2782
2706
2708
2710
2712
2026
2024
2020
2022
2576
2574
2570
2572
2526
2524
2520
2522
2076
2074
2070
2072
形式 デハ2700 クハ2770 デハ2010 サハ2550 サハ2500 デハ2060
区分 Tc Mc Mc T T Mc
車両番号 2705
2707
2709
2711
2775
2777
2779
2781
2025
2023
2019
2021
2575
2573
2569
2571
2525
2523
2519
2521
2075
2073
2069
2071
形式 クハ2770 デハ2700 デハ2700 クハ2770 クハ2770 デハ2700 グリーン塗装
区分 Tc Mc Mc Tc Tc Mc
車輛番号 2774 2704 2703 2773 2772 2702
形式 デハ2700 クハ2770 デハ2600 サハ2650 サハ2650 デハ2600
区分 Mc Tc Mc T T Mc
車輛番号 2701 2771 2605 2653 2651 2602
形式 デハ2600 クハ2770 デハ2600 サハ2650 クハ2770 デハ2600
区分 Mc Tc Mc T Tc Mc
車輛番号 2609 2787 2607 2654 2784 2604
形式 クハ2770 デハ2600 デハ2600 サハ2650 サハ2650 デハ2600
区分 Tc Mc Mc T T Mc
車輛番号 2786 2610 2603 2652 2655 2606
新宿
備考
形式 デハ2600 クハ2770 クハ2770 デハ2600 グリーン塗装
区分 Mc Tc Tc Mc
車両番号 2601 2783 2790 2608

急行や快速など優等列車をメインに運用されたアイボリー塗装車だったが、5000系の増備が進み、1968年度導入車より冷房を搭載して既存車も改造を開始したこと、同年11月より優等列車の7両運用を始めて同系列の運用に統一されたため、1968年末のデハ2707 - クハ2773を皮切りにグリーン塗装に塗り替えを始めた。これは1971年5月までに完了している[71]。更に6両が残存していたⓣを1968年末に廃車し、2600系と編成していた制御車5両にクハ2771を加えた6両を中間車に改造、1969年1月付でサハ2500形・2550形へ編入して[4]一連の転用が終了した。

  • クハ2771、2783、2784、2786、2787、2790[注釈 38] → サハ2512(2代)、2513、2562(2代)、2561(2代)、2511(2代)、2563

最終的に2700系として残ったのは23両(デハ2701 - 2712、クハ2772 - 2782)となり、デハ2701以外は車号末尾を揃えたMc-Tcの2両編成に整理されたが、すでに京王線の運用は6両編成が主体となっていたことから、翌1970年にデハ2706以降の偶数番号車と、2700系単独で編成を組む際に中間になっていたデハ2703・デハ2704に対し、サハ化改造と同様の手法で中間車化改造が行なわれ、2700系は次のような編成で運用されることとなった[30]

  • 2両+2010系4両で貫通6両編成×4本[注釈 40]
  • 4両×1本:2700系のみの貫通4両編成。京王八王子側に下記の2連クハ2772 - デハ2702[30]、もしくはデハ2008 - デハ2058[72]を連結した6両で運用
  • 2両×5本:2010系4連の八王子側に連結して使用される。デハ2700 - クハ2770が4本・クハ2770 - デハ2770が1本
  • デハ2701:貫通路を閉鎖して2600系3両編成と連結し、高尾線動物園線のローカル運用をメインに使用。
1973年11月8日の2700系基本編成表[30]太字は2700系もしくは2700系改造車
 
新宿
形式 クハ2770 デハ2700 デハ2010 サハ2550 サハ2500 デハ2060
区分 Tc M M T T Mc
車両番号 2776
2778
2780
2782
2706
2708
2710
2712
2012
2024
2020
2026
2562
2574
2570
2576
2512
2524
2520
2526
2062
2074
2070
2076
 
新宿
形式 クハ2770 デハ2700 デハ2700 クハ2770 クハ2770 デハ2700
区分 Tc M M Tc Tc Mc
車輛番号 2774 2704 2703 2773 2772 2702
 
新宿
形式 デハ2010 サハ2550 サハ2500 デハ2060 クハ2770 デハ2700
区分 Mc T T Mc Mc Tc
車輛番号 2011
2023
2025
2021
2561
2573
2575
2571
2511
2523
2525
2521
2061
2073
2075
2071
2705
2707
2709
2711
2775
2777
2779
2761
 
新宿
形式 デハ2700 デハ2600 サハ2650 デハ2600
区分 Mc Mc[注釈 41] T Mc
車両番号 2701 2609 2655 2610

1972年に京王線は20メートル車の6000系が登場し、2700系を含めたグリーン車はほぼ普通列車の運用にのみ使われるようになった。この時期になると編成の組み換えがめったに行われなくなり、2010系の八王子側に連結されていた2700系4本に対しても運転台の撤去・中間車化改造は検討されたものの実施されず、向かい合う運転台の機器一部撤去のみで終了している[76]

終焉

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さよなら運転での2700系(1981年調布駅にて撮影)

6000系の増備で1977年12月1日付で2600系が全廃された際、デハ2609 - サハ2655 - デハ2610と編成していたデハ2701、さらに平日の競馬場支線を単独の2両編成で運用されることが主になっていた[38]クハ2772 - デハ2702が廃車された。続いて1979年11月16日付でクハ2774 - デハ2704 - デハ2703 - クハ2773の4両編成とMc - Tc2両編成のうちデハ2711 - クハ2781以外の3本が廃車となった。

2010系と貫通6両を組んでいる4編成も、1981年2月20日付でクハ2776 - デハ2706、クハ2708 - デハ2778の4両が編成から外され、クハ2781と一緒に廃車された[38]

最後まで残った4両のうち、クハ2782 - デハ2712は編成を組む2010系デハ2026編成との6連で1981年11月8日に京王相模原線調布駅 - 京王多摩センター駅間でさよなら運転を実施。この運転後に4両とも2010系との連結を解除して廃車となった。

1981年11月8日 2700系さよなら運転の編成表
 
形式 クハ2770 デハ2700 デハ2010 サハ2550 サハ2500 デハ2060
区分 Tc M M T T Mc
車両番号 2782 2712 2026 2576 2526 2076

このうち、さよなら運転の先頭車だったクハ2782[注釈 42]は、1990年7月の時点では運転台側の車体半分が藤沢市内の解体業者に物置として転用されていた(現状は不明)他は、後述するデハ2711を除き解体された。

なお本系列の廃車後も、2010系のサハに改造された車両のうち4両が1984年まで残っていた[4][78]。またデハ2713 - 2724がデハ5100形(5101 - 5112)に供出した制御器ES-556Bは、伊予鉄道700系・銚子電鉄3000形となった同グループが2023年現在でも使用している[注釈 43]

デワ220形

[編集]

デハ2711は運用離脱後、若葉台検車区でしばらく保管された後に事業用車に改造され、デワ220形221となった。改造点は下記の通りである[80]

  • 元の連結面側(八王子方)に運転台を設置。乗務員室扉は設けておらず、正面窓下にシールドビーム前照灯・尾灯を2つずつ取り付けている[81]
  • パンタグラフを新設運転台側(八王子方)から既設運転台側(新宿方)に移設し、京王線入線当時の位置に。なお八王子方パンタ台跡にはベンチレーターがない。
  • 外部塗色を灰色に警戒色の黄帯に変更。
  • 台車をNA-4AからTS-101に変更[38][82][注釈 44]

1982年からデニ201と共に深夜の工事用車両の牽引、桜上水工場での入換車などに使われていたが、使用期間は短く1986年3月16日付で廃車・解体されている[78][83]

車歴

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デハ2700形
車号 製造年月 製造所 改造1 改造年月 改造2 改造年月 廃車年月
デハ2701 1953年3月 日本車輛         1977年12月1日
デハ2702         1977年12月1日
デハ2703 M化 1970年3月     1979年11月16日
デハ2704 M化 1970年3月     1979年11月16日
デハ2705         1979年11月16日
デハ2706 M化 1970年3月     1981年2月20日
デハ2707 1953年10月[17]         1979年11月16日
デハ2708 M化 1970年3月     1981年2月20日
デハ2709         1979年11月16日
デハ2710 M化 1970年3月     1981年12月4日
デハ2711 デワ221 1982年1月     1986年3月10日
デハ2712 M化 1970年3月     1981年12月4日
デハ2713 サハ2514 1966年10月     1981年2月20日
デハ2714 サハ2564 1966年10月     1981年2月20日
デハ2715 1953年12月[17] 東急車輛 サハ2569 1964年2月     1981年2月20日
デハ2716 サハ2519 1964年2月     1981年2月20日
デハ2717 クハ2788 1964年2月 サハ2516 1966年6月 1981年2月20日
デハ2718 サハ2565 1966年6月     1981年2月20日
デハ2719 サハ2566 1966年6月     1981年2月20日
デハ2720 クハ2785 1964年2月 サハ2515 1966年6月 1981年2月20日
デハ2721 1956年9月 クハ2790 1964年2月 サハ2563 1969年1月 1984年3月30日
デハ2722 サハ2568 1965年9月     1981年2月20日
デハ2723 クハ2786 1964年2月 サハ2561 1969年1月 1981年12月4日
デハ2724 クハ2787 1964年2月 サハ2511 1969年1月 1981年12月4日
サハ2750形
車号 製造年月 製造所 改造 改造年月 廃車年月
サハ2751 1953年3月 東急車輛 サハ2567 1965年9月 1981年2月20日
サハ2752 サハ2517 1965年9月 1981年2月20日
サハ2753 サハ2518 1965年9月 1981年2月20日
サハ2754 1962年1月 東横車輛 サハ2570 1964年2月 1984年3月16日
サハ2755 サハ2520 1964年2月 1984年3月16日
クハ2770形
車号 製造年月 製造所 改造 改造年月 廃車年月
クハ2771 1954年11月 東急車輛 サハ2512 1969年1月 1981年12月4日
クハ2772     1977年12月1日
クハ2773     1979年11月16日
クハ2774     1979年11月16日
クハ2775     1979年11月16日
クハ2776     1981年2月20日
クハ2777     1979年11月16日
クハ2778 1956年9月     1981年2月20日
クハ2779     1979年11月16日
クハ2780     1981年12月4日
クハ2781     1981年2月20日
クハ2782     1981年12月4日
クハ2783 サハ2513 1969年1月 1984年3月30日
クハ2784 サハ2562 1969年1月 1981年12月4日

参考文献

[編集]

書籍

[編集]
  • 鈴木洋『【RM LIBRARY 146】京王5000系の時代 ファンの目から見た33年』株式会社ネコ・パブリッシング、2011年10月1日。ISBN 978-4-7770-5316-2 
  • 鈴木洋『【RM LIBRARY 163】京王線グリーン車の時代』株式会社ネコ・パブリッシング、2013年3月31日。ISBN 978-4-7770-5339-1 
  • 宮下洋一 編『鉄道車輌ガイド Vol.30 京王帝都のグリーン車』株式会社ネコ・パブリッシング、2019年5月1日。ISBN 978-4-7770-2350-9 

雑誌記事

[編集]
  • 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション9 京王電鉄 1950-60』、鉄道図書刊行会、2005年8月。 
    • p.44-55 飯島正資「私鉄車両めぐり 京王帝都電鉄」※『鉄道ピクトリアル』第45号、第46号より再録
    • p.60-105 京王帝都レールファンクラブ[注釈 45]「私鉄車両めぐり(65) 京王帝都電鉄」※『鉄道ピクトリアル』第171号、第172号、第174号、第176号、第177号より再録
    • p.106-118 京王帝都レールファンクラブ「私鉄車両めぐり(72) 京王帝都電鉄 補遺」※『鉄道ピクトリアル』第197号より再録
    • p.120-123 日本車輛東京支店「高張力鋼を使った京王帝都電鉄2700形電動車」※『電気車の科学』1953年4月号より再録
    • p.144-153 読者短信に見る京王電鉄の記録 1950-1960
  • 合葉博治、猪俣剛「私鉄車両めぐり(97) 京王帝都電鉄」『鉄道ピクトリアル』第278号、電気車研究会、1973年5月、62-72頁。 
  • 合葉博治「京王5000系物語(1)」『鉄道ファン』第268号、交友社、1983年8月、68-74頁。 
  • 益崎興紀「スジをたどる=運転の変遷」『鉄道ピクトリアル』第422号、電気車研究会、1983年9月、32-40頁。 
  • 「京王線70周年・井の頭線50周年-それぞれの時代」『鉄道ピクトリアル』第422号、電気車研究会、1983年9月、41-61頁。 
  • 鉄道ピクトリアル編集部「京王帝都電鉄車両めぐり」『鉄道ピクトリアル』第422号、電気車研究会、1983年9月、121-135頁。 
  • 藤田吾郎「京王帝都の廃車体あれこれ」『鉄道ピクトリアル』第578号、電気車研究会、1993年7月、82-83頁。 
  • 藤田吾郎「京王帝都電鉄形式カタログ」『鉄道ピクトリアル』第578号、電気車研究会、1993年7月、169-192頁。 
  • 高橋孝一郎「京王特集 5000系物語」『鉄道ピクトリアル』第578号、電気車研究会、1993年7月、205-211頁。 
  • 藤田吾郎「【特集】京王電鉄 京王電鉄 主要車歴表(1992年4月現在)」『鉄道ピクトリアル』第578号、電気車研究会、1993年7月、243-257頁。 
  • 永井信弘「名車がんばる・京王5000系」『鉄道ファン』第408号、交友社、1995年4月、14-35頁。 
  • 手塚正雄「2600形 最後の活躍の頃」『鉄道ピクトリアル』第893号、電気車研究会、2014年8月、86-88頁。 
  • 高須清「【特集】京王電鉄 半世紀前の京王線 -軌道から高速鉄道へ変身する10年間-」『鉄道ピクトリアル』第893号、電気車研究会、2014年8月、121-125頁。 
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  • 鈴木洋「京王帝都電鉄 グリーン車を偲ぶ く第3話>湘南顔の新参入!京王線デハ2700形」『とれいん』第531号、エリエイ出版部/プレス・アイゼンバーン、2019年3月、36-41頁。 
  • 鈴木洋「京王帝都電鉄 グリーン車を偲ぶ <第4話>悲運の初カルダン車 京王線2000形」『とれいん』第533号、エリエイ出版部/プレス・アイゼンバーン、2019年3月、18-25頁。 

電子資料

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脚注

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注釈

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  1. ^ (蕨工場→蕨製作所、埼玉県川口市。当時の住所は北足立郡芝村、1971年4月生産終了)。
  2. ^ 後述するように、当系列には一時違う車体色になった車両も存在する。
  3. ^ 端子電圧750V時出力110kW。架線電圧が600Vでは90kW級のモーターとなる。
  4. ^ 営団地下鉄1000系の旧台車であるD-18を、日車が1372mm用に改造したものとされる[6][12]
  5. ^ 穴は重量軽減と点検穴を兼ねるものとして設けられた。加えて高張力鋼製にすることで鋳鋼製に対して2トン軽量化している[11]
  6. ^ 京王社内名称はH-1、あるいはA-1。
  7. ^ 入線は京王の年表では1953年3月[1]。製造月は資料によって2月[4][2]と3月[16]説があり。
  8. ^ 製造月は資料によって10月[4][2]と12月[16]説があるが、前者が日車製、後者が東急製の製造月とされる[17]
  9. ^ 京王帝都レールファンクラブ(1965)は2次車と同時に製造としているが[2]、当記事の参考としたその他の資料はすべて1954年導入としている。また1954年11月5日に、東急車両から京王に向けて搬出されるクハ2772の写真が、鉄道ピクトリアル42号(1955年1月号)に掲載されている[18]
  10. ^ 製造月は9月[4][2][16][21]
  11. ^ 製造月は資料によって1月[4][2]と2月[16][21]説があり。
  12. ^ 宮下(2019)は車歴表で台車を「TS-306」と記載している[4]。しかし京王帝都レールファンクラブ(1967)の「オールコイルバネ台車 新製当初の状況」[23]でサハ2750形以外にTS-306系台車を履いていた車両はサハ2201(→1959年にサハ2110に改番)、2111(→1961年にサハ2531に改造)の2両のみで、どちらもサハ2754 - 2755の就役時点で現役である。特に後者(サハ2531)は、1963年4月に桜上水でTS-306系台車を履いた状態で入替中の写真が撮影されている[25]
  13. ^ 京王帝都レールファンクラブは、1965年の記事ではクハ2777と2778もサハ入線時に貫通路を改造されたと記載し[2]、編成表にも反映している[28]が、1967年の記事に掲載された編成表ではクハ - デハ間の貫通路を狭幅と記載[29]している。合葉・猪俣(1973)掲載の1973年11月の編成表でも、同様に貫通路は狭幅となっている[30]。クハの2両の貫通路が改造された実績があるのか、デハの貫通路がいつ復元されたかについては本記事の参考資料には記載がない。
  14. ^ デハ2701 - サハ2751 - デハ2702は1957年9月の走行写真で、デハもサハも台車交換が行われていることがわかる[31]
  15. ^ TS-103[22]と外見はかなり似ているが、台車枠に設けられた穴が少ない。更に台車ブレーキ化されており、外見上台車枠にブレーキシリンダーが装着されている点が特徴[32][33]
  16. ^ TS-306系台車はサハ2750形向けに作られた3両分と、中型車向けに作られた2両分が存在する[23]。後者は中型車に使われていた時期には台車ブレーキシリンダーがなかった[25]が、合葉(博)(1983)が流用先としているクハ5771[34]、5772[33]の写真、永井(1995)が流用先としているクハ5775、5776の写真[35]のいずれも、台車にブレーキシリンダーが付加されているのが確認できる。なお本記事では京王帝都レールファンクラブ(1967)永井(1995)鈴木(2013)に倣い、中型車向けを「TS-306A」・サハ2750形向けを「TS-306B」とする。
  17. ^ 京王線中型車の電装品は1500V昇圧が困難なため、継続使用されることになったデニ201などの貨車とデハ220形は、1500Vの井の頭線デハ1560形デハ1711デハ1760形などから電装品を流用した。その際、主電動機(日立製作所HS-267D)の寸法に適した台車であるD-16Aが必要になった。
  18. ^ 例えば1966年にはデハ2703、2704がデハ2713、2714の化に際して、TS-101A台車からNA-4Aに交換を実施している[36]。また宮下(2019)P.51では、1967年にNA-4A、1968年には再びTS-101系を装着しているデハ2701の写真が掲載されている[8]
  19. ^ 永井(1995)はTS-101Aは7両分すべてが5070系に流用され、井の頭線からの転用車に使われているとしている[37]ため、TS-101もしくはTS-101Bであるということになるが、合葉・猪俣(1973)鈴木(2013)の記載に従う。
  20. ^ 1979年に代田橋駅で撮影された写真[39]、引退直前の1980年に百草園付近を走行する写真[40]で、台車枠に穴がない・オイルダンパがないという特徴を持つTS-101系を履いていることがわかる。
  21. ^ 京王帝都レールファンクラブ(1965)[28]及び宮下(2019)[45]によれば、1965年4月時点で2700系に属していた車両のうち、デハ2711 - 2714、2718、2719,2722、クハ2790が白熱灯2灯だった。
  22. ^ 5000系登場当時、京王の車両課に在職していた合葉博治[53]は、『鉄道ファン』1983年8月号への寄稿で、クハ5771と5772の台車はサハ2201(→1959年にサハ2110に改番)、2111(→1961年にサハ2531に改造)の台車(TS-306A)を改造して流用したと説明している[54]。永井も鈴木(2013)[55]も、クハ5771 - 5776のうちクハ5773以外の5両にTS-306系台車が流用されているとしており、合葉の説明通りであれば残り3両のTS-306系台車がサハ2751 - 2753よりの流用と判断される。
  23. ^ デハ2125形デハ2150形などに由来する雨宮製作所製A-2、川崎車輛製K-1、デハ2400形に由来する日本車輛製D-14などに加え、サハ2110形が1955年以降に老朽台車更新で装着したTS-103も含む。
  24. ^ 新造された4両も同様に台車はTR-11やTS-103などを流用しており、1966年以降に玉突きで交換している。
  25. ^ 2700系改造サハには、新造グループと同様に新造台車に履き替えた車両もある。
  26. ^ この際2700系由来の台車の一部は流用元に戻された。ただしデハ5075 - 5082から発生したTS-101系台車は、1967年に井の頭線から転用されたデハ1400形、デハ1800形などに装着された[55][37]
  27. ^ サハへの改造と同じ手法で1970年に中間車化改造されたデハ2710について、鈴木(2013)は桜上水工場で改造中の写真を掲載している[38]
  28. ^ 2700系とほぼ同時期に登場し、前面湘南型で主電動機にも共通性がある京急600形(初代)→400形440グループ、470グループも、長編成化に際して同様の改造が実施されたが、京急は中間車改造時に台枠先端を切除したために旧運転台側が明瞭である。
  29. ^ 1954年の時点で八幡山駅はホームの延長工事中だったため、2600系と2700系の3両編成は各駅停車でも「八幡山駅通過」の標識を出して通過していた。
  30. ^ 2012年に地下化されるまでの位置。なお地下駅はそのまま直下に作られているので同じ位置にある。
  31. ^ 電装品はデハ5071 - 5073へ流用された。台車については3両ともTS-101B、2次車のデハ5074がTS-101で落成しており[37][55]、デハ2720(TS-101装備の2次車)と続いて電装解除されたデハ2721(TS-101B装備の4次車)との間で振り替え、もしくは流用順が変わったものと考えられる。
  32. ^ 鈴木(2013)の編成表ではこの車両も2708と書かれている[42]。同じ表でクハ2779がデハ2719と組んでいることや、宮下(2019)の編成表[26]からデハ2718の誤植と判断した。
  33. ^ 5000系と2010系はカルダン駆動、5070系と2700系は吊掛駆動だが、京王では駆動方式にかかわらず連結器・ブレーキシステム(ただし吊掛駆動車は電気制動なし)を統一して普通に混結できるようにしていた。これは1989年(平成元年)3月に、2700系から電装品を流用した5100系吊掛駆動車が淘汰されるまで続いた。
  34. ^ 「クハ2770形」を名乗った車輛は新造車14両・改造車5両存在するが、クハ2790は唯一ヘッドライトの2灯化が白熱灯で行われた車両である[2][45]
  35. ^ この増備で5000系と5070系は各8編成となり、新宿 - 京王八王子間の特急列車は5000系だけで運用できるようになった[63]
  36. ^ 4両の改造年月日は1965年9月[4][65]となっているが、既に同年5月に編成に組み込まれている姿が目撃されている[66]
  37. ^ 鈴木(2013)はデハ2713 - クハ2783が最初に塗り替えられた[65]としているが、当時の読者投稿[68]ではデハ2703 - クハ2773となっている。
  38. ^ a b 太字は電装解除された元デハ2700形。
  39. ^ 5070系を電装品流用車とした背景の一つが、5000系のシステムそのままで1M1Tの2両編成とする場合、MM'ユニットを解放して使用するM車は電気制動が使えないなど制約が生じて不便というものがあったが[69]、この時点で優等列車の7連化(1968年11月1日より実施)と新造する5070系のMc-M-Tcの3両編成化を計画していたこと、(t)の置き換えが進んで(T)転用のための電装解除が発生しないこと、そして特急車として5000系と同じ足回りにする、などの理由。
  40. ^ 2700系と連結する側のデハ2010形4両が、同様に完全な中間電動車に改造された。
  41. ^ T車代用になっていた[73]ため、パンタグラフは降下した状態で走行していた[74][75]
  42. ^ 藤田吾郎は車歴表でクハ2781としている[77][78]が誤植である。藤田自身が現地で「2782」と番号の確認できる写真を撮影している[79]
  43. ^ 1,067 mm軌間の伊予鉄道に譲渡されたため、台車と主電動機は東武2000系小田急2220系に由来するものに交換され、駆動方式はカルダン駆動に変更されている。
  44. ^ 営業運転離脱直後のデハ2711の写真[82]では、NA-4系の特徴である台車枠側面に複数の穴が開いている台車を装着しているが、デワ221改造後の台車はそのような穴がない。
  45. ^ 1965年当時、京王帝都電鉄の社員だった家里伸夫・道村博・中本雅博・永井信弘・合葉博治・出崎宏・高橋孝一郎・神村信夫の8名[84]

出典

[編集]
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  73. ^ 『鉄道ピクトリアル』893号(2019年8月号)手塚正雄「2600形 最後の活躍の頃」 p.87
  74. ^ 宮下洋一編『鉄道車輌ガイド Vol.30 京王帝都のグリーン車』(2019) p.46
  75. ^ 鈴木洋『【RM LIBRARY 163】京王線グリーン車の時代 p.22
  76. ^ 鈴木洋『【RM LIBRARY 163】京王線グリーン車の時代 p.44
  77. ^ 『鉄道ピクトリアル』578号(1993年7月号)藤田吾郎「京王電鉄 主要車歴表(1992年4月)」 p.247
  78. ^ a b c 『鉄道ピクトリアル』893号(2019年8月号)藤田吾郎「京王電鉄 主要車歴表(2012年度末)」 p.262-284
  79. ^ 『鉄道ピクトリアル』578号(1993年7月号)藤田吾郎「京王帝都の廃車体あれこれ」p.83
  80. ^ 『鉄道ピクトリアル』422号(1983年9月号)鉄道ピクトリアル編集部「京王帝都電鉄車両めぐり」 p.128
  81. ^ 鈴木洋『【RM LIBRARY 163】京王線グリーン車の時代 p.26
  82. ^ a b 『鉄道ピクトリアル』578号(1993年7月号)藤田吾郎「京王帝都電鉄形式カタログ」p.180
  83. ^ 宮下洋一編『鉄道車輌ガイド Vol.30 京王帝都のグリーン車』(2019) p.107
  84. ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション9 京王電鉄1950-60』 「読者短信に見る京王電鉄の記録」 p.104

関連項目

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