中御門経恭
表示
中御門 経恭 なかのみかど つねやす | |
---|---|
中御門経恭 | |
生年月日 | 1888年10月6日 |
出生地 | 東京府(現:東京都) |
没年月日 | 1954年2月28日(65歳没) |
出身校 | 京都帝国大学理工科大学化学科 |
親族 | 弟・中御門経民 |
中御門 経恭(なかのみかど つねやす、1888年(明治21年)10月6日 - 1954年(昭和29年)2月28日[1])は、日本の政治家、華族。貴族院侯爵議員。
経歴
[編集]男爵・中御門経隆の二男として生まれる[1][2]。1898年12月、中御門侯爵家は当主・経明の死後、男子の相続人が無く娘の萬千子が継承したため爵位を返上[1]。そのため、1899年10月に経恭が従姉妹・萬千子の養子となり家督を相続し、同年10月20日、特旨により侯爵を叙爵した[1][3]。1913年10月5日、満25歳に達し貴族院侯爵議員に就任し[4]、火曜会に属して1947年5月2日の貴族院廃止まで在任した[5]。
1914年、京都帝国大学理工科大学化学科を卒業[2][5]。1917年、式部官に就任。以後、小運送制度調査会委員、鉄道会議議員、貴族院仮議長などを務めた[5]。
栄典
[編集]- 位階
- 勲章等
親族
[編集]- 妻 中御門慶子(のりこ、三井高棟長女)[1]
- 弟 中御門経民(貴族院男爵議員)[2]
- 三女・中御門理子 - 旧挙母藩主・内藤家の内藤政恒の妻。二男の内藤政茂は柳原承光(松平忠寿二男)の娘婿となり柳原従光と改名。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
日本の爵位 | ||
---|---|---|
先代 再叙爵 (中御門経明) |
侯爵 中御門家第2代 1899年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |