ヤコブ・クワッケルナック
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ヤコブ・クワッケルナック(Jacob Quaeckernaeck、? - 1606年9月21日)は、オランダ人航海士、リーフデ号の船長。
始めは専任の航海士だったが、探検の途上、南米のモチャ島(チリ沖)で前任の船長シモン・デ・コルデスがインディオに殺害されたために船長となり、太平洋横断を指揮する。船が1600年に日本の豊後国(現・大分県)に漂着した後は徳川家康に仕えた。
1605年には家康からオランダ総督マウリッツに宛てた親書を携え、リーフデ号の乗員メルヒオール・ファン・サントフォールトと共にオランダ東インド会社の交易拠点であるパタニ(マレー半島)へと航海する。クワッケルナックはさらに帰国の途に就いたものの、マラッカ海峡でポルトガル人に殺害された[1]。
脚注
[編集]- ^ 森良和 (2013年11月28日). “リーフデ号のそれから”. 玉川大学. 2018年8月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月5日閲覧。