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メフディ・マハダヴィキア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
メフディ・マハダヴィキア
名前
ラテン文字 Mehdi MAHDAVIKIA
ペルシア語 مهدی مهدوی‌کیا
基本情報
国籍 イランの旗 イラン
生年月日 (1977-07-24) 1977年7月24日(47歳)
出身地 テヘラン
身長 172cm
体重 72kg
選手情報
ポジション DFMFFW (RSB、RSH、RWG)
利き足 右足
ユース
1991-1995 イランの旗 バンク・メッリ英語版
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1995-1999 イランの旗 ペルセポリス 54 (18)
1998-1999 ドイツの旗 ボーフム (loan) 12 (3)
1999-2007 ドイツの旗 ハンブルガー 208 (26)
2007-2010 ドイツの旗 フランクフルト 32 (0)
2010-2011 イランの旗 スティール・アジン 34 (4)
2011-2012 イランの旗 ダーマーシュ 14 (0)
2012-2013 イランの旗 ペルセポリス 27 (3)
1995-2013 通算 381 (54)
代表歴2
1994 イランの旗 イラン U-20 2 (0)
1994-1999 イランの旗 イラン U-23 12 (2)
1996-2009[1] イランの旗 イラン 111 (13)
監督歴
2015- ドイツの旗 ハンブルガー U-17 (コーチ)
1. 国内リーグ戦に限る。2015年8月10日現在。
2. 2015年8月10日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

メフディ・マハダヴィキア(メフディー・マフダヴィーキヤー; ペルシア語: مهدی مهدوی‌کیا、Mehdī Mahdavī-kiyā、1977年7月24日 -)は、イランテヘラン出身の元同国代表サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはMF。主に右サイドを主戦場とし、高い突破力とクロスを持ち味とする。

経歴

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クラブ

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1997年アジア年間最優秀ユース選手賞に選出されたのをきっかけに翌年、イランのピルジィからドイツVfLボーフムに移籍。その年にチームは降格してしまったが、活躍を認められてハンブルガーSVに移籍した。2002-2003シーズンにはブンデスリーガのアシスト王に輝き、2003年アジア最優秀選手に選ばれた。2006-2007シーズン終了後、長らく在籍したハンブルガーSVから退団し、アイントラハト・フランクフルトへ移籍した。2010年1月、母国のスティール・アジンFCに移籍し、約11年ぶりに母国リーグ復帰を果たす。2011-12シーズンはSCダーマーシュでプレー。2012年に古巣であるペルセポリスに復帰した。2013年3月、現役を引退することを表明した[2]

代表

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2009年6月、ワールドカップ予選の韓国戦で緑色のリストバンドをつけて試合に出場したため、代表からの無期出場停止処分を受けた。緑色はイラン大統領選挙で敗れた改革派(当選したアフマディネジャドの保守派による不正があったと主張している)のシンボルカラーであり、改革派を支持していると受け止められたようだが、政府当局から強要や圧力があったかどうかは不明である。なお、マハダヴィキアのほかにアリ・カリミら3選手が処分された。[3]

指導者

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2015年6月、ハンブルガーSVの17歳以下部門のオフェンス・コーチに就任した[4]

タイトル

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クラブ

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ペルセポリス
ハンブルガー

代表

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イラン

脚注

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  1. ^ “Mehdi Mahdavikia - Century of International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation. http://www.rsssf.com/miscellaneous/mahdavikia-intl.html 
  2. ^ Persepolis captain Mahdavikia retires from football”. The Iran Project (2013年3月16日). 2015年8月10日閲覧。
  3. ^ スポーツ報知 (2009年6月26日). “イランのサッカー代表4人追放…W杯予選で改革派支持リストバンド”. 2009年6月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年7月7日閲覧。
  4. ^ Jugend-Coach: Christian Rahn wird wieder Rothose”. Hamburger Morgenpost (2015年6月24日). 2015年8月10日閲覧。