ノート:性的指向
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言葉の問題
[編集]嗜好の問題に差別云々の言葉を使うのは辞めましょう。話の意味がつたわらなくなります。 性的指向と性的嗜好を固定した物か否かで分けるという記事らしいので、それはちょっと違うのではないかとおもいます。 脳障害だのなんだのは意味がありません。人間以外の動物からみれば、人間の性は著しく異常でしょう。其の中で、お前のは異常だ!とか罵り合うことに意味はありません。性的な事柄について、異常か正常かの区分は無く、あるのは時の権力者により押し付けられる合法・非合法の線引きだけです。
- そうですね。嗜好との違いの話題を持ち込んだのは私ですが、ここまで区別して、ともすれば「共に石を投げる側に回る」とも解釈され兼ねないやりかたには反対です。あくまでも、DSMにおける記述の差異という事実に言及する程度に収め、むしろDSM的峻別に反対する立場をきちんと説明することが必要です。
- もしかしたら、6a3.339.54さんが指摘するように、そのあたりの微妙な問題を扱って異なる立場を尊重するには、記事の分割ということそれ自体の暴力性が無視できなくなってくるのかもしれません。皆様の御意見を伺いたく思います。Yugui 2006年7月6日 (木) 03:08 (UTC)
性的指向と性的嗜好
[編集]性的指向と性的嗜好と、どこが明瞭な区別の規準か、明らかにして戴きたく思います。日本語では何故か、区別するようで、対応的に、カテゴリ設定でも二つカテゴリを造りましたが(Category:性的指向とCategory:性的嗜好)、カテゴリで外国版との対応を調べると、フランス語版、ドイツ語版では区別していません。また英語版での記事「en:Sexual orientation」でも、二つを区別していません。というか、主要なオリエンテーションが同性愛・異性愛・両性愛などで、それ以外にオリエンテーションがあるという記述です。それ以外のオリエンテーションが「性的嗜好」に対応します。
本文の記述で見ると、「先天的な性愛の対象決定が性的指向」で、「後天的な性的な好みのありようが性的嗜好」というようにしていますが、これには疑問があります。とりあえず、まず分かっているらしいことから記すと、性愛の相手が男性か女性かという「選択」は、大脳にその「指向性」を決定する部分がどうもあるようで、このことからすると、異性愛か同性愛かというのは、ある程度「先天的」と云える。しかし、ある程度であって、この大脳の対象指向選択は、これが決定的であるとはどうも云えないようで、別の要因が関係しているようだというのがあります。「ようだ」というのはノートなので書いているのですが。
性的嗜好は「好み」だから後天的に選択できるというのは、「嗜好」という言葉を当て嵌めたからで、本来、オリエンテーションのなかに、「性的嗜好」とされる色々な類型が含まれています。また、性的嗜好のある種の類型は、先天的な大脳における指向選択の可能性があります。異性愛とか同性愛について、先天的な決定があるようで、同時に別の要因があるのと平行に、性的嗜好のある種の類型では、後天的な選択・好みがあると同時に、先天的な指向決定があるように思えるということです。これが本当だとすると、現在の記事の記述は間違っていることになります。というか、「性的嗜好」を「個人の意志で自由になる好み」だと考えたので、こういう結果になったので、結局、嗜好だから好みで、好みだから後天的な選択だという話で、訳語で「嗜好」を選んだので、後天的だと云っているようにしか思えません。
先天的とか後天的という区別で、性的指向と性的嗜好を分けるのがおかしいというか、何を根拠にそういう分け方をしているのか不明だというのがあります。これらについて、どのようにお考えになられるでしょうか。--Maris stella 2006年8月8日 (火) 19:52 (UTC)
この分野は不明な点が多く完全なことは医者でもいえません。しかし、当事者の症例からある程度の体系化や有力説が見られ、それらを参考に記述しています。 性的嗜好の中にも若干の先天要素が含まれているものがある説は有力です。(そのため完全に先天・後天という言葉で区別した記述は8月8日時点の現行版で既に使用しておらず、嗜好は「半意識的に形成」としました。性的指向は嗜好とは別の根本的性質を示しており、この違いを強調するための記述でした。しかし性的嗜好のグレーゾーンを考慮し今回それも削除いたしました。またオリエンテーションにあたる語についてご指摘どおり間違いの可能性があるためこちらも削除いたしました。--125.0.34.72 2006年8月9日 (水) 16:30 (UTC)
生まれながらに決定されているかどうかは定義化されていません。形成時期ははっきりわかっていません。自ら決定できる可能性について、これまでの研究を見ても性的指向を自分でコントロールすることは難しいと考えられます。性的指向を自分でコントロールできるのであれば、脳の研究が行われることや、同性愛の位置づけなどが医学界や国連で議論される事態には至らないと考えます。また、現にわたしたちが性的指向を簡単に変えられないという事実にも基づいています。
それを嫌うかどうかは感情論になります。性的指向のような、人の全体の性傾向を意味する言葉を定義化するときには感情が問題ではなく、問題は事実だけです。ですから、「嫌いという理由で別の用語を代わりに用いること」を定義上の説明に置くことはふさわしくないと考えます。用語自体も代わりに用いることを汎用とするのではなく、即した意味で本質的に使われることが望ましいと思います。以上の理由で追加されました文章を割合させていただきました。--121.94.26.117 2007年5月16日 (水) 13:57 (UTC)
以下、投稿については、性的指向の定義を理解されているとは思えない批判と読み取れたことから、一旦、性的指向について理解を求めます。
【「性的指向」概念への批判および「性的嗜好」との関係 】
性別以外の性欲に関係する好みを表す性的嗜好とは別であるが、似た語彙で同音であるため混同されることが多い。また、しばしば「性的志向」という表記は誤りであると説明されることがある。 しかし「『嗜好』『志向』という言葉の否定は、正しい同性愛者と間違った同性愛者、正しい性行為と間違った性行為という区別をつくることによって、新たな排除を生むことになる」と批判されている。さらに性的指向という概念は、性的対象の性別を特権的に重要視する概念であるため、「この概念のもとでは性的対象の選択において性別を重視しない人や性的欲求が希薄な人などが排除される」とも指摘されている。また、sexual orientation(性的指向) か sexual preference (性的嗜好)かという問題は、欧米においても決着をみていない。 「指向」を理由とした差別も「嗜好」を理由とした差別も、いずれも不当なものであり、「生まれつきのものとしての『性的指向』のみを正当化することで、『性的志向』『性的嗜好』を排除すべきではない」のである。
→嗜好ではなく指向という言葉を使って定義が形成されてきた理由は、「人の性的な傾向というものが、意志によって好むと好まざるとに関わらず、否応なしに惹かれて好まざるを得ないもの」であることを明確に強調して定義するためです。嗜好という言葉だけで定義しないのは、嗜好という言葉によって意志で安易に好んでいるかのような誤解を招き兼ねず、この性的な傾向の本質を明確に誰にもわかりやすく定義しにくいからです。 言葉自体、指向は嗜好とは意味が異なりますが、しかし、大切な点は、そのことによって性的指向に性的嗜好を排除したり否定する定義があるわけではありません。むしろ繋がりをもっています。
→性的指向に同性愛者を区別する定義はありません。
→性的指向に正しい性行為と間違った性行為についての定義はありません。また、何らかの性行為を排除することなど一切定義にありません。 性的指向の定義が、例えば何らかのマニアックな性傾向を否定する役割をもっているわけではありません。 「正当化」という言葉が出てきますが、これは基本的に何か間違っていることを無理矢理正しく主張しているといった意味があると思われますが、性的指向は不正当なことを正当化しているような定義ではありませんので、不当な批判です。性的指向は単なる性傾向を整理しただけのものに過ぎません。その意味では特に何かがあるわけではないため、正当でしかないと考えます。
→性的指向は異性愛も含みます。性的指向は性対象となる性別を中心に考えますが、それによって特権をもつための定義ではありません。 性的指向は、多かれ少なかれ人が人に性欲を覚える以上、人類に絶対的に2種類しかない男と女という性別のすべての傾きとその強弱の割合、さらに外面的な側面だけでなく、内面的な側面の傾向も含めて定義しているため、誰もが含まれ、同時に誰をも排除していません。 性的指向はそもそも性別を重視しない人や性的欲求が希薄な人などの両性愛や無性愛、多性愛、全性愛をも含んでおり、特定の性指向を排除する定義はありません。
→sexual orientationと sexual preference の例がありますが、日本語における指向と嗜好は別の意味の言葉であり、日本では日本語の意味に基づく必要が大いにあると考えます。
→性的志向という言葉は、この言葉の形成経緯の理念、その意味や定義がどのような状態のものを表しているのかがいまいちわからないだけでなく、何より批判サイドにとっての効用が極めて曖昧です。 むしろ、効用よりもマイノリティな性傾向を意志で選んでいるかのような誤解を招く弊害のほうが高くあることは容易に予測がつきます。そのため本質から反れる可能性が大きいことから基本的に誤りとなっています。 性的志向という言葉の大義すら曖昧な状態にも関わらず、突如としてそのような状態の性的志向という言葉にそこまでこだわる理由と根拠が見当たりません。 わざわざ指向という言葉を嫌い、志向という言葉を使わなければ同性愛者が一般社会から不当を被むるなどというほどの差別に繋がるとは、到底見当がつき兼ねます。
総じて性的指向の定義を正しく理解していない、あるいは、まったくその基準にない記事は、たとえ引用であっても 記事の全体の内容がチグハグになってしまい、並列に相応しくありません。 批判を行う場合、それは最低限、定義が出した基準で対比的に述べる必要があると考えます。 --Pmartdnert(会話) 2017年3月28日 (火) 17:47 (UTC)
英語版記事やその他の英語文献を参照すればわかりますが、sexual orientationとsexual preferenceとの間には本質的な区別は付けられていません。元来学術的にはsexual preferenceが使用されていたところ、preferenceの言葉に「自ら選択した」という含意があったため、アメリカ心理学会が患者に配慮してsexual orientationを使うよう自主規制したのが、これらの用語成立の経緯となります(ref. Avoiding Heterosexual Bias in Language)。つまり、分りやすく言えば日本でいう「色盲」と「色覚異常」の関係と同じものです。それでも敢えてこの2つを使い分ける場合、言葉の定義的に「任意的選択」が含まれるかどうかのみが違いになります(つまり、「sexual orientation 性的指向」は先天的あるいは変更不可能なものであり、「sexual preference 性的嗜好」は後天的あるいは変更可能なものであるということです)。
つまり、性的指向は「性」に関するものに限り、他の性的嗜好とは区別されるという現在日本語版記事に書かれている内容は、日本語に用語が翻訳・輸入された際もしくはその後に発生した定義となります。この日本語における定義はどこでどのように発生したか判然としません。特に「性別以外の性欲に関係する好みを表す性的嗜好とは別である」というこの一文については、明らかに元の英語の定義との矛盾が見られるため、きちんとその根拠となる出典を追記するべきです。出典が付かない場合、当該箇所は削除するのが妥当と思われます。--Maid Marr(会話) 2018年3月24日 (土) 19:51 (UTC)
予備的に「性的指向 性的嗜好 違い」等のキーワードを用いてweb上の範囲で調査したところ、両者の違いに言及した言説はその殆どが本記事を出典としており、またac.jp、go.jpドメインにおいて両者の違いを説明する論文、記事、文献は見つかりませんでした。要出典タグで1ヶ月ほど様子を見ようと考えていましたが、一部では性的指向であるLGBTと性的嗜好であるロリコンを一緒にするな等の主張まで見られ、そしてその根拠をwikipedia当記事においていました。いみじくも10年以上前に6a3.339.54さんが予期したとおりのぞっとしない状況(当時は冗談だったのでしょうが)になっていると見受けられ、事情を鑑みて当該箇所の削除で対応します。リバートする場合は出典を追加するようお願いします。--Maid Marr(会話) 2018年3月24日 (土) 22:46 (UTC)
性的指向と言う言葉に違和感を持ちます。性的とすることで、性的な行為をベースにされているようで、性別的志向としたほうが本来の意味に近いのではないでしょうか?そもそもSEXを性と訳することに違和感があります、本来性別のことである事から、意味が変な方向に歪曲されます。--Nicola-jp(会話) 2022年12月6日 (火) 13:40 (UTC)--Nicola-jp(会話) 2022年12月6日 (火) 13:37 (UTC)
同性愛・異性愛とは何か
[編集]以下に述べることは個人的な意見で、あるいは神経生理学や大脳生理学などで、このような研究が行われ、肯定的な結果が出ている可能性があるかも知れませんが、詳細が分かりません。
- まず、同性愛とか性的嗜好とかを記述したり調べたり考えたりしているあいだに、どうも、「同性愛・異性愛」は西欧の文化的な固定カテゴリであるという可能性があることに思い至りました。どうしてそういうことが云えるのかは複雑なので、ここでは省略します。それより、より具体的に次の疑問を提示します。
- 「同性愛」として一つにまとめているが、「男性同性愛」と「女性同性愛」は別の概念・現象ではないのか。異性愛については、こういう区別は不要ですが、同性愛と呼ばれているものについては、男性と女性で同じに扱うのは、どうもおかしいという考えが可能である。言葉としてはないか、定着していないが、「男性愛」「女性愛」があり、男性が前者の場合は、男性同性愛、女性が後者の場合は、女性同性愛と考えるのが合理的に思える。
- 何故こういう考えが出てくるかは、「先天的な素因」」とは、具体的にどういうことなのかと考えて行くと、こういう方向が出てくる。まず、指向相手の「性別」認知は、どうやって行っているのかという問題がある。服装とか、身体の外見、言動や振る舞いで判断・認知が行われているとすると、これは「後天的」な選択制が関係しており、純粋な先天的素因とは、少し異なる。
- 一つの仮説というか、個人的な考えとして、「臭覚」が関係している可能性があると思える。臭覚は非常に古い感覚で、人間では退化しているが、それでもなお大きな影響を持つ。臭覚は大脳辺縁系(古皮質)で処理されており、ここは大脳新皮質の個人の意志や好みがあまり影響できない部分である。動物や植物における生殖においても、臭覚が意味を持ち、性誘引物質、フェロモンの作用で発情が生じる。人間にもこのフェロモンは関係している。(この臭覚関係で、ある種の性的嗜好も先天的素因が想定できる)。
- 先天的素因としての「同性愛の決定素因」とは、「男性の臭気・広義のフェロモン」「女性の臭気・広義のフェロモン」に対する「対象選択」の決定ではないのか。このように考えると、男か女かの区別はどうやって起こるのか、という問題に対する答えが出てくる。男性の匂いを持つのが男性で、女性の匂いを持つのが女性ということになる。
- 非常にラフな話であるが、男性に性的嗜好を持つ男女と、女性に性的嗜好を持つ男女が存在し、四種類のパターンがあるが、これを、同性愛・異性愛に二分するか、男性愛・女性愛に二分するかという違いがある。
- 「匂い」による対象選択が先天的素因の中核だとすると、この「本能的性向」はどの程度の強度を持つのかというのがある。一般に、強度はそれほど強くないと考えられる。その根拠は、古皮質の支配する本能行動は、大脳新皮質による拮抗と統制にある程度従う場合、基底的趨向としては存在するが、それは新皮質の判断でオーヴァーライド可能な本能である。オーヴァーライドがどうしてもできない、「生理的嫌悪感」まである場合は、「純粋な同性愛」「純粋な異性愛」ということになり、一般に人は、多数派が「両性愛」で、同性愛や異性愛のみは少数派であるということが出てくる。
以上は「あらすじ」を述べただけで、もっと詳細な吟味が必要なのですが、諸時代の様々な文化・社会の例だと、人間は基本的に両性愛で、純粋な同性愛、異性愛の方がむしろ少ないということになる。両性愛が基本であるというのは、20年ほど前は、このような学説があったはずで、実証根拠もあったはずであるが、何時の間にか、同性愛・両性愛は「少数派」ということになっている。これは「社会運動」や「思想・イデオオロギー」による歪曲の結果ではないかという疑いがある。「フェミニズム」が典型で、ああいう議論は欧米社会でしか通用しない。日本でフェミニズムがあるとしても、欧米のイデオロギー的言説を模倣するのでないと、かなり違った形になる。以上、メモとして書いておきます。--Maris stella 2006年9月19日 (火) 04:54 (UTC)
最初に同性愛としてゲイ、ホモセクシャル、レズビアンとしてまとまってあることは、一般に「同性愛って何?」からはじまりますから必要です。それから、現状で同性愛者は男女ともに同じような境遇を抱えているという共感も大事です。男女を分けて解説するのであれば同性愛の種類の詳細ということになると思います。
「性的指向の固定性」の項に貼り付けられていた同性愛者に関する法の世界マップは、同性結婚のページにふさわしいと考え移動しました。ここは異性愛を含む性的指向の性質について説明しているため合致しない部分があります。--222.158.59.77 2007年4月2日 (月) 14:31 (UTC)
「性的指向の幅」の項に貼り付けられていた同性愛者に関する法の世界マップですが、ここでの文章は性的指向のより繊細なメカニズム的な説明が展開されているに過ぎないわけであり、世界の法律、及び制度、認可などという観点の内容ではまったくありませんので削除とさせていただきました。--125.0.12.200 2007年4月21日 (土) 07:05 (UTC)
日本SRGM連盟の声明について
[編集]ノート:恋愛的指向#日本SRGM連盟の声明についてをご覧ください。--ぽぽか(会話) 2021年9月27日 (月) 22:10 (UTC)
発祥の地さん(恐らく日野智貴さん)の無期限ブロックをうけて
[編集]- 記事に「日本SRGM連盟」の記載を行って、関連記事のノートページで積極的に発言していた発祥の地さん(恐らく日野智貴さん)は無期限ブロックになりました(Wikipedia:投稿ブロック依頼/発祥の地)。無期限ブロックになったからといって、発祥の地さんの主張がすべて否定されるべきではないと思いますが、今後は発祥の地さん並びに発祥の地さんが作成したアカウントは議論には無期限に参加できなくなります。ゆえに発祥の地さんを欠いた状態という前提の上で今後の議論を行うべきでしょう。告知がやや遅くなり申し訳ないです。--Otokotoko(会話) 2023年6月26日 (月) 14:22 (UTC)
統合提案について
[編集]
現在、恋愛、性的指向は別ページに一覧として載せられており、更に、性自認についての一覧記事がありません。そのため、調べる側にとっていいものとは言えません。そのため、恋愛、性的指向を統合し、更に性自認を加えた新たなページを作ろうと考えております。--Shushuch(会話) 2022年10月20日 (木) 03:40 (UTC)
- すみません。提案するページを間違えてしまいました。--Shushuch(会話) 2022年10月20日 (木) 07:36 (UTC)
性的指向に「恋愛感情」を含めることの是非
[編集]アメリカ心理学会や日本の法務省など名だたる権威が性的指向に「恋愛感情」を含めているのに、性的指向に「恋愛感情」を含めないのが正しいという主張があるというのはどういうことでしょうか。同主張にはWikipediaにふさわしい出典があるのでしょうか。ぽぽか(会話) 2024年9月16日 (月) 13:29 (UTC)
(追記)en:Split attraction model拝読しましたが、今一つ理解できません。恋愛的魅力と性的魅力を分けて考えるモデルとのことですが、アメリカ心理学会の「性的指向」の定義によれば「性的魅力」と「感情的な魅力」はすでに分けて認識され、それぞれの指向の総称を「性的指向」と呼んでいるのではありませんか? 是非というのは善し悪しの批評のことですよね。SAMとnon-SAMには「善し悪し」があるのですか? ただ定義が2つあるというのとは違うのですか?--ぽぽか(会話) 2024年9月22日 (日) 01:10 (UTC)
(追記)擁護意見がないようですので、該当箇所を削除しました。--ぽぽか(会話) 2024年9月28日 (土) 22:39 (UTC)