ドナルド・ベイリー
ドナルド・コールマン・ベイリー Sir Donald Coleman Bailey | |
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パイプを燻らせつつベイリー橋の模型の前に座るベイリー | |
生誕 |
1901年9月15日 イギリス・ヨーク州ロザラム |
死没 |
1985年5月5日 (83歳没) イギリス・ドーセット州ボーンマス |
国籍 | イギリス |
出身校 | シェフィールド大学 |
職業 | 文官・技術者 |
著名な実績 | ベイリー橋 |
ドナルド・コールマン・ベイリー(Sir Donald Coleman Bailey, Esq., OBE, A.M.Inst.C.E、1901年9月15日 – 1985年5月5日)は、英国の土木技師。ベイリー橋を発明した人物である。英国陸軍元帥バーナード・モントゴメリーは、「ベイリー橋がなければ、戦争に勝つことはできなかった」と述べたとされる。
背景
[編集]ベイリーはケンブリッジのロザラム・グラマー・スクールとレイズ・スクールを経てシェフィールド大学に進み、同校で工学学士号を取得して1923年に卒業した。
ベイリー橋の設計時には戦争省の公務員であった。なお、技師であったA・M・ハミルトンは、ベイリー橋が仮設橋として優れたものであると広く認められていたにもかかわらず、ベイリー橋がカレンダー・ハミルトン橋の特許を侵害していると申し立てて認められた。
ベイリーは1946年にベイリー橋の設計の功績でナイトに叙された。この頃までには、ボーンマスのサウスボーンに隠棲しており、サウスボーン・クロスロード銀行の女子行員であったドロシー・バーンズは気取らない顧客だったベイリーがナイトに叙されたことを知って大いに驚いたという。その後、ベイリーは1985年にボーンマスで亡くなったが、その功績に反してボーンマスにはベイリーを記念するブルー・プラークはまだ置かれていない。1940年代にベイリーが住んでいた家は2004年に取り壊されてアパートに建て替えられたが、ボーンマスには1974年当時住んでいたヴァイキング・クローズ14番地(14 Viking Close)の家が残っている他、ロザラムのオールバニ街24番地(24 Albany Street, Rotherham)にある生家が現存している。
第二次世界大戦中、ドーセット州クライストチャーチ近郊にベイリー橋のコンポーネントを生産していた工場があり、現在もバラック・ロードにある大型ショッピングセンターにベイリー橋の一部が残されている。ここで生産されたコンポーネントはカンブリアの演習場に出荷され、戦闘中を模擬して夜間に川で組み立てるという困難な技術の指導が行われた。
英国陸軍元帥バーナード・モントゴメリーは、ベイリー橋について1947年に自伝の中で以下のように記している。
栄典
[編集]参考文献
[編集]- ^ “Bailey Bridge”. Mabey Bridge and Shore. 15 June 2007時点のオリジナルよりアーカイブ。11 September 2011閲覧。
- ^ “Other Equipment Used By The 7th Armoured Division”. Btinternet.com. 13 August 2010時点のオリジナルよりアーカイブ。11 September 2011閲覧。
- ^ Lance Day, Ian McNeil, ed (1996). Biographical Dictionary of the History of Technology. Routledge. ISBN 0-415-19399-0
- ^ "No. 35843". The London Gazette (Supplement) (英語). 4 January 1943. p. 63.
- ^ "No. 37407". The London Gazette (Supplement) (英語). 1 January 1946. p. 2.
- ^ "No. 38173". The London Gazette (英語). 9 January 1948. p. 209.
外部リンク
[編集]- Pathe News, newsreel featuring Balie, 1945.