タタ・スチール・チェストーナメント
タタ・スチール・チェストーナメント(英語: Tata Steel Chess Tournament)は、オランダのワイク・アーン・ゼーで毎年1月に開催されるチェスの大会である。1938年の創設時はスポンサー名からホーホフェンス(Hoogovens)大会と呼ばれ、1999年にスポンサーのKoninklijke Hoogovens社がブリティッシュ・スチールと合併してコーラス・グループとなってからはコーラス・チェス・トーナメントと呼ばれていた[1] [2]。現在のスポンサーはタタ・スチール。
トーナメントの歴史
[編集]Hoogovens Beverwijk
[編集]初期のトーナメントは非常に小規模で、1938年には4人のグループから始まり、参加者はオランダ人プレイヤーに限定されていた。最初の5つのトーナメントは、毎年1月初旬に開催された。1943年と1944年には、トーナメントの参加者は2倍の8人になった。1945年は第二次世界大戦のため、トーナメントは開催されなかった。1946年、最初の国際大会が開催された。メインのトーナメントは10名に拡大され、アルベリク・オケリー・デ・ゴールウェイ(ベルギー)とゴスタ・ストルツ(スウェーデン)が招待され、オランダからも8名が参加した。
トーナメントの規模が大きくなるにつれ、補助的だった女子のトーナメントが定期的に開催されるようになり、「マスターズ」イベントや「マスターズ予備軍」イベントも開催されるようになった。またサッカーのリーグ戦に似た方式として、ある年の成績優秀者を翌年の上のクラスのイベントに招待する伝統も生まれた。
トップグループの優勝者:
- 1938年 - Philip Bakker
- 1939年 - ニコラス・コートルバー
- 1940年 - マックス・エーワ
- 1941年 - Arthur Wijnans
- 1942年 - マックス・エーワ
- 1943年 - アルノルト・ファン・デン・フック
- 1944年 - Theo van Scheltinga
- 1945年 - トーナメントなし
- 1946年 - アルベリク・オケリー・デ・ゴールウェイ
- 1947年 - Theo van Scheltinga
- 1948年 - Lodewijk Prins
- 1949年 - サヴィエリ・タルタコワ
- 1950年 - ヤン・ヘイン・ドナー
- 1951年 - エルマン・ピルニク
- 1952年 - マックス・エーワ
- 1953年 - ニコラス・ロッソリモ
- 1954年 - ハンス・ボウメスター ヴァーシャ・ピルツ
- 1955年 - ボリスラフ・ミリッチ
- 1956年 - ギデオン・ストールベリ
- 1957年 - アレクサンダル・マタノビッチ
- 1958年 - マックス・エーワ ヤン・ヘイン・ドナー
- 1959年 - フリズリック・オラフソン
- 1960年 - ベント・ラーセン チグラン・ペトロシアン
- 1961年 - ベント・ラーセン ボリスラフ・イフコフ
- 1962年 - ペーター・トリフノビッチ
- 1963年 - ヤン・ヘイン・ドナー
- 1964年 - パウリ・ケレス イイヴォ・ネイ
- 1965年 - ラヨシュ・ポルティッシュ エフィム・ゲラー
- 1966年 - レフ・ポルガエフスキー
- 1967年 - ボリス・スパスキー
Hoogovens Wijk aan Zee
[編集]1968年、大会の開催地がオランダのワイク・アーン・ゼーに移された。この頃、このトーナメントは一般にスポンサー名の「Hoogovens」と地名の「ワイク・アーン・ゼー」の両方で呼ばれていた。 1968年以降のGrandmasterAグループの優勝者は以下の通り。
- 1968年 - ヴィクトール・コルチノイ
- 1969年 - ミハイル・ボトヴィニク エフィム・ゲラー
- 1970年 - マルク・タイマノフ
- 1971年 - ヴィクトール・コルチノイ
- 1972年 - ラヨシュ・ポルティッシュ
- 1973年 - ミハイル・タリ
- 1974年 - ウォルター・ブラウン
- 1975年 - ラヨシュ・ポルティッシュ
- 1976年 - リュボミィル・リュボエビッチ フリズリック・オラフソン
- 1977年 - ゲナディ・ソソンコ エフィム・ゲラー
- 1978年 - ラヨシュ・ポルティッシュ
- 1979年 - レフ・ポルガエフスキー
- 1980年 - ウォルター・ブラウン ヤッサー・セイラワン
- 1981年 - ゲナディ・ソソンコ ヤン・ティマン
- 1982年 - ジョン・ナン ユーリ・バラショフ
- 1983年 - ウルフ・アナション
- 1984年 - アレクサンダー・ベリャフスキー ヴィクトール・コルチノイ
- 1985年 – ヤン・ティマン
- 1986年 - ナイジェル・ショート
- 1987年 - ナイジェル・ショートヴィクトール・コルチノイ
- 1988年 - アナトリー・カルポフ
- 1989年 - ヴィスワナータン・アーナンド プレドラグ・ニコリッチ ゾルタン・リブリ ジュラ・サックス
- 1990年 - ジョン・ナン
- 1991年 - ジョン・ナン
- 1992年 - ヴァレリー・サロフ ボリス・ゲルファンド
- 1993年 - アナトリー・カルポフ
- 1994年 - プレドラグ・ニコリッチ
- 1995年 - アレクセイ・ドレエフ
- 1996年 - ヴァシリー・イヴァンチュク
- 1997年 - ヴァレリー・サロフ
- 1998年 - ウラジーミル・クラムニク ヴィスワナータン・アナンド
- 1999年 - ガルリ・カスパロフ
コーラス・トーナメント
[編集]2000年以降、トーナメントの通称は「ワイク・アーン・ゼー」と「コーラス」の両方で呼ばれていた。
- 2000年 - ガルリ・カスパロフ
- 2001年 - ガルリ・カスパロフ
- 2002年 - エフゲニー・バレエフ
- 2003年 - ヴィスワナータン・アナンド
- 2004年 - ヴィスワナータン・アナンド
- 2005年 - ペーター・レコ
- 2006年 - ヴィスワナータン・アナンド ベセリン・トパロフ
- 2007年 - レヴォン・アロニアン ベセリン・トパロフ ティモール・ラジャボフ
- 2008年 - レヴォン・アロニアン マグヌス・カールセン
- 2009年 - セルゲイ・カヤキン
- 2010年 - マグヌス・カールセン
タタ・スチール・トーナメント
[編集]2011年、トーナメントの通称は「コーラス」から「タタ・スチール」に変更された。
- 2011年 - ヒカル・ナカムラ
- 2012年 - レヴォン・アロニアン
- 2013年 - マグヌス・カールセン
- 2014年 - レヴォン・アロニアン
- 2015年 - マグヌス・カールセン
- 2016年 - マグヌス・カールセン
- 2017年 - ウェズリー・ソー
- 2018年 - マグヌス・カールセン
- 2019年 - マグヌス・カールセン
- 2020年 - ファビアーノ・カルアナ
- 2021年 - ヨルデン・ファン・フォレースト
脚注
[編集]外部リンク
[編集]- 公式ウェブサイト
- Tata Steel Chess (@tatasteelchess) - X(旧Twitter)
- Tata Steel Chess Tournament (@tatasteelchess) - Instagram
- Tata Steel Chess (tatasteelchess) - Facebook
- Tata Steel Chess Tournament - YouTubeチャンネル