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ウィル・フリント

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウィル・フリント
Will Flynt
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州エスコンディード
生年月日 (1967-11-23) 1967年11月23日(56歳)
身長
体重
195 cm
97 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1991年 アマチュアFA
初出場 CPBL / 1993年7月14日
NPB / 2001年4月3日
最終出場 CPBL / 1998年3月5日
NPB / 2001年4月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

ウィリアム・アーサー・フリントWilliam Arthur Flynt, 1967年11月23日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州エスコンディード出身の元プロ野球選手投手)。台湾球界での登録名は、威爾

来歴・人物

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現役時代

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フォートヘイズ州立大学を経て、1991年シアトル・マリナーズと契約。しかし、メジャー昇格はなく、1993年のシーズン途中から1994年までは台湾中華職業棒球大聯盟俊国ベアーズでプレーし、1994年には最多奪三振のタイトルを獲得した。

その後、アメリカに戻り、1995年1996年の2年間はマイナーリーグでプレーした。

1997年に台湾球界に復帰し、兄弟エレファンツに入団。1998年は1試合のみの登板でシーズン途中に退団し、アメリカの独立リーグであるウエスタン・ベースボール・リーグベンド・バンディッツでプレー。1999年は同リーグ内のトライシティ・ポッセでプレーし、2000年アトランティックリーグナシュア・プライドメキシカンリーグでプレーした[1]

2001年、投手力強化のために大阪近鉄バファローズに入団したものの、登板1試合、投球回数はわずか1/3とまったくの期待はずれに終わり、シーズン途中の6月15日に自由契約公示された。皮肉にも、この年の近鉄はフリントと入れ替わるように途中入団した投手のショーン・バーグマンジェレミー・パウエルの活躍により、12年ぶりのリーグ優勝を果たしている。近鉄退団後はメキシカンリーグに復帰した[1]

2002年はメキシカンリーグとウエスタン・ベースボール・リーグのソラノ・スティールヘッズでプレーした。2003年を最後に引退した[1]

現役引退後

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2005年フロンティアリーグフローレンス・フリーダムの投手コーチ、2006年にはウィンディシティ・サンダーボルツの投手コーチを務めた。

2019年からは大学野球サマーリーグのノースウッズリーグ英語版のチームで指導者を務めている[2]

選手としての特徴

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140㌔台のストレート、スライダー、チェンジアップ、フォークと多彩な球種を誇る。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1993 俊国 11 10 2 1 0 3 5 0 0 .375 292 67.0 57 2 45 2 2 51 6 2 24 21 2.82 1.52
1994 36 28 16 2 0 11 13 3 0 .458 960 231.1 216 12 70 0 4 200 16 0 107 82 3.19 1.24
1997 兄弟 29 24 7 0 1 11 9 0 0 .550 721 169.0 168 13 63 4 0 144 18 0 85 73 3.89 1.37
1998 1 1 0 0 0 0 1 0 0 .000 16 4.0 4 0 2 0 0 0 0 0 2 2 4.50 1.50
2001 近鉄 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 4 0.1 2 0 1 1 0 0 0 0 1 1 27.00 9.00
CPBL:4年 77 63 25 3 1 25 28 3 0 .472 1989 471.1 445 27 180 6 6 395 40 2 218 178 3.40 1.33
NPB:1年 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 4 0.1 2 0 1 1 0 0 0 0 1 1 27.00 9.00

タイトル

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CPBL
  • 最多奪三振:1回 (1994年)

記録

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NPB

背番号

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  • 27 (1993年 - 1994年)
  • 21 (1997年)
  • 34 (1998年)
  • 51 (2001年)

脚注

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関連項目

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外部リンク

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