アンディ・フレッチャー
アンディ・フレッチャー Andy Fletcher | |
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2006年撮影 | |
基本情報 | |
出生名 | Andrew John Leonard Fletcher |
別名 | フレッチ |
生誕 | 1961年7月8日 |
出身地 | イングランド ノッティンガム |
死没 | 2022年5月26日 |
ジャンル |
ニュー・ウェイヴ オルタナティヴ・ロック シンセポップ エレクトロニカ |
職業 | ミュージシャン、DJ、マネージャー、音楽プロデューサー |
担当楽器 | キーボード、ベースギター、サンプラー、ボーカル |
活動期間 | 1977年 - 2022年 |
レーベル | ミュート、トースト・ハワイ |
共同作業者 | デペッシュ・モード、クライアント |
アンドリュー・"アンディ"・ジョン・レオナード・フレッチャー (Andrew John Leonard Fletcher, 1961年7月8日 - 2022年5月26日[1])は、イギリスのミュージシャン。デペッシュ・モードのメンバーとして知られ[2]、フレッチ (Fletch)の愛称で親しまれる。
来歴
[編集]1970年代後半に学生時代の友人であったヴィンス・クラークとともにNo Romance in Chinaというバンドを結成し、ベースギターを担当した。1980年にマーティン・ゴアと出会い、3人組としてComposition of Soundを新しく結成。同年暮れにデイヴ・ガーンが加入しデペッシュ・モードを結成、メンバーの一員としてデビューした。
役割
[編集]「世界的に有名な一本指奏者」と自称しており、主にキーボードとプロデュースを担当している。フレッチは自他共に認めるマーティンの最大の理解者である。マーティンの機嫌をとり、またやる気を出させるのがフレッチの最大の役目である。また、バンドにはとりあえずマネージャーはいるが、実質的にバンドのマネージングを行っているのはフレッチであるとする見方は強い。バンドにおいてフレッチにしかできないことは多い。
トースト・ハワイ
[編集]2002年にトースト・ハワイというレコードレーベルを設立、シンセポップデュオクライアントをデビューさせ、自らプロデュースも担当した。クライアントは2006年にレーベルを移籍し、その後のトースト・ハワイからのリリースは途絶えている。
DJとして
[編集]クライアントのツアーサポートとして始めたDJの活動も有名で、デペッシュ・モードのツアー後のオフなどにヨーロッパやアジア、南アメリカなど「デペッシュ・モードがまだ来ていない、または来れていない」地域などでギグを行ったりフェスティバルに参加している。1990年以来デペッシュ・モードとして来日が実現していない日本でも、2011年にサマーソニックに参加。東京公演は8月13日ソニックマニア、8月14日はサマーソニック大阪会場でプレイした。
死
[編集]2022年5月26日、60歳で死去[3]。のちにデペッシュ・モードのInstagramにて、バンドメンバーのデイヴ・ガーンとマーティン・ゴアの連名により、自宅にて大動脈解離を発症しての急逝であったことが公表された。
脚注
[編集]- ^ “Depeche Mode keyboardist Andy Fletcher dies” (英語). BBC News. (2022年5月26日) 2022年5月26日閲覧。
- ^ Ankeny, Jason. “Biography: Depeche Mode”. オールミュージック. 25 January 2015閲覧。
- ^ “Depeche Mode keyboardist Andy Fletcher dies” (英語). BBC News. (2022年5月26日) 2022年5月26日閲覧。