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ノート:ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・ベストアルバム500

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著作権について

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節のタイトルを付けさせていただきました。--Ziman-JAPAN 2009年5月30日 (土) 00:37 (UTC)[返信]

ノート:日本百名山一覧でも、問題になっていますが、こういう意図的に作られたリストを提示することは危険です。0null0 2005年12月22日 (木) 14:59 (UTC)[返信]

こんにちは。気になったので僕もコメントさせて下さい。

僕はこの一覧の作成された由来を知らないので何とも言えないのですが、例えば専門家が何人かで集まってどれが著名であるかを取捨選択しているのであれば、その取捨選択に創作性があると認められてしまうように思います。

ウィキペディア日本語版では、基本的に日本法とアメリカ法は考慮するという風にやっていますが、アメリカの著作権法でも、例えば野球カードの内どれがコレクターの間で価値の高いものであり、どれがそうでないかを記したリストが、著作物であるという判決があったりします。オンラインで読める判決文はちょっと見当たらないのですが、1984年に第2巡回区高等裁判所で出された判決で、"Eckes v. Card Prices Update" (736 F.2d 859) と呼ばれるものに次のような一節があります。

"We have no doubt that appellants exercised selection, creativity and judgment in choosing among the 18,000 or so different baseball cards in order to determine which were the 5,000 premium cards. Accordingly, we believe that the Guide merits protection under the copyright laws."

これに対して、例えば、単純に人気投票なり売り上げなりから集計したというだけなら、取捨選択に創作性が認められず、利用も問題ない可能性も出てくると思うのですが、どうでしょうか。。

Tomos 2005年12月22日 (木) 15:41 (UTC)[返信]

うーん、グレーゾーンにあるのでしょうが、本家英語版の記事で削除議論をしていただければ助かります。これはアルバムプロジェクトでの作業用の一覧、リファレンスとして英語版記事を翻訳したもので、記事空間に移す予定はありません。--Ligar 2005年12月23日 (金) 02:24 (UTC)[返信]


作成過程がわからないので著作権法上どういう扱いになるのか何とも言えないのですが、とりあえず疑問ではあるので、英語版のノートに質問と意見を書いておきました。

また、日本法でこれに近そうな判例4件について改めて考えてみました。あくまでも、このアルバムリストが何かの単純集計に基づくものではないという前提でですが。

(1)当落予想表

ひとつは、選挙における当落予想表をめぐって争われた事件があります。[1]

控訴人原稿が著作物といえるためには、それが「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」であることが必要である(著作権法第二条第一項第一号)ところ、「思想又は感情」とは、人間の精神活動全般を指し、「創作的に表現したもの」とは、厳格な意味での独創性があるとか他に類例がないとかが要求されているわけではなく、「思想又は感情」の外部的表現に著作者の個性が何らかの形で現われていれば足り、「文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属する」というのも、知的、文化的精神活動の所産全般を指すものと解するのが相当である。

とした上で、その表の作成過程と表現形態を具体的に描写、次のように述べています。

右認定事実によれば、控訴人原稿は、国政レベルにおける政治動向の一環としての総選挙の結果予測を立候補予定者の当落という局面から記述したもので、一つの知的精神活動の所産ということができ、しかもそこに表現されたものには控訴人の個性が現われていることは明らかであるから、控訴人の著作に係る著作物であると認めるのが相当である。

このアルバムリストは、アルバムの取捨選択については知的精神活動の所産だと認められるかも知れないものだと思いますが、リストという表現の形式としてはほぼ個性の表れが感じられないものだとも言えるように思います。そこで、表にする際に記号を使って見やすくしたとかいう表現の工夫が多少認められているこの判例に照らしても、著作権法上問題になるのかどうかはわかりづらいケースのように思いました。もしもそうした工夫がなく、表現の形式に創作性が認められないものであったらどうなのか、という疑問が残るという風に考えることができるので。

(2)地域別電話帳

もうひとつ、電話帳の創作性をめぐる判決があります。[2] 訴えを起こした側の電話帳は、全部で7冊分の構想があったうちの第一分冊だけが発行されているというちょっと変わったケースなので、「第一分冊」の著作権がどうであるかという話が繰り返し出てきます。

"控訴人Aは、その精神活動に基づいて、東京二三区のうち台東区、葛飾区、墨田区、江戸川区の四区を選び、会議メモのページ、住所電話書抜欄のページ、求人広告欄のページなどを加えつつ、また、一般広告のほか割引券付き広告をも掲載しつつ、右四区内の電話加入者に係る控訴人電話帳(第一分冊)を作成したというのであるから、素材の選択又は配列を含めた電話帳全体に控訴人Aの思想又は感情が表現されているものということができ、この具体的な表現は、誰が行っても同じになるであろうといえるほどにありふれたものとはいえないから、控訴人電話帳(第一分冊)には、表現されたものの全体として創作性が存在するものと認めるのが相当である。"

というのが電話帳の創作性について述べたところですが、単なる電話番号の分類基準だけではなく、そのほかの要素も考慮に入れた上で創作性がある、としています。では単に分類しただけで、会議メモのページなどが配されていなかったらどうだったのか、というのが気になるところです。控訴人(=自社の電話帳の著作権を侵害されたと訴えた側)は、その点についても主張をしていて、これについて裁判所が判断した部分がいくつかあります。

"東京二三区の職業別電話帳を適切な近隣地域ごとに分冊するという発想自体は、電話帳に関するものとしてありふれた発想を単に東京二三区の職業別電話帳に適用したというにすぎないから、これに格別の創作性を認めることはできない。"
"右認定の事実によれば、昭和四四年発行の電電公社の職業別電話番号簿が買い物・仕入のガイドブックとしての機能を有していたことは明らかである。そして、このような機能は、多かれ少なかれ、すべての職業別電話帳が備えているものである。したがって、たとい、控訴人電話帳(第一分冊)が買い物・仕入のガイドブックとしての機能を持たせるという発想に基づいて作成されているとしても、その発想自体には、格別の創作性を見出すことができないものといわざるを得ない。"
"控訴人らは、ターミナルを基準にそこから放射線状に伸びる鉄道線路に沿った周辺三区ないし五区を組み合わせるという分冊の基準を採用して、東京二三区を近隣の有効広告範囲の地域別にグループ化して、控訴人電話帳の分冊としているとして、右基準の採用自体に創作性がある旨主張する。"
"しかしながら、控訴人電話帳(第一分冊)は、客観的には、近接する台東区、葛飾区、墨田区、江戸川区の四区を一つの地域としているのみとみることの可能なものであって、表現されたもの自体から、ターミナルを基準にそこから放射線状に伸びる鉄道線路に沿った周辺三区ないし五区を組み合わせるという分冊の基準をうかがうことはできない。また、仮に、表現されたものから右基準をうかがうことができるとしても、同基準自体、分冊の基準としてはごくありふれたものということができるから、その採用に格別の創作性があるといえないことは明らかである。"

としています。特に最後の部分からは、「つまるところリストのように単純な表現形式になっていて、取捨選択、配列の基準が何であるかがわからないものは、著作物としては保護されないのではないか」という風に思われます。(もしそうだとすると、このアルバムリストも日本法の著作権法上はOKではないかということになると思います。これは日本とアメリカとで、編集著作物の保護の方針に大きな違いがあるということでもあるように思います。)

ただ、この判決に特有の事情があって、この部分を本当にそのように受け止めていいのかどうかは、ちょっとわからない部分があります。

この裁判所の判断は、部分的には、訴えを起こした側のちょっと変わった主張に応えたものです。その主張は、「そもそも編集方針自体に創作性があるので、発行されている第一分冊だけではなく未完成の7冊目までを含めた全てが著作権保護の対象になるべきだ」というようなものです。それは「アイディアを保護せよ」という主張に近いものです。それに対して、そのようなアイディアはありふれている、という答えを上記引用部分では裁判所は示しているわけですが、それに加えて「でもそもそも編集方針というのはアイディアであって、具体的に表現されていない内は著作物としては認められない」という風に述べている箇所もあります。そして、ここで裁判所が用いている判断基準は、「そもそも完成していない電話帳についても編集方針の創作性に基づいて著作権保護を与えろというなら、その編集方針は新規なものでなければならないだろう。」といった類の考え方を述べたものですが、「だが実際には完成していない2分冊目以降の電話帳にはそもそも保護をかけられない」となります。そこでこの部分は、「不適当な主張があったので、それに見あった不適当な基準で判断してそれを退けた」ような部分があるともとれ、そのままほかの件にあてはまるものではないようにとれるようにも思えます。

(3)作品リスト

次に、これは判決文の全文を目にしたことがないケースなのですが、作家の「映画化された作品」リストに著作権を認められるか、という問題について、否定的な結論を出したケースがあります。[3]

ここでも、リストの収録作品の取捨選択や、作品にまつわるデータ(監督名など)の取捨選択に創作性が認められるかどうかを検討し、かつ、リストが表現として創作性があるかどうかを検討し、どちらにも創作性がないとして著作物性を否定しています。ですが、気になるのは、取捨選択には創作性がありつつも、それが創作性がないほど凡庸に表現されている場合なので、この判決も決定的な情報にはならないかな、という風に思いました。

(4)単語事典

最後に、「用事苑事件」と呼ばれることが多い件で、ノート:日本百名山一覧でFalcosapiensさんが言及しているものです。これも全文は見当たらないのですが、比較的まとまった解説がこちらのページにあります。[4]また、関連の件がこちらに[5]解説されています。

この件は、収録する語の取捨選択の方針と、各語につき1行というレイアウトの採用が創作性があると認められているようです。ただし、配列については、50音順になっているという面があります。

また、孫引きになってしまいますがこのページによれば、この件を、素材の取捨選択だけでも創作性を認めたもの、という風に評価している専門家もいることが説明されています。だとすると、このアルバムリストについても同じ評価が下される可能性は十分ありそうです。

以上のように4つほどの判例を見た限りでは、裁判所の判断にも、明らかにこのベストアルバムリストのようなものが保護されるという風に考えていいという確たる証拠はなく、といって明らかにそういうことはありえないという風に断定していいのかもわからず、実際に裁判になってみないとわからないのかな、という印象を受けました。大丈夫な可能性も考えられる件だと思うのですが、そう断言できる判例があるかというと、よくわかりませんでした。

アメリカの判例では、より明確に、リストのようなものでも著作物として保護するとした例がありますので、アメリカ法ではちょっと違ってくるかなという風に思いましたが。

ただ、どうも、最近は日本語版を担当するサーバクラスタが基本的には韓国にあるということのようなので、アメリカ法を考慮する必要性というのがどの程度のものなのか、というのが僕にはわからなくなりつつあります。財団に問い合わせてみようと思っていますが。。。

とりあえず今言えることは以上です。

Tomos 2005年12月23日 (金) 06:54 (UTC)[返信]

ふと気がついたら英語版のページは一度削除されていました。詳しい経緯などはまだ調べきれていないのですが、Ligarさんに促されて英語版で提起してみた著作権問題の件はその後何人かの人が参加する議論になっていました。削除の実施はMichael Snowさん(弁護士の資格を持っている方です)がされていますが、削除の後に、ページ内にコメントを埋め込む形で、リスト自体を投稿しないように、という注意書きを残されていることから、著作権上問題があるか、グレーだということで削除された可能性も十分ありそうです。

僕も時間ができたら調べてみようと思いますが、もしかすると他の方が対応してくださるかも知れないので一応ここに書きとめておきます。

Tomos 2006年5月1日 (月) 01:36 (UTC)[返信]

この件について、英語版の削除の経緯を調査して考えてみました。

英語版の削除の経緯について

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このページで問題提起をして、Ligarさんに促されて英語版の方へ書き込みをしたのは2005年12月下旬ですが、それに反応があったのが1月末辺りからでした。英語版のTalkページを見るとわかりますが、賛否両論という感じです。反対意見には、そもそもリストが著作物のはずがない、という意見もありますが、僕の見たところでは、特に根拠を示しての議論というわけではないようです。

削除依頼に持ち込んだのはMichael Snowさんで、2月4日のことでした。 [6]

ここでは、Dragon flightさんが作成した削除候補となるリスト類を一括して依頼に出しています。(リストはw:en:User:Dragons flight/Evil_looking_listsにあります。)Dragon flight さんはこのリストを問題視する理由としてEckes v. Card Prices Update(僕が上に挙げたのと同じ判決)を挙げています。[7]

この500アルバムの削除が実行されたのは2月17日で、著作権問題が理由としてコメント欄で述べられています。削除はMichael Snowさんが実施しており、これに前後して様々なリストページも削除しています。Logの検索によって辿ることができます。[8]

削除の後は、リストをどのようにどの程度利用することが可能か(フェアユースとして弁護可能なものか)という議論も少し行われています。w:en:Talk:The_500_Greatest_Albums_of_All_Time#Deletion

また、Michael Snowさんはリストページを再作成もしているのですが、その際にはページにコメントを埋め込んで、リスト全体を投稿しないように呼びかけています。[9]

Dragons flightさんの会話ページへの書き込みから、2月23日にリスト類の削除などが終了したようです。[10]

以上の経緯から、このリストはEckes v. Card Prices Updateの判例に照らして考えて著作物であるということで削除された、と考えて問題ないのではないかと思います。

日本語版のリストはフェアユースだと言えるか

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英語版と日本語版は少しですが異なるリストになっています。違いは2点です。 #日本語版のリストは翻訳されていること #Ligarさんが指摘している通り、日本語版のリストは通常の項目が置かれている名前空間にはなく、Wikipedia:名前空間にあること。

この2つの事実をアメリカ法に照らして考えた場合に、何か英語版とは違う結論が出る(英語版では削除になったが日本語版では削除にならなかった)ことになるのかどうか、ということを考えてみましたが、正直よくわかりませんでした。

日本語版で削除しなくてもよい理由というのがあるとしたら、それは英語版では成り立たないフェアユースの抗弁が日本語版では成立するから、ということになると思います。そこで、英語版でフェアユースになりえないものを日本語にして、Wikipedia:名前空間に移した場合にフェアユースが成り立つようになるか、という風に考えたのですが、フェアユースの概念自体が曖昧というか、一般論として語ることができず個別のケース毎に判断されるものだとされているので、個別のケースを参照しながら考えなければならず、「成り立たない」という論拠になりそうな判例も「成り立つ」という論拠になりそうな判例もさしあたり見当たらないというところです。時間をみつけては少しづつ勉強してみるようにはしているのですが。。

ひとつ、Transformative Useという概念がフェアユースにはあります。これは、元の作品をそのままコピーするのではなく、何かの形で変形させるような利用を指しています。翻訳というのは原作品を変形させることですから、一見このTransformative Useにあてはまりそうに思います。この概念がとりあげられた最高裁判決としては、1994年のCampbell v. Acuff-Rose Music (114 S. Ct. 1164)があります。そこでは、利用の仕方がtransformativeであればあるほど、フェアユースであるかどうかを左右する他のファクターの重みは軽くなる、とも述べられています。

フェアユースのを左右するファクターは一般に4つあると言われます。(ただし、この4つだけではなく、最低この4つ、ということのようです。)これは、著作権法の107条に述べられています。

  • 利用の目的と性質:transformative useはこの一部分を構成しています。他に、商業利用なのか非営利の教育目的であるか、あるいはその中間に位置するのか、といったことが問題になるようです。
  • 作品の性質:娯楽作品か情報を提供するような(iformative)作品か、といった区別などが問題になるとしばしば言われます。
  • 利用している度合い:全体を利用しているか、ごく一部分だけなのか、また利用している部分が作品の要のような部分にあたるのかそうでないのか、といったことが問題になるようです。
  • 作品の価値に与える影響:作品の売り上げや値段に対する影響があるかとか、あるいは、作品が潜在的に持っている価値に影響するか、といったことが問題になるようです。

英語版と違うのは、この4つの内、1つ目の要素がもともとウィキペディアの投稿者に有利だったものが、もしかすると更に有利になっているかも知れないということと、4つ目の要素が、直接同リストの価値に影響を与える度合いが少し減り、代わりに翻訳したら得られるであろう収入が減るという形になるということかと思います。このいずれもが、英語版のケースに比べて多少有利になっているのかなと思いました。だから英語版では成り立たなかったフェアユースが成り立つのか、それともやっぱり成り立たないのか、ということについては、上に述べた通りわからないのですが。

とりあえずは以上です。Tomos 2006年7月26日 (水) 11:39 (UTC)[返信]

記事空間への移動について

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昨年8月、とある方によってこのページが事前の議論なく記事空間に移動されました。私は上の議論を確認し、作成者ご本人が望まない移動を独断で行うのはまずいのではないか、と考え、移動された方とWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト アルバム#サブページの移動についてに呼びかけをしたのですが、残念ながら音沙汰がなく、専門外の分野でしたのでそのまま放置してしまいました。著作権問題もありますし、いま一度移動の妥当性など問い直す必要があるのでは、と考え、こちらに節を設けます。--Ziman-JAPAN 2009年5月30日 (土) 00:37 (UTC)[返信]