高崎三興
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(高崎板紙から転送)
種類 | 株式会社 |
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市場情報 |
東証1部 3868 2002年3月26日上場廃止 大証1部 3868 2002年3月26日上場廃止 |
本社所在地 |
日本 東京都中央区日本橋本町1丁目2-6[1] |
設立 | 1914年3月2日 |
業種 | パルプ・紙 |
事業内容 | 段ボール原紙等の製造・販売 |
資本金 | 96億5百万円[1] |
売上高 |
642億73百万円[1] (2001年3月期) |
総資産 | 832億67百万円[1] |
従業員数 | 625人[1] |
決算期 | 3月 |
主要株主 |
王子製紙 32.52% 三井物産 13.61%[1] |
特記事項:特記のない各種経営指標は2001年9月末時点 |
高崎三興株式会社(たかさきさんこう、英文社名:Takasaki Sanko Co., Ltd.)は、かつて存在した日本の製紙会社である。大手製紙会社王子製紙の傘下にあった板紙メーカーで、2002年に王子板紙(現・王子マテリア)に吸収された。
概要
[編集]王子製紙系列であった高崎製紙株式会社と三興製紙株式会社が1999年10月に合併(存続会社は高崎製紙)して発足した製紙会社である。高崎製紙は1914年、三興製紙は1949年設立の板紙メーカーであった。王子製紙グループの段ボール原紙事業集約の一環として2001年にグループ共同販売会社の王子板紙を設立、2002年10月にグループのメーカーとともに王子板紙に吸収合併された。
国内4工場を持ち、段ボール原紙や白板紙などの板紙を主体に生産・販売を手がけた。また傘下のグループ企業では、段ボールや紙容器(紙器)の生産・販売なども手がけていた。
沿革
[編集]高崎製紙
[編集]前身の高崎製紙は、段ボール原紙(ライナー)・白板紙・建材原紙(石膏ボード原紙)・紙管原紙などを生産していた板紙メーカーである[2]。三興製紙との合併までの年表を以下に示す。
- 1914年3月2日 - 高崎板紙株式会社として設立[3]。群馬県高崎市[* 1]に工場を開設、11月操業開始[4]。
- 1927年12月 - 日光板紙株式会社を合併、日光工場を設置[5]。
- 1929年6月 - 千住板紙株式会社を合併、千住工場[* 2]を設置[6]。
- 1938年9月 - 東京工場(初代)[* 3]が操業を開始[7]。
- 1943年7月 - 軍の要請により、東京工場を日本建鐵工業(現・日本建鐵)に売却[8]。
- 1949年5月16日 - 東京証券取引所(東証)に株式を上場[9]。
- 1949年11月28日 - 高崎製紙株式会社に社名変更[9]。
- 1952年2月 - 札幌証券取引所(札証)にも株式を上場[3]。
- 1959年4月 - 札証での上場を廃止[3]。
- 1962年4月 - 吹田製紙株式会社を合併、大阪工場[* 4]・淀川分工場を設置[10](1970年8月両工場は統合され大阪工場となる[11])。
- 1965年6月 - 千住工場を閉鎖[13]。
- 1965年9月 - 東京工場(2代目)[* 5]が操業開始。
- 1970年2月 - 高崎製紙・三井物産が主体となりレンゴー・十條製紙(現日本製紙)の協力を得て東北製紙株式会社(日本大昭和板紙秋田工場の前身)を設立[14]。
- 1973年10月 - 紙加工事業を担当する紙器部大泉工場を開設[15]。
- 1974年6月 - 段ボール事業本部高崎事業所を開設、段ボール事業に進出[16](1977年3月分離し高崎製紙コンテナー株式会社を設立[11])。
- 1975年7月 - 高崎工場操業停止[17]。
- 1980年6月 - 日光工場を子会社日光製紙株式会社(2代目)に売却。業績悪化に伴う債務超過解消策の一環[18]。
- 1984年11月 - 東京工場を移設して日光工場を再設置。跡地売却益で1985年度から債務超過解消[19]。
- 1988年1月 - 日光製紙から日光工場を買い戻す[20]。
- 1988年3月 - 保有する東北製紙の全株式を三井物産に譲渡、同社の経営から撤退[21]。
- 1991年12月 - 高崎製紙コンテナーほか2社を合併。段ボール部高崎工場を再設置[11]。
- 1994年1月 - 本州製紙(1996年王子製紙と合併)と業務提携[22]。
- 1997年3月 - 紙器部大泉工場を分離し、高崎パッケージ株式会社を設立[11]。
三興製紙
[編集]三興製紙は、段ボール原紙や白板紙などを生産していた板紙メーカーである。本社は静岡県富士市伝法[23]。大阪証券取引所市場第二部(大証2部)に株式を上場していた(証券コード:3885)。
- 1937年12月 - 伊藤忠商事系列の富国人絹パルプ株式会社として設立[24][23]。
- 1943年11月 - 三興酵成燃料株式会社に社名変更[23]。
- 1945年7月 - 三興株式会社に社名変更[23]。
- 1949年10月1日 - 企業再建整備法に基づいて第二会社・三興製紙株式会社が発足[24][23]。
- 1953年2月 - 白板紙用の抄紙機を新設[24]。
- 1955年7月 - 子会社サツキセイシ株式会社を設立[24]。
- 1961年10月 - 大証2部に株式を上場[23]。
- 1961年12月 - 段ボール原紙用の抄紙機を新設[24]。
- 1968年10月 - サツキセイシを合併、富士工場を設置[24]。
- 1977年3月 - 本州製紙が資本・経営参加[24]。
- 1985年2月 - 本州製紙が株式の過半数を取得、本州グループに入る[24]。
高崎三興
[編集]- 1999年10月1日 - 高崎製紙が三興製紙を合併し、高崎三興株式会社に社名変更[3][25]。
- 1999年10月 - 大証1部にも上場[3]。
- 2001年4月 - 高崎工場を分離し、高崎三興段ボール株式会社を設立[11]。
- 2001年7月 - 販売部門を王子板紙に移管。
- 2002年3月26日 - 上場廃止[26]。
- 2002年4月1日 - 王子製紙と株式交換を実施し、同社の完全子会社となる。
- 2002年10月1日 - 王子板紙に合併。
生産拠点
[編集]高崎三興が保有していた生産拠点は、以下の4か所である。
- 日光工場 - 栃木県宇都宮市白沢町(旧・高崎製紙)
- 富士工場 - 静岡県富士市伝法(旧・三興製紙)
- 祖父江工場 - 愛知県中島郡祖父江町(現・稲沢市)祖父江(旧・三興製紙)
- 大阪工場 - 大阪府大阪市東淀川区南江口(旧・高崎製紙淀川分工場)
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 所在地は高崎市八島町で、高崎駅東口前。
- ^ 所在地は東京都足立区千住東町。
- ^ 所在地は東京都葛飾区奥戸1丁目で、中川沿いに立地した。
- ^ 所在地は大阪府吹田市、下新庄駅付近。
- ^ 所在地は埼玉県草加市。
出典
[編集]- ^ a b c d e f 「段ボール原紙事業の統合に関するお知らせ (PDF) 」、2001年12月4日付王子製紙ニュースリリース(インターネットアーカイブ)
- ^ 高崎80年史、p203
- ^ a b c d e 会社年鑑2002上巻、pp683-685
- ^ 高崎80年史、p7
- ^ a b 高崎80年史、p19
- ^ a b 高崎80年史、pp21-22
- ^ 高崎80年史、p212
- ^ 高崎80年史、pp47-48
- ^ a b 高崎80年史、p71
- ^ 高崎80年史、p91
- ^ a b c d e 「高崎三興第149期(2001年3月期)有価証券報告書」、p3
- ^ 高崎80年史、p77,91
- ^ 高崎80年史、p99
- ^ 高崎80年史、p108
- ^ 高崎80年史、p218
- ^ 高崎80年史、p116,218
- ^ 高崎80年史、p123
- ^ 高崎80年史、p129,219
- ^ 高崎80年史、p130
- ^ 高崎80年史、p146
- ^ 高崎80年史、p109,220
- ^ 「本州・高崎製紙が提携 株持ち合い、製品を供給」、1994年1月25日付朝日新聞夕刊
- ^ a b c d e f 会社年鑑2000上巻、pp797-798
- ^ a b c d e f g h 王子社史合併各社編、pp413-414
- ^ 「三興製紙と高崎製紙合併 今秋、板紙4位に」、1999年2月11日付朝日新聞朝刊
- ^ 会社年鑑2003上巻、p7
参考文献
[編集]- 王子製紙(編) 『王子製紙社史』合併各社編、王子製紙、2001年
- 高崎製紙株式会社社史編纂室(編) 『高崎製紙80年史』、高崎製紙、1994年
- 『会社年鑑』2000上巻、日本経済新聞社、1999年
- 『会社年鑑』2002上巻、日本経済新聞社、2001年
- 『会社年鑑』2003上巻、日本経済新聞社、2002年
関連項目
[編集]- 佐藤静雄_(衆議院議員) - 衆議院議員。元高崎製紙社員。