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千葉陸軍戦車学校

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千葉陸軍戦車学校(ちばりくぐんせんしゃがっこう)とは、現在の千葉県千葉市稲毛区穴川にあった大日本帝国陸軍の教育機関のひとつ。通称は戦車学校(せんしゃがっこう)。陸軍戦車学校として設立され、千葉陸軍戦車学校に改称され、のちに陸軍省外局陸軍機甲本部の所管学校となった。

概要

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千葉陸軍戦車学校では、戦車をはじめとする車両教育が行われた。

陸軍機甲本部隷下になってからは、中・重戦車を分担した。

前身

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沿革

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  • 1936年(昭和11年)
    • 8月1日 :千葉県千葉郡津田沼町習志野偕行社内に陸軍戦車学校を仮設置。同日より事務を開始[1]
    • 12月1日:千葉県千葉市黒砂町に移転。同日より事務を開始[2]

組織・教育区分 

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  • 本部
  • 教育部:戦車部隊の学術および通信・整備の教育研究を担当
    • 甲種学生(中隊長)
    • 乙種学生(通信
    • 丙種学生(整備)
    • 丁種学生(初級将校
  • 教導連隊:戦車の教育支援
  • 練習隊:軽装甲車の教育支援
  • 材料廠

人事

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歴代校長

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  • 安岡正臣 少将(陸士18期):1936年8月1日 - 1938年2月15日
  • 田辺盛武 少将(陸士22期):1938年2月15日 - 1939年10月2日
  • 岡田資 少将(陸士24期) :1939年10月14日 - 1940年9月24日
  • 井上芳佐 少将(陸士25期):1940年9月24日 - 1941年12月5日
  • 岩仲義治 少将(陸士26期):1941年12月5日 - 1943年6月10日
  • 当山弘道 少将(陸士28期):1943年6月10日 - 1944年7月8日
  •   (*欠員)     :1944年7月8日 - 1944年12月22日
  • 来嶌則和 大佐(陸士27期):1944年12月22日 - 閉校

歴代幹事

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  • 木村民蔵 大佐(陸士21期):1936年8月1日 - 1937年8月2日
  • 井上芳佐 大佐(陸士25期):1937年8月2日 - 1938年7月15日
  • 岩仲義治 大佐(陸士26期):1938年12月10日 - 1940年12月2日 (*1940年8月1日 少将)
  • 細見惟雄 大佐(陸士25期):1940年12月2日 - 1941年10月15日 

教官 

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  • 玉田美郎 中佐(陸士25期):1936年 -
  • 井上芳佐 大佐(陸士25期):1936年8月1日 - 1937年8月2日
  • 当山弘道 中佐(陸士28期):1936年12月1日 - 1937年8月2日
  • 加登川幸太郎 大尉(陸士42期):1938年6月 -1939年 (*研究部主事 並 教官)
  • 藤田実彦 少佐(陸士33期):1938年 - 1940年12月  (*1939年3月 中佐) 
  • 小林捨三 中佐(陸士31期):1944年2月10日 - 1944年7月8日 

研究部

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  • 主事:岩仲義治 中佐(陸士26期):1936年12月1日 - 1937年10月15日 (*1937年8月2日 大佐)
  • 主事:加登川幸太郎 大尉(陸士42期):1938年6月 - 1939年 (*研究部主事 並 教官)
  • 主事:李鍵公 少佐(陸士42期):1943年2月3日 - 1944年5月12日 (*1943年3月1日 中佐) 
  • 部員:原乙未生 砲兵中佐(陸士27期):1936年12月1日 - 1939年3月9日 (*1937年8月2日 大佐)

教導隊長

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  • 細見惟雄 中佐(陸士25期):1936年8月1日 - 1939年4月1日 (*1937年8月2日 大佐) 
  • 井田君平 中佐(陸士30期):1942年6月17日 - 1943年8月2日

学校 附

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跡地

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内務省地理調査所(国土地理院の前身機関)、稲毛区役所穴川中央公園千葉県立京葉工業高等学校等。

参考文献

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  • 菊池俊吉 撮影『日本陸軍写真集(1) 機械化部隊の主力戦車』(グリーンアロー出版社、1994年) ISBN 4-7663-3158-3
    • 太平洋戦争戦前と戦中に、千葉戦車学校教育訓練の写真記録。
  • 菊池俊吉 撮影『日本陸軍の機甲部隊1 鋼鉄の最精鋭部隊 千葉戦車学校・騎兵学校』(大日本絵画、2008年) ISBN 978-4-499-22970-8
    • 1941年、対外宣伝グラフ誌『FRONT』の創刊に向け、陸軍の全面協力により各地の軍施設においてロケが行なわれた当時の写真約150点をネガナンバー順に一挙掲載。日本陸軍の戦車や軍用車両の生き生きとした姿と撮影時の状況を再現。

脚注

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注釈

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  1. ^ 騎兵第14連隊満州に移駐後の空き兵営に開設。
  2. ^ 憲兵科を除く各兵科は、兵科の中の一つである各兵種となった。(例)これにより、従来は不可能であった、砲兵大尉歩兵連隊内の歩兵砲中隊長や、連隊砲中隊長への補職が可能となり、転科手続きなく人事行政に断髪力を持たせ、新兵器・新戦術に対応した戦備・戦力拡大図ることが可能となった。
  3. ^ 戦車は、歩兵科戦車兵から兵科機甲兵となる。
  4. ^ 乗車騎兵に歩兵出身者の補職も可能となる。
  5. ^ 挺身兵には、戦車も山砲もあるが航空であったり、船舶兵には、高射砲や野砲もあるが工兵である等、従来の兵科の垣根を跨るものの柔軟運用が可能となった。
  6. ^ 全ての車輌における操縦・整備・燃料・戦術の研究・教育・行政は機甲本部に一元化。
  7. ^ 一部は、すぐに関東軍特種演習に参加。マレー作戦.比島作戦等の南方作戦にも参加した。

出典

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  1. ^ 「官報」第2879号、昭和11年8月6日号、p.191。
  2. ^ 「官報」第2981号、昭和11年12月8日号、p.264。
  3. ^ 国立公文書館(アジア歴史資料センター Ref.A03022383200)、勅令第485号、陸軍戦車学校ニ於ケル生徒教育ニ関スル件(昭和14年7月14日公布、8月1日施行)
  4. ^ 「官報」第3757号、昭和14年7月15日号、p.608。
  5. ^ 軍令陸甲第七十六號戰車第四師團臨時編成要領

関連項目

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