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鈴鹿川

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鈴鹿川
鈴鹿川:2006年(平成18年)5月撮影
鈴鹿川に架かる伊勢鉄道伊勢鉄道線橋梁
水系 一級水系 鈴鹿川
種別 一級河川
延長 38 km
平均流量 7.21 m3/s
(高岡観測所:2000年(平成12年))
流域面積 323 km2
水源 高畑山(三重県滋賀県
水源の標高 773 m
河口・合流先 伊勢湾(三重県)
流域 日本の旗 日本 三重県

地図

地図
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三重県北部を流れる河川の位置関係。濃い破線は県境、薄い破線は市町村境。河川名は木曽川水系以外は水系本川のみ記載。

鈴鹿川(すずかがわ)は、三重県北部を流れる一級水系本流

概要

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川の名前は大海人皇子東国へ向かう途中、洪水に難渋しているところに駅路鈴をつけた鹿が現れ、その背に乗って川を渡ったという伝説から付けられたとされる[1]

地理

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滋賀県との県境を成す鈴鹿山脈の高畑山(三重県・滋賀県)に発し、伊勢湾に注ぐ。流路のほとんどで東海道国道1号)が並行する。上流域はかつて鈴鹿郡関町だったが、2005年平成17年)1月11日から亀山市に編入された。

また、特筆すべき事項として、1956年昭和31年)8月1日、旧鈴鹿郡関町加太一ツ家が分水界を越えて旧阿山郡伊賀町に編入され、伊賀町一ツ家(現在は伊賀市一ツ家)となったため、主な支流の一つである加太川は伊賀市も流れている。

流域の自治体

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三重県
亀山市鈴鹿市四日市市

主な支流

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一級河川のみを下流側から順に記載する[2][3]

河川 よみ 次数 管理者 主な経過地 河川延長
(km)
備考
鈴鹿川 すずかがわ 本川 中部地方整備局
三重県
四日市市、鈴鹿市、
亀山市
38
内部川 うつべがわ 1次支川 中部地方整備局
三重県
四日市市、鈴鹿市
春雨川 はるさめがわ 2次支川 三重県 四日市市
小池川 こいけがわ 3次支川 三重県 四日市市
足見川 あしみがわ 2次支川 三重県 四日市市
鎌谷川 かまたにがわ 2次支川 三重県 四日市市
谷川 たにがわ 1次支川 三重県
四日市市
四日市市
鈴鹿川派川 すずかがわはせん 1次支川 中部地方整備局 四日市市
浪瀬川 なみせがわ 1次支川 三重県 鈴鹿市
椎山川
出屋敷川
しいやまがわ
でやしきがわ
1次支川 三重県
鈴鹿市
鈴鹿市
蒲川 がまがわ 2次支川 三重県 鈴鹿市
芥川 あくたがわ 1次支川 三重県 鈴鹿市
安楽川 あんらくがわ 1次支川 中部地方整備局
三重県
鈴鹿市、亀山市 17.7
御幣川 おんべがわ 2次支川 三重県 亀山市、鈴鹿市
鍋川 なべがわ 3次支川 三重県 鈴鹿市
八島川 やしまがわ 2次支川 三重県 亀山市、鈴鹿市
亀淵川 かめぶちがわ 3次支川 三重県 鈴鹿市
兎田川 うさぎだがわ 4次支川 三重県 鈴鹿市
寺川 てらかわ 3次支川 三重県 鈴鹿市
源明川 げんめいがわ 3次支川 三重県 鈴鹿市
原田川 はらだがわ 2次支川 三重県 亀山市
前田川 まえだがわ 2次支川 三重県 亀山市
大門川 だいもんがわ 2次支川 三重県 亀山市
我女川 がめがわ 2次支川 三重県 亀山市
水晶谷川 すいしょうだにがわ 2次支川 三重県 亀山市
宮川 みやがわ 2次支川 三重県 亀山市
椋川 むくがわ 1次支川 三重県 鈴鹿市、亀山市
亀田川 かめだがわ 2次支川 三重県 亀山市
竜川 たつがわ 1次支川 三重県 亀山市
桜川 さくらがわ 1次支川 三重県
亀山市
亀山市
石場川 いしばがわ 2次支川 三重県 亀山市
小野川 おのがわ 1次支川 三重県 亀山市
加太川 かぶとがわ 1次支川 三重県 亀山市
越川 えちがわ 2次支川 三重県 亀山市
牛谷川 うしたにがわ 2次支川 三重県 亀山市
平子川 ひらこがわ 2次支川 三重県 亀山市
小神武谷川 こじんむたにがわ 2次支川 三重県 亀山市
虻谷川 あぶたにがわ 2次支川 三重県 亀山市
神武谷川 じんむたにがわ 2次支川 三重県 亀山市
出雲谷川 いずもたにがわ 2次支川 三重県 亀山市
吉ヶ谷川 きちがたにがわ 3次支川 三重県 亀山市
喜和田川 きわだがわ 2次支川 三重県 亀山市
アマタノ川 あまたのがわ 3次支川 三重県 亀山市
大岡寺川 たいこうじがわ 2次支川 三重県 亀山市、伊賀市
市の瀬川 いちのせがわ 1次支川 三重県 亀山市
中津川 なかつがわ 1次支川 三重県 亀山市

並行する交通

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鉄道

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道路

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架橋

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江戸時代には橋はなく水かさが増したときは甲斐の渡し(鈴鹿川)の通行は容易でなかった[4]前川定五郎1832年 - 1917年大正6年))が寄付金を集め私財を投じ、1908年明治41年)に定五郎橋が完成した[4]1952年(昭和27年)5月27日、鈴鹿川堤防沿いに定五郎の顕彰碑が建てられた[4]

脚注

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  1. ^ 日本の川 - 中部 - 鈴鹿川”. www.mlit.go.jp. 2020年6月11日閲覧。
  2. ^ 国土交通省中部地方整備局. “河川コード台帳(河川コード表編)” (PDF). 2023年6月12日閲覧。
  3. ^ 国土交通省中部地方整備局. “河川コード台帳(河川模式図編)” (PDF). 2023年6月12日閲覧。
  4. ^ a b c 定五郎橋”. 三重県鈴鹿市牧田地区文化遺産. 2020年11月13日閲覧。

外部リンク

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関連項目

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