妙興寺 (千葉市)
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(野呂檀林から転送)
妙興寺 | |
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本堂 | |
所在地 | 千葉県千葉市若葉区野呂町738 |
位置 | 北緯35度34分56.2秒 東経140度14分17.9秒 / 北緯35.582278度 東経140.238306度座標: 北緯35度34分56.2秒 東経140度14分17.9秒 / 北緯35.582278度 東経140.238306度 |
山号 | 長崇山 |
宗派 | 日蓮宗 |
寺格 | 本山 |
本尊 | 三宝尊 |
創建年 | 1275年(建治元年) |
開山 | 日合 |
開基 | 曽谷直秀 |
法人番号 | 1040005000965 |
妙興寺(みょうこうじ)は、千葉県千葉市若葉区にある、日蓮宗の本山(由緒寺院)。山号は長崇山。
概要
[編集]寺伝によると、曽谷直秀が堂宇を建立し、日合を招いて開山したという。現在地より南へ少し離れた場所、鹿島川支流を隔てた加納ヶ丘の地に創建された。旧地の八反目台貝塚付近には歴代の墓所が残る。
七堂伽藍を有していたとされるが、戦国時代の永禄十二年(1569年)、里見氏が房総半島へ進出して兵乱によってことごとく焼失した。天正三年(1575年)、当地の地頭・斉藤胤次が再建願主として、現在地の土地を寄進し、講堂等堂宇を建立され、さらに天和二年(1682年)松平安芸守により一切経蔵が寄進建立されている。
江戸時代、檀林(野呂檀林)が開かれて多くの学徒が学んだが、不受不施派の弾圧により、廃檀した。当時、日講が講師を務めていたが、日向佐土原へ流罪となった。
現住は64世小澤日尤貫首。合師法縁(通師・千駄ヶ谷法縁)。
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寺名標石と山門
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子安堂
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鐘楼
歴史
[編集]- 1275年(建治元年)曽谷直秀は堂宇を建立し、日合を招いて開山する[1]。
- 1569年(永禄12年)里見氏の侵攻により、焼失する。
- 1575年(天正3年)斉藤胤次より土地の寄進を受け、移転する[2]。
- 1600年(慶長5年)池上本門寺・日観は野呂檀林を開檀する。
- 1665年(寛文5年)不受不施派の弾圧により、野呂檀林20世・日講は流罪となる。
- 1666年(寛文6年)宗門改により、野呂檀林は廃檀する。
- 1834年(天保5年)山火事により、焼失する。
- 1862年(文久2年)現在の地に移転する。
旧末寺
[編集]日蓮宗は昭和16年に本末を解体したため、現在では、旧本山、旧末寺と呼びならわしている。
- 法鏡山長善寺(千葉市若葉区坂月町)
- 不動山慈眼寺(千葉市若葉区野呂町)
- 蓮城山栄久寺(千葉市若葉区川井町)
- 昌谷山長光寺(山武市埴谷)
- 長光寺末:七面山実相院(八街市八街に)
- 長光寺末:北中山学成院(嬉野市塩田町大字五町田甲)
- 福増山本念寺(市原市福増)
- 妙蓮山本成寺(大網白里市養安寺)
交通アクセス
[編集]千葉駅よりちばフラワーバス成東行き、中野操車場行き「芳賀」下車。