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赤嶺真吾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
赤嶺 真吾
名前
愛称 シンゴ[1][2]
カタカナ アカミネ シンゴ
ラテン文字 AKAMINE Shingo
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1983-12-08) 1983年12月8日(40歳)
出身地 沖縄県那覇市
身長 180cm
体重 78kg
選手情報
ポジション FW (CF, ST)
利き足 右足[1]
ユース
日本の旗 FC小禄
1996-1998 日本の旗 小禄中学校
1999-2001 日本の旗 鹿児島実業高校
2002-2005 日本の旗 駒澤大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2005-2010 日本の旗 FC東京 101 (24)
2010 日本の旗 ベガルタ仙台(loan) 15 (4)
2011-2014 日本の旗 ベガルタ仙台 120 (40)
2015-2016 日本の旗 ガンバ大阪 13 (0)
2016 日本の旗 ファジアーノ岡山(loan) 41 (4)
2017-2020 日本の旗 ファジアーノ岡山 111 (13)
2021 日本の旗 FC琉球 27 (3)
通算 428 (88)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

赤嶺 真吾(あかみね しんご、1983年12月8日 - )は、沖縄県那覇市出身の元プロサッカー選手駒澤大学出身。ポジションはフォワード(FW)。家族は妻と一女と四男。駒沢大学時代に知り合った女性と結婚。

来歴

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プロ入り以前

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小学校3年生の時に従兄の影響でサッカーを始める[3][4]1999年、中学の先輩からの勧誘と[4]全国高校選手権への憧れから、鹿児島実業高校に越境進学。それまで主にMFとしてプレーしていたが、高校に入ってからFWを志望した[4]2001年(高校3年次)には、同期の立石飛鳥登尾顕徳松下年宏らと共にインターハイ及び選手権に出場し、共にベスト4入りした(選手権では準決勝で国見に敗れたが[5]、大会優秀選手に選出されている[6])。

2002年駒澤大学へ進学。1年次は、3期先輩の深井正樹巻誠一郎がFWに定着していたため[6][4][7] 出場機会が限られたが、2年次からは滞空時間の長いヘディングシュートを武器に[2] エースとして活躍[7][8]。2度の全日本大学選手権ベストFW賞など[2]数々の栄冠を手にした。2005年のユニバーシアード夏季大会でも優勝に貢献[9]。学生No.1ストライカーとして名を馳せた[2][7]。なお、1期後輩のFW原一樹及び巻佑樹との共存のためにMFでプレーしたこともあった[8]

2005年6月、Jリーグ特別強化指定選手としてFC東京に加入[10][11]。同月11日開催のナビスコ杯千葉戦で公式戦初出場を果たした[7]

FC東京

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2006年、FC東京に正式に入団[12][13]。シーズン当初はベンチ入りできずにいたが、徐々に途中出場の機会を増やしていった。プロ初ゴールはJ1第8節・千葉戦で記録。相手GKがこぼしたところを泥臭く押し込んだ。

2007年は、原博実監督から「使い続ければ二桁は(得点を)取れる」と期待を寄せられてはいたものの[14]、原は4-2-3-1の布陣を採用し、センターフォワードとしてルーカスを固定的に起用。これにより、途中出場の機会が与えられるのは2列目の攻撃的MFに限定され、赤嶺は練習試合で得点を重ねていたものの、ベンチ入りもままならなかった。しかし、第20節磐田戦で大敗したことをきっかけに、第21節戦からは赤嶺とルーカスが2トップを組む形での4-4-2に変更[15]。シーズン終盤には右膝外側半月板損傷により欠場したが[16]スターティングメンバーに定着し[17]、前線からの果敢なプレスでチームを活性化[3]。FWの一角として存在感を示した。シーズン終了後入籍[1][18]

2008年4月には、同月16日磐田戦及び19日川崎戦での連続得点など好調ぶりを見せ[19]岡田武史率いる日本代表(A代表)候補合宿に初招集された[20]。この年の東京のFWは、赤嶺または平山相太カボレと組ませるという起用法[21] を基本としていたため、平山の起用が続いた時期には出場時間をやや減らしたが、カボレを左ウイングに配する3トップの布陣が採用されてからは、赤嶺がセンターフォワードに入り、サイドからのボールに飛び込む形で[22] 得点を量産[注 1]。公式戦18得点と結果を残した。シーズン終了後には神戸からの獲得オファーが報じられたが[24]大晦日にFC東京への残留を表明[25]

2009年は平山が復調、赤嶺は出場機会を減らしていたところ、6月に磐田から完全移籍での獲得オファーが届き[26][27]、約2週間後にFC東京残留を選択[28][29]。同年9月のFC東京対磐田では、赤嶺が終盤に殊勲の決勝点を挙げ、劇的な勝利の立役者となった。同月のカボレ退団以後は同年のナビスコカップ決勝戦などで先発出場し優勝に貢献するなど出場機会を増やしたが、昨シーズンの半分以下の5得点という苦しいシーズンとなった。

2010年は、城福浩監督から「ゴール前で一瞬でマークを外せるワンタッチゴーラーとしてのよさがある」など評価されながらも[30]、出場機会は昨シーズンよりさらに減少、中断期間にベガルタ仙台から獲得オファーを受け、「もっと試合に出たい」と[31][32] 8月に仙台へ期限付き移籍した[33][34]

ベガルタ仙台

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仙台では、手倉森誠監督から「90分アグレッシブに前でボールが収まり、ゴールに向かう姿勢がある」[35]「裏への引き出しや起点としても良い」[36] と高く評価され、スタメンに定着。MF梁勇基が「ボールを受けるアクションがはっきりしているので、パスが出しやすい」とコメントし[32]、J1第28節京都戦では、ボールを持ちすぎて[35] 孤立しがちだった[37]フェルナンジーニョとのコンビネーションを手倉森から評価される[36] など、他アタッカーとの好連携を早々に築いた。J1第26節・本籍を持つFC東京との対戦では終盤に決勝点をアシストし勝利に貢献の他、試合を決定付けるゴールを決めるなど、新エースとして活躍し[38] 仙台のJ1残留の原動力の一つとなった。12月4日、鹿児島実業高校の先輩である平瀬智行の引退セレモニーの中で、後継者に指名された[38][39]。シーズン終了後には、FC東京からの契約更新、仙台からの慰留、磐田からの再オファーと、争奪となった[40][41]。古巣への復帰も考えていたが[40] FWの柱として期待する仙台の熱意に押され[41]2011年より完全移籍[42][43]

2011年は平瀬から託された背番号14の着用を固辞し、引き続き24番で臨んだ。怪我や累積警告による出場停止を除いてリーグ戦では31試合に先発出場し前線の主軸として活躍、クラブ新記録となる5試合連続得点を挙げるなどFC東京在籍時を上回る14得点を挙げ、仙台の躍進に貢献した。2012年もリーグ戦30試合出場で14得点(内、10得点はヘディングによる[44])と活躍し、自身の目標であった「2年連続2桁得点」を達成。クラブの年間MVP及びJリーグ優秀選手賞に選出された[45]

2013年はシステム変更や怪我の影響もありリーグ戦は3得点に留まった[46]2014年は開幕直後こそ出場機会に恵まれなかったが、4月以降はスタメンに復帰し5月には月間MVPを受賞[47]。後半戦、チームは残留争いの渦中に立たされたが、チーム最多の9得点を決め、仙台のJ1残留に大きく貢献した[46]

ガンバ大阪

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2014年12月25日、ガンバ大阪への完全移籍が発表された[48][49]。ガンバではレギュラー争いに割って入ることができず、2015年シーズンはプロ入り初めてとなる公式戦無得点に終わった。

ファジアーノ岡山

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2016年、ファジアーノ岡山への期限付き移籍が発表された。11月27日、プレーオフ準決勝・松本山雅FC戦では1-1で迎えた後半に、決勝ゴールを決める活躍をみせて決勝進出に貢献した。2017年シーズンより完全移籍に移行[50]

2020年11月30日、契約満了による退団が発表された[51]

FC琉球

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2021年1月18日に地元のFC琉球に移籍することが発表された[52]

12月10日、現役引退が発表された。

エピソード

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  • 実弟の赤嶺佑樹[53]FC琉球などに所属したサッカー選手[54]
  • ジュビロ磐田戦での得点が多いことから「ジュビロキラー」と呼ばれる[55][56]。FC東京は2008年に赤嶺の決勝点でアウェイ初勝利を記録し、翌2009年のアウェイ戦も赤嶺の決勝点で勝利。同年9月のホーム戦でもロスタイムに決勝点を挙げるなど相性が良かった。
  • 原博実によると「重馬場に強い選手」[57]
  • 鹿児島実業高校の同級生でFC東京やベガルタ仙台でもチームメートだった松下年宏によると「癒し系[58]
  • FC東京のJ1通算400ゴール目(2008年9月13日、vs大宮[59]、Jリーグ通算14500ゴール目(2010年8月22日、大宮vs仙台)、仙台のJ1通算100ゴール目(2010年9月25日、vs横浜FM[60]、同200ゴール目(2012年10月20日、vs浦和[61] と節目のゴールを挙げている。

所属クラブ

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ユース経歴
プロ経歴

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2003 駒澤大 - - - 1 0 1 0
2004 - - 1 0 1 0
2005 FC東京 34 J1 0 0 1 0 0 0 1 0
2006 24 16 3 3 0 0 0 19 3
2007 15 4 4 2 1 0 20 6
2008 30 12 6 3 4 3 40 18
2009 28 5 9 1 3 1 40 7
2010 9 12 0 4 1 - 16 1
仙台 24 15 4 - 0 0 15 4
2011 31 14 3 0 3 0 37 14
2012 30 14 5 1 2 0 37 15
2013 28 3 2 0 4 2 34 5
2014 31 9 5 1 0 0 36 10
2015 G大阪 13 0 2 0 0 0 15 0
2016 岡山 J2 41 4 - 0 0 41 4
2017 22 10 - 0 0 22 10
2018 36 2 - 0 0 36 2
2019 22 1 - 1 0 23 1
2020 31 0 - - 31 0
2021 琉球 27 3 - 1 0 28 3
通算 日本 J1 249 68 44 9 17 6 310 83
日本 J2 179 20 - 2 0 181 20
日本 - - 2 0 2 0
総通算 428 88 44 9 21 6 493 103
  • 2005年は特別指定選手として出場

その他の公式戦

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2013 仙台 24 4 0
2015 G大阪 3 0
通算 AFC 7 0

その他の国際公式戦

タイトル

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クラブ

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駒澤大学
FC東京
ガンバ大阪

代表

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ユニバーシアード日本代表

個人

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  • 関東大学サッカーリーグ戦 ベストイレブン:3回(2003年、2004年、2005年)
  • 全日本大学サッカー選手権大会 ベストFW賞:2回(2003年、2004年)
  • Jリーグ 優秀選手賞:1回(2012年)
  • Jリーグ 月間MVP:2回(J1:2014年5月, J2:2017年7月)

代表歴

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ユニバーシアード代表

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日本代表

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  • 2008年4月 候補入り[20]。トレーニングキャンプに参加。

脚注

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注釈
  1. ^ 城福曰く「結果にこだわらなければならなかったので、石川直宏やカボレの特徴(であるスピード)を活かすシステムを採用した」。赤嶺にとっては奏功した戦術転換だったが、城福の理想に適うものではなかった[23]
出典
  1. ^ a b c 選手データベース - ウェイバックマシン(2010年1月10日アーカイブ分) WEBサッカーマガジン (2008年2月21日)
  2. ^ a b c d e f FC東京ファンブック2006. 毎日新聞社. (2006). p. 56 
  3. ^ a b 『FC東京ファンブック2008』毎日新聞社、2008年、36頁。 
  4. ^ a b c d FORZA駒澤 選手紹介 赤嶺真吾(FW・4年) (PDF) 駒大スポーツ
  5. ^ 【第80回全国高校サッカー選手権大会】試合スコア速報 スポーツナビ (2002年1月7日)
  6. ^ a b <駒大・サッカー部:赤嶺真吾> 進化するストライカー 日刊スポーツ
  7. ^ a b c d <サッカー:駒大・赤嶺真吾> J1デビュー果たした大学NO.1ストライカー 日刊スポーツ
  8. ^ a b FORZA駒澤55 (PDF) 駒大スポーツ
  9. ^ 【イズミル大会・サッカー】男子日本チームPK戦の末金メダル獲得! 日本オリンピック委員会 (2005年8月22日)
  10. ^ 赤嶺真吾選手(駒沢大学)「JFA・Jリーグ特別指定選手」承認のお知らせ - ウェイバックマシン(2005年10月16日アーカイブ分) FC東京 (2005年6月8日)
  11. ^ 赤嶺、FC東京の特別指定選手に 駒大スポーツ (2005年6月8日)
  12. ^ 赤嶺真吾選手 (駒沢大学) 来季新加入内定のお知らせ - ウェイバックマシン(2005年11月24日アーカイブ分) FC東京 (2005年9月26日)
  13. ^ a b c 赤嶺真吾、FC東京入団内定 駒大スポーツ (2005年9月26日)
  14. ^ ワンチョペだ赤嶺だ 東京FW争いヒートアップ - ウェイバックマシン(2008年1月13日アーカイブ分) 東京中日スポーツ (2007年2月2日)
  15. ^ 『FC東京ファンブック2008』毎日新聞社、2008年、110頁。 
  16. ^ 赤嶺真吾選手の手術結果について - ウェイバックマシン(2007年11月23日アーカイブ分) FC東京 (2007年11月21日)
  17. ^ J1初 90分での4連勝 J1 第26節 9月23日 (日) vs. 清水 東京中日スポーツ (2007年9月24日)
  18. ^ 赤嶺真吾選手 入籍のお知らせ - ウェイバックマシン(2008年1月13日アーカイブ分) FC東京 (2008年1月11日)
  19. ^ 赤嶺が代表補候初選出 高松が辞退し追加招集 - ウェイバックマシン(2008年4月22日アーカイブ分) 東京中日スポーツ (2008年4月21日)
  20. ^ a b 日本代表候補 トレーニングキャンプメンバー(4/21-23)に、赤嶺真吾選手追加招集のお知らせ - ウェイバックマシン(2008年4月23日アーカイブ分) FC東京 (2008年4月20日)
  21. ^ 2008プレシーズンマッチ F東京 vs クラブ オリンピア】レポート J's GOAL (2008年8月1日)
  22. ^ FIELD VOL.1211 - ウェイバックマシン(2008年12月20日アーカイブ分) WEBサッカーマガジン (2008年10月18日)
  23. ^ 馬場康平『まっすぐに平常心』出版芸術社、2010年、199頁。 
  24. ^ 赤嶺大揺れ年越し 東京残留か神戸移籍か 東京中日スポーツ (2008年12月31日)
  25. ^ 赤嶺残留 東京中日スポーツ (2009年1月1日)
  26. ^ 東京FW赤嶺に磐田が獲得オファー 日刊スポーツ (2009年6月30日)
  27. ^ 磐田、赤嶺と直接交渉で複数年契約提示へ スポーツニッポン (2009年7月1日)
  28. ^ 東京FW赤嶺がオファー断り残留決断 日刊スポーツ (2009年7月13日)
  29. ^ 磐田・赤嶺獲得を断念 - ウェイバックマシン(2009年7月17日アーカイブ分) 静岡新聞 (2009年7月14日)
  30. ^ 【ヤマザキナビスコカップ FC東京vs名古屋】城福浩監督記者会見コメント J's GOAL (2010年3月31日)
  31. ^ 【仙台・赤嶺真吾選手加入会見】赤嶺真吾選手コメント J's GOAL (2010年8月12日)
  32. ^ a b 仙台に新加入の赤嶺選手「どんどん北に来て寒さが心配」 (archive) エル・ゴラッソ (2010年8月12日)
  33. ^ 赤嶺真吾選手 ベガルタ仙台へ期限付き移籍決定のお知らせ - ウェイバックマシン(2010年8月17日アーカイブ分) FC東京 (2010年8月11日)
  34. ^ FC東京 赤嶺真吾選手 期限付き移籍加入のお知らせ ベガルタ仙台 (2010年8月11日)
  35. ^ a b 【J1:第18節 仙台vsG大阪】手倉森誠監督記者会見コメント J's GOAL (2010年8月14日)
  36. ^ a b 【J1:第28節 仙台 vs 京都】手倉森誠監督記者会見コメント J's GOAL (2010年10月30日)
  37. ^ 8月28日のJリーグ (浦山利史) サッカーを読む! Jマガ (2010年8月28日)
  38. ^ a b 仙台赤嶺残留! 柳沢の加入も決定 日刊スポーツ (2010年12月25日)
  39. ^ 元日本代表FW平瀬、“後継者”に赤嶺を指名…仙台 - ウェイバックマシン(2010年12月13日アーカイブ分) スポーツ報知 (2010年12月5日)
  40. ^ a b 赤嶺 仙台に完全移籍へ 東京中日スポーツ (2010年12月25日)
  41. ^ a b F東京からFW赤嶺を完全移籍で獲得…仙台 - ウェイバックマシン(2011年1月3日アーカイブ分) スポーツ報知(2010年12月31日)
  42. ^ 赤嶺真吾選手 ベガルタ仙台へ完全移籍決定のお知らせ - ウェイバックマシン(2011年1月7日アーカイブ分) FC東京 (2010年12月30日)
  43. ^ FC東京 赤嶺真吾選手 完全移籍加入のお知らせ ベガルタ仙台 (2010年12月30日)
  44. ^ 仙台赤嶺ヘッド王/日刊アウォーズ 日刊スポーツ (2012年12月26日)
  45. ^ 2012Jリーグアウォーズ:優秀選手賞 Jリーグ
  46. ^ a b 仙台FW赤嶺がG大阪に完全移籍へ 日刊スポーツ (2014年12月10日)
  47. ^ 【2014Jリーグ J1リーグ戦/J2リーグ戦】5月度の「コカ・コーラ Jリーグ月間MVP」決定 ~ J1:赤嶺 真吾選手(ベガルタ仙台) Jリーグ (2014年6月12日)
  48. ^ 赤嶺 真吾選手 ガンバ大阪へ完全移籍のお知らせ ガンバ大阪公式サイト (2014年12月25日)
  49. ^ 赤嶺真吾選手 ガンバ大阪へ完全移籍のお知らせ ベガルタ仙台公式サイト (2014年12月25日)
  50. ^ 赤嶺真吾選手 完全移籍加入のお知らせ ファジアーノ岡山公式サイト (2016年12月28日)
  51. ^ 契約満了選手のお知らせ ファジアーノ岡山公式サイト (2020年11月30日)
  52. ^ 赤嶺真吾選手 完全移籍加入のお知らせ』(プレスリリース)FC琉球、2021年1月18日http://fcryukyu.com/news/26299/2021年1月23日閲覧 
  53. ^ 【第87回天皇杯3回戦 山形 vs 鹿屋体育大学】プレビュー J's GOAL (2007年10月7日)
  54. ^ FC琉球MF赤嶺が海邦銀行へレンタル 日刊スポーツ (2008年4月1日)
  55. ^ 仙台・赤嶺 ジュビロキラー復帰![リンク切れ] サンケイスポーツ(2011年8月23日)
  56. ^ やっぱり赤嶺 磐田キラー本領発揮弾 J1 第4節 4月4日(土)vs.磐田 東京中日スポーツ (2009年4月5日)
  57. ^ 【ヤマザキナビスコカップ FC東京 vs 横浜FM】原博実監督記者会見コメント J's GOAL (2007年7月14日)
  58. ^ Tokyo Mania 第40回 松下年宏選手インタビュー 182Channel (2010年6月16日)
  59. ^ 試合記録 FC東京
  60. ^ 赤嶺のV弾はチームJ1通算100ゴール!…仙台 - ウェイバックマシン(2010年9月27日アーカイブ分) スポーツ報知 (2010年9月26日)
  61. ^ 【仙台】赤嶺2年連続2ケタ弾/J1 日刊スポーツ (2012年10月20日)
  62. ^ 赤嶺選手 リーグ戦100試合出場![リンク切れ] FC東京 (2010年7月29日)

関連項目

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外部リンク

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