藤田与志男
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(藤田在子から転送)
ふじた よしお 藤田 与志男 | |
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生誕 |
1941年[1] 日本 東京都渋谷区[1] |
死没 | 2008年5月10日(67歳没)[2] |
出身校 | 青山学院大学経済学部[1] |
職業 | |
肩書き |
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配偶者 | 藤田 在子[1] |
藤田 与志男(ふじた よしお、1941年[1] - 2008年5月10日[2])は、日本の実業家、馬主。
かつての馬主登録の表記は藤田 與志男であった。
経歴
[編集]東京都渋谷区に生まれ、杉並区で育つ[1]。青山学院大学経済学部を卒業後、フジテレビの関連企業に就職、海外系の部署に配属されたのち、28歳で退社しアメリカ合衆国に渡り、ノースカロライナ州の大学に留学する[1]。その後、輸入貿易業の会社を設立した[1]。
2008年、体調不良により4月から入院していたが[3]、5月10日、心不全により死去[2]。67歳没。
馬主活動
[編集]日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録する馬主として知られた。勝負服の柄は水色、赤縦縞、袖赤一本輪(以前は紫、袖黄元禄)を使用し、冠名には自身が犬好きなことから「シベリアン」や、愛犬のマルチーズに由来する[1]「マルターズ」を用いたが[3]、冠名のない馬も所有した。育成馬の多くは吉澤ステーブルに預託していた。
兄とともに学生時代から競馬場に通っていたという[1]。馬主になったきっかけは「アメリカでしょうね」と語り[1]、米国在住時に仕事の付き合いから知り合ったカイザー・キンメル[注 1]とジョン・キンメル[注 2]父子に「ヘイロー系の牝馬が欲しい」と相談し購入したアファームドヘイローが初の所有馬となる[1]。
来歴
[編集]- 1995年頃 - アメリカにて馬主となる[1]。アメリカでの所有馬ルラヴィはブリーダーズカップ・ディスタフにも出走し5着になるなど、重賞を含む11勝を上げる活躍をする。
- 1997年12月 - 日本中央競馬会の馬主資格を取得[2]。
- 2000年 - マルターズスパーブがフラワーカップを制し、所有馬が国内重賞初制覇[1]。
- 2007年 - ゴスホークケンが朝日杯フューチュリティステークスを制し、所有馬がJpnI級競走初制覇[1]。
- 2008年5月10日 - 死去。所有馬と勝負服の柄は妻の藤田在子(ふじた ながこ)に引き継がれることになった[2]。
主な所有馬
[編集]JpnⅠ級競走優勝馬
[編集]- ゴスホークケン(2007年朝日杯フューチュリティステークス)
重賞競走優勝馬
[編集]- ルラヴィ / Lu Ravi(1998年コティリオンハンディキャップ、フェアグラウンズオークス、アラバマステークス2着、2000年モリーピッチャーステークス、シクスティセイルズステークス、デラウェアハンデキャップ、アップルブロッサムハンデキャップ2着、2001年アップルブロッサムH2着)
- マルターズスパーブ(2000年フラワーカップ)
- シベリアンメドウ(2001年京王杯2歳ステークス)
- マルターズヒート(2003年フェアリーステークス)
- ブラックバースピン(2007年CBC賞)
その他の所有馬
[編集]- サンターナズソング(2002年アネモネステークス)
- シベリアンホーク(2003年キャピタルステークス、京成杯オータムハンデキャップ2着)
- アポインテッドデイ(2003年朝日杯フューチュリティステークス3着、京王杯2歳ステークス2着、2004年共同通信杯2着)
藤田在子の所有馬
[編集]- ブラックバースピン(与志男の没後に名義変更)
- ゴスホークケン(与志男の没後に名義変更)
- マルターズアポジー(2016年福島記念、2017年小倉大賞典、関屋記念)
- アルタイル(2017年オアシスステークス、2018年ポルックスステークス)
- マルターズディオサ(2019年阪神ジュベナイルフィリーズ2着、2020年チューリップ賞、紫苑ステークス)