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莫代宗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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代宗 莫敬恭
莫朝
第8代皇帝
王朝 莫朝
在位期間 1593年 - 1621年
姓・諱 莫敬恭
諡号 起天挺地克文定武霊皇帝
廟号 代宗
生年 不詳
没年 隆泰8年5月12日
1625年6月16日
莫敬典
元号 乾統 : 1593年 - 1621年

莫代宗(ばくだいそう、マク・カントン、ベトナム語Mạc Cảnh Tông / 莫代宗)は、莫朝大越の第8代皇帝。名は莫 敬恭(マク・キン・クン、ベトナム語Mạc Kính Cung / 莫敬恭)。

生涯

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謙王莫敬典中国語版の七男[1]で、閔宗中国語版の弟にあたる。敦厚王に封じられていた。康佑元年(1593年)に兄帝が後黎朝軍に捕らえられると、岸郡公莫玉輦中国語版に擁立されて文蘭州で即位し[1][2]海陽京北ベトナム語版に拠る勢力の支持を得た。翌乾統2年(1594年)に安博県に移ったが、後黎朝軍に敗れて思明府中国語版に奔り、に称臣した。端国公阮潢率いる後黎朝水軍の攻勢などによって莫朝から寝返る将軍が後を絶たず、代宗は莫玉輦と共に明の竜州に逃亡した[2]

乾統8年(1600年)に英祖中国語版の生母であった裴氏が昇龍国母を称すると、これに迎えられた代宗は昇龍に入った[3]が、後黎朝の平安王鄭松に敗れて金城県に逃亡し、その後高平に撤退した。乾統29年(1621年)、従甥の莫敬寛に譲位して大慈県に移り、太上皇を称した。

隆泰8年(1625年)、清都王中国語版率いる後黎朝軍の侵攻を受けて捕らえられ、清華で斬首された。

出典

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  1. ^ a b 大越史記全書』本紀続編巻之十七 黎皇朝紀 世宗毅皇帝
  2. ^ a b ベトナム史略』第2巻 自治の時代 第2章 南北朝
  3. ^ 『大越史記全書』本紀続編巻之十八 黎皇朝紀 敬宗恵皇帝
先代
閔宗
莫朝の第8代皇帝
1593年 - 1621年
次代
光祖