松岡城 (常陸国)
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(竜子山城から転送)
松岡城 (茨城県) | |
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本丸跡 | |
別名 | 龍子山城・手綱城 |
城郭構造 | 山城・平山城 |
築城主 | 大塚氏 |
築城年 | 室町時代 |
主な改修者 | 大塚隆通、戸沢政盛、中山信敬 |
遺構 | 土蔵、土塁、堀、井戸跡 |
位置 | 北緯36度44分24.4秒 東経140度42分21.6秒 / 北緯36.740111度 東経140.706000度座標: 北緯36度44分24.4秒 東経140度42分21.6秒 / 北緯36.740111度 東経140.706000度 |
松岡城(まつおかじょう)は、茨城県高萩市下手綱(常陸国多賀郡)にあった日本の城。龍子山城(たつごやまじょう)・手綱城(たづなじょう)とも呼ばれる。明治時代初期には常陸松岡藩の藩庁が置かれた。
歴史
[編集]室町時代、この地の領主であった大塚氏によって築かれたと考えられるが、築城年代ははっきりしない。当初は山城であり、龍子山城と呼ばれており、山麓に居館が設けられていた。
慶長7年(1602年)、松岡の地に4万石で入封した戸沢政盛は、龍子山城の麓に城郭を整備して平山城とし、名を松岡城とした。元和8年(1622年)、戸沢氏が出羽新庄藩に転封されると、松岡は水戸藩の所領となった。正保3年(1646年)、水戸藩の付家老中山信政に松岡城が与えられた。中山氏は宝永4年(1707年)に常陸太田に移り、松岡城は空城になった。享和3年(1803年)、中山信敬は再び松岡城に戻り、城郭や城下町を整備した。明治維新後の明治元年(1868年)、中山氏は正式に諸侯として認められた。
松岡城に天守や櫓はなく、陣屋程度の規模であったといわれる。山頂に本丸を置き、麓に二の丸御殿や家臣の住まいがあり、三の丸に役所、台所、家臣の住まいが軒を連ねていたといわれる。
考古資料
[編集]遺構
[編集]役所の置かれていた三の丸は、高萩市立松岡小学校の敷地となっている。土蔵、土塁、堀が遺構としてある。