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真苑雑物

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真苑雑物
時代 平安時代初期
生誕 不明
死没 不明
改名 孝成→玉作佐比毛知
別名 佐比毛知
官位 従五位上玄蕃頭
主君 嵯峨天皇淳和天皇仁明天皇
氏族 玉作(無姓)→真苑宿弥
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真苑 雑物(まその の さいもち)は、平安時代初期の貴族僧侶氏姓は玉作(無姓)のち真苑宿弥。名は佐比毛知とも記される。官位従五位上玄蕃頭

経歴

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出自は玉作氏。出家して孝成と名乗り、興福寺の僧侶になった。弘仁6年(815年)には宮中にて天台宗光定宗論を行う[1]

のち還俗して玉作 佐比毛知と名乗る。弘仁7年(816年)に従七位下から八階昇進して、外位従五位下に叙される。弘仁10年(819年)に図書助に任ぜられ、弘仁13年(822年)には内位の従五位下に叙せられるが、これまでに真苑宿弥姓に改姓している。承和元年(834年)従五位上・因幡守に叙任されたほか、玄蕃頭を務めたともされる。

法相宗の教義に秀でており、最澄の『顕戒論』を厳しく批判した。

官歴

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六国史』による。

脚注

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  1. ^ 『日本文徳天皇実録』天安2年8月10日条