熊野田村
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(熊野代から転送)
くまのだむら 熊野田村 | |
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廃止日 | 1936年(昭和11年)10月15日 |
廃止理由 |
新設合併 熊野田村、豊中町、麻田村、桜井谷村 → 豊中市 |
現在の自治体 | 豊中市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 大阪府 |
郡 | 豊能郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 |
桜井谷村、豊中町、中豊島村 三島郡新田村 |
熊野田村役場 | |
所在地 | 大阪府豊能郡熊野田村 |
座標 | 北緯34度47分16秒 東経135度28分34秒 / 北緯34.78769度 東経135.47614度座標: 北緯34度47分16秒 東経135度28分34秒 / 北緯34.78769度 東経135.47614度 |
ウィキプロジェクト |
熊野田村(くまのだむら)は、かつて大阪府にあった村。古くは熊野代とも表記された。花山上皇が紀州熊野三山を模した寺を建て、山号を熊野代山と称した。かつての摂津国豊島郡の一地域で、現在の豊中市の赤阪、旭丘、東泉丘、西泉丘などの東部を村域とした。
略歴
[編集]- 1401年(応永8年) 古文章の「春日社領垂水西牧田数帳」に「熊野田村 拾町 公田定」と村の存在が記述された項目が出てくる。
- 1594年(文禄3年) 9月の豊臣秀吉による太閤検地の際、「豊島郡熊野田村御検地帳写」には「村高429石 家数138」と書かれた記述がみられる。
- 1605年(慶長10年) 「摂津国絵図」に村の記述がみられる。
- 1818年(文政元年)頃 漢方医の石丸周吾によって私立の精神科診療所「石丸癲狂院」(後の石丸病院、第二次世界大戦中に閉院)が開院[1]
- 1889年(明治22年)4月1日 町村制施行により、豊島郡熊野田村(町村制)が発足。
- 1896年(明治29年)4月1日 郡の統合により豊能郡が成立。
- 1936年(昭和11年)10月15日 豊中町、麻田村、桜井谷村と合併して、豊中市となる。
- 熊野田村は町村制施行時、単独施行につき大字が編成されなかったことから、以降約20年間、旧 熊野田村域は豊中市の大字無しの地区となる。
- 1956年(昭和31年) 豊中市熊野町の起立により熊野の名が復活。
周辺
[編集]- 豊中市立熊野田小学校 - 町内で唯一熊野田村の「熊野田」の名残を受け継いでいる。
- 天竺川
脚注
[編集]- ^ 精神医学の歴史 小俣和一郎 第三文明社 ISBN 9784476012521 p120,242
参考文献
[編集]- 『精神医学の歴史』 小俣和一郎 第三文明社 ISBN 9784476012521