松前城 (伊予国)
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![]() (愛媛県) | |
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![]() 松前城跡 | |
別名 | 正木城 |
城郭構造 | 平城 |
天守構造 | 不明 |
築城主 | 不明 |
主な改修者 | 今田氏、大森氏、河野氏、粟野氏、加藤氏 |
指定文化財 | なし |
松前城(まさきじょう)は、伊予国伊予郡(愛媛県伊予郡松前町)にあった日本の城。
概要
[編集]築城年月など起源は不明であるが、平安時代初期には存在したと考えられている[1]。
南北朝時代には、合田貞遠、大森彦七らが城主になった。戦国時代には河野氏の拠点の一つであったが、天正13年(1585年)豊臣秀吉の四国征伐で、河野通直は敗れ、松前城は粟野秀用が城主となった。しかし、粟野秀用は、豊臣秀次事件に連座し除封された。
文禄4年(1595年)、加藤嘉明が伊予国に入り城主となり松前城を改修した[1]。
慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いでは、加藤嘉明は、東軍に従い城を留守としていたが、西軍の毛利軍と、河野氏の残党が松前城を襲ったが、佃十成らが撃退した(三津浜夜襲)。
戦後、慶長8年(1603年)に嘉明は、松山城に移ったため、城は廃城となった。
遺構
[編集]松前城の龍燈の松が植えられていた場所を「松前城跡」としている[1]。1925年(大正14年)に建立された碑には秋山好古の題額が取り付けられている[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c d “愛媛県松前町町勢要覧2021”. 松前町. p. 27. 2025年2月6日閲覧。