李亨澤
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李亨澤 | |||||||||||||||||||
基本情報 | |||||||||||||||||||
国籍 | 大韓民国 | ||||||||||||||||||
出身地 | 同・横城郡 | ||||||||||||||||||
生年月日 | 1976年1月3日(48歳) | ||||||||||||||||||
身長 | 180cm | ||||||||||||||||||
体重 | 81kg | ||||||||||||||||||
利き手 | 右 | ||||||||||||||||||
バックハンド | 片手打ち | ||||||||||||||||||
ツアー経歴 | |||||||||||||||||||
デビュー年 | 1995年 | ||||||||||||||||||
引退年 |
2009年 (2013年-2015年復帰) | ||||||||||||||||||
ツアー通算 | 2勝 | ||||||||||||||||||
シングルス | 1勝 | ||||||||||||||||||
ダブルス | 1勝 | ||||||||||||||||||
生涯通算成績 | 201勝236敗 | ||||||||||||||||||
シングルス | 161勝164敗 | ||||||||||||||||||
ダブルス | 40勝72敗 | ||||||||||||||||||
生涯獲得賞金 | $2,355,686 | ||||||||||||||||||
4大大会最高成績・シングルス | |||||||||||||||||||
全豪 | 2回戦(2003・08) | ||||||||||||||||||
全仏 | 3回戦(2004・05) | ||||||||||||||||||
全英 | 3回戦(2007) | ||||||||||||||||||
全米 | 4回戦(2000・07) | ||||||||||||||||||
4大大会最高成績・ダブルス | |||||||||||||||||||
全豪 | 2回戦(2005・08) | ||||||||||||||||||
全仏 | 3回戦(2005) | ||||||||||||||||||
全英 | 1回戦(2003・05・07) | ||||||||||||||||||
全米 | 2回戦(2003・07) | ||||||||||||||||||
キャリア自己最高ランキング | |||||||||||||||||||
シングルス | 36位(2007年8月6日) | ||||||||||||||||||
ダブルス | 95位(2006年1月16日) | ||||||||||||||||||
獲得メダル | |||||||||||||||||||
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李 亨澤(イ・ヒョンテク、이형택, 英語表記:Lee Hyung-taik, 1976年1月3日 - )は、韓国・横城郡出身の男子プロテニス選手。韓国のプロテニス選手として初めて、ATPツアー大会でシングルス・ダブルスともにタイトルを獲得した。シングルス自己最高ランキングは36位(2007年8月)。身長180cm、体重81kg、右利き。
経歴
[編集]李は故郷の横城郡で、学校の教師に勧められて9歳からテニスを始めた。1995年に19歳でプロ入りし、直ちに男子テニス国別対抗戦・デビスカップ韓国代表選手に選出される。翌年の1996年アトランタ五輪でオリンピックにも初出場したが、この大会では男子ダブルスのみに出場し、1回戦でジンバブエ代表の「ブラック兄弟」(バイロンとウェイン)に敗れた。4年後、李亨澤は2000年全米オープンで4大大会デビューを果たす。予選3試合を勝ち抜いた李は、本戦でもピート・サンプラスとの4回戦まで進出し、韓国の男子テニス選手として4大大会初勝利を獲得した。この後シドニー五輪で2度目のオリンピックにも出場し、男子シングルスに初出場を果たすが、1回戦でスペイン代表のフアン・カルロス・フェレーロに敗れた。
2003年1月、李亨澤はシドニー国際決勝でフアン・カルロス・フェレーロを4-6, 7-6, 7-6で破り、韓国の男子テニス選手として最初のATPツアー大会優勝者になった。1ヶ月後、SAPオープンのダブルスでウラジミール・ボルチコフとペアを組み、ダブルスでも初優勝を果たす。その後、2004年・2005年の2年連続で全仏オープンの3回戦に進出した。3度目のオリンピック出場となった2004年アテネ五輪でも、初めて男子シングルスの初戦を突破し、チリ代表のフェルナンド・ゴンサレスとの2回戦に進出している。2004年は、全米オープンでも4年ぶりの3回戦に勝ち上がり、アンドレイ・パベルに敗れた。
李亨澤は2007年、韓国のテニス選手として史上初の世界ランキング50位以内に入った。当年度の成績は、ウィンブルドンで初の3回戦進出と、全米オープンで4回戦進出がある。李は3回戦でアンディ・マリーを破り、2000年以来7年ぶり2度目の4回戦に勝ち上がったが、4回戦で第4シードのニコライ・ダビデンコに1-6, 3-6, 4-6で敗れた。
李亨澤は2009年に現役を引退した。その後2013年に現役復帰を発表し2015年までチャレンジャー大会を中心に出場した。
ATPツアー決勝進出結果
[編集]シングルス: 2回 (1勝1敗)
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結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | 対戦相手 | スコア |
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準優勝 | 1. | 2001年4月30日 | ヒューストン | クレー | アンディ・ロディック | 5–7, 3–6 |
優勝 | 1. | 2003年1月13日 | シドニー | ハード | フアン・カルロス・フェレーロ | 4–6, 7–6(6), 7–6(4) |
ダブルス: 1回 (1勝0敗)
[編集]結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | パートナー | 対戦相手 | スコア |
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優勝 | 1. | 2003年2月10日 | サンノゼ | ハード (室内) |
ウラジミール・ボルチコフ | ポール・ゴールドスタイン ロバート・ケンドリック |
7–5, 4–6, 6–3 |
4大大会シングルス成績
[編集]- 略語の説明
W | F | SF | QF | #R | RR | Q# | LQ | A | Z# | PO | G | S | B | NMS | P | NH |
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
大会 | 1998 | 1999 | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 通算成績 |
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全豪オープン | A | LQ | LQ | 1R | A | 2R | 1R | 1R | 1R | 1R | 2R | LQ | 2–7 |
全仏オープン | A | A | A | A | 1R | 1R | 3R | 3R | A | 1R | 2R | A | 5–6 |
ウィンブルドン | A | A | LQ | 1R | 2R | 1R | A | 2R | 2R | 3R | 1R | A | 5–7 |
全米オープン | LQ | LQ | 4R | 1R | 1R | 2R | 3R | 1R | 2R | 4R | 1R | A | 10–9 |