杉山灌園
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(杉山三郎平から転送)
杉山 灌園(すぎやま かんえん、1838年9月16日(天保9年7月28日[1]) - 1902年(明治35年)3月20日[2])は黒田藩士、儒学者。久米二郎、または三郎平と称した。晩年は灌園と号した。本名は三郎平誠胤。杉山茂丸の父、夢野久作の祖父、杉山龍丸の曾祖父である。
来歴
[編集]久米二郎は、福岡藩士御普請吟味役であった青木甚藏の長男である[1]。1859年(安政6年)4月22日22歳の時に、杉山家の二女重喜の婿養子になり、1861年(文久元年)に家督を相続した。実家にあった頃から藩学校修猷館に勤め、訓導補助として漢籍を教えた。杉山家に入ってからもこれを続けた[1]。
1867年(慶応3年)6月、黒田藩諸藩応接役となる[1]。1868年(明治元年)11月、藩主黒田長溥に藩籍奉還を直言し、謹慎となる。1869年(明治2年)4月21日、謹慎御免となり、芦屋遠賀郡芦屋町に移住する[1]。1878年(明治11年)から1890年(明治23年)まで、夜須郡二村(筑前町)で私塾「敬止義塾」を開く。
水戸学派の頑固一徹の士であり、明治20年ごろまで丁髷を残していた。謡曲を好み、孫の直樹(夢野久作)に謡曲と仕舞を教えて楽しんだという[1]。
参考文献
[編集]- 一又正雄『杉山茂丸 明治大陸政策の源流』原書房、1975年。 大畑篤四郎編。
- “企画展『民ヲ親ニス 杉山家四代の軌跡』 - 大刀洗平和記念館”. 大刀洗平和記念館 - 平和の大切さを語り継ぐ情報発信基地 (2019年4月19日). 2022年12月2日閲覧。
- “<日本最強の参謀は誰だったかー「杉山茂丸」①>”. www.facebook.com. 2022年12月2日閲覧。
- “夢野久作ら四代の軌跡紹介 大刀洗平和記念館で企画展始まる”. 西日本新聞me. 2022年12月2日閲覧。
- “青空文庫-『近世快人伝』夢野久作”. 2022年12月2日閲覧。