東北大学日就寮
東北大学日就寮 | |
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![]() 日就寮外観(2024年9月撮影) | |
情報 | |
用途 | 学生寄宿舎 |
施工 | 1970年 |
管理運営 | 日就寮自治会 |
構造形式 | 鉄筋コンクリート[1] |
建築面積 | 1,097 m² [1] |
延床面積 | 2,017 m² [1] |
階数 | 4階 |
所在地 |
〒982-0832 宮城県仙台市太白区 八木山緑町16番3号 |
座標 | 北緯38度14分31.581秒 東経140度51分51.829秒 / 北緯38.24210583度 東経140.86439694度座標: 北緯38度14分31.581秒 東経140度51分51.829秒 / 北緯38.24210583度 東経140.86439694度 |
東北大学日就寮(とうほくだいがく にっしゅうりょう)とは、宮城県仙台市太白区八木山緑町16番3号に存在する、東北大学の6つある学生寮の一つで、学生の自治による運営形態である自治寮の形をとっている[2]。かつて中核派系全学連が拠点のひとつに位置付けていたという過去をもつ[3]。
歴史
[編集]日就寮の歴史は古く、100年以上の歴史を有する。1910年(明治43年)に仙台高等工業学校の寮として、現在の東北大学電気通信研究所付近に日就寮が設立されたことを起源とする[4]。1940年(昭和15年)に現在地に移転し、1971年(昭和46年)4月に工学部工業力学科拡張委員会の工員宿舎として北山の地にあった宏富寮と統合して新寮として改築された[4]。
1976年(昭和51年)4月1日、霽風寮と以文寮が日就寮敷地内に開寮し、これら3寮で八木山三寮と呼ばれるようになった[5]。八木山三寮では集中暖房方式が取られ、暖房負担区分を三寮で統一する必要があった[6]。大学と三寮は話し合いを開始し、大学側は従来の方針である建物面積比による負担案(寮生負担53.5%)を示した[6]。これに対し、霽風寮と以文寮は了承したが、日就寮は寮生負担46.5%を主張して交渉はまとまらなかった[6]。大学側は寮との話し合いが合意に達する見込みが薄いことから、暫定措置として寮生の負担率を46.5%としら通気時間を一日7時間とした[6]。この暫定措置は延長を繰り返しており、交渉は暗礁に乗り上げていた[7]。1980年(昭和55年)1月24日、学生部長が1979年(昭和54年)の暖房費について寮生負担47.5%を提示し、ようやく合意に達した[7]。
沿革
[編集]- 1940年(昭和15年) - 現在地に移転[4]。
- 1970年(昭和45年) - 東北大学初の鉄筋コンクリート造学生寮として竣工[8]。
- 1971年(昭和46年)4月1日 - 北山にあった宏富寮と合併し、再び開寮[4][1]。
- 1999年(平成11年)2月 - 電気代不払い運動および不法入寮生の存在を理由に大学が日就寮に入寮停止措置を下す[9]。
- 2000年(平成12年)2月20日 - 入寮停止措置が解除される[9]。
- 2007年(平成19年)2月 - 八木山三寮(日就寮、以文寮、霽風寮)食堂廃止[10]。
特色
[編集]「学問の自由」および「機会均等を守ること」を理念として運営が行われており、東北大学の学生寮のなかで唯一、入退寮選考権が認められている寮である[11]。他寮と比較しても高度な自治が認められており、大学も日就寮の管理運営体制について「寮生で構成する寮委員会が自治を強く標榜し、独自の方針の下、運営しています」と述べている[3]。
寮運営
[編集]東北大大学学寮管理運営規程(平成20年3月24日時点)によれば、入寮定員は103名で男子学部生・大学院生の入寮が認められている[12]。ただし、日就寮は入寮募集対象を「東北大学またはそれに準ずる身分を有する者(学部・大学院、性別、国籍等不問)」としており、入寮募集対象に大学と寮で相違が見られる[2]。また、同規約によれば、学寮の管理運営の責任は、理事又は副学長のうちから総長が指名した管理運営責任者が負い、学寮の管理運営上の重要事項に関する審議は、東北大学学生生活支援審議会が行うことが規定されている[12]。
日就寮を含め、東北大学の学生寮では寮生以外の宿泊は大学から禁止されており、寮生の友人や家族であっても宿泊することはできない[2]。
不祥事
[編集]1998年(平成10年)11月25日、電気代をめぐって大学と日就寮が対立している中、日就寮生と名乗る、ヘルメット姿の者を含む50人ほどの集団が東北大学加齢医学研究所前に現れ、同事務部長らの制止にもかかわらず5階にある副総長の研究室の前まで乱入し、大声でシュプレヒコールを行い、研究所及び病院の静粛を乱し、同研究所の大切な研究の中断を余儀なくさせ、さらに研究所内の壁やドア等に大量のビラを貼り付け、汚損した[13]。この事件の前後には東北大学片平キャンパス学務部庁舎前で寮生が大勢で示威行為を行ったり、「団交(団体交渉)」を大学側に要求したりしていた[13]。12月8日には学寮専門委員会(大学当局と寮の窓口的役割を担っていた)と寮が話し合いを始めたが、話し合いを始めるや否や寮生らは学寮専委員長らに突進し、身柄を拘束した。その後の「話し合い」の様子について、東北大学学生生活協議会は「夜間9時過ぎまで学寮専委員を取り囲み、強圧的な言辞をまじえながら同じ趣旨の質問をし続けた」と述べている[13]。
2000年(平成12年)11月12日に行われた東北大学学生生活協議会では会議場に寮生多人数で押しかけ、扉を叩いて大声で入室を強要し、協議会終了後も建物から出ようとする協議員を取り囲み写真撮影をし、かつ暴言による威嚇を行った[14]。これに対し、東北大学学生生活協議会は厳重注意を行った[14]。
2004年(平成14年)1月18日、「東北大学学生自治会」を名乗り、日就寮の旗を持った者を含む40数名の学生が、東北大学青葉山キャンパス理学部管理棟に押し掛け、当日予定されていた理学部の委員会の開催を妨害した[15]。
関連項目
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d 東北大学百年史通史編3巻 2010, p. 391.
- ^ a b c “学寮”. 東北大学. 2025年2月12日閲覧。
- ^ a b “東北大学の学生寄宿舎に入寮希望される方へ” (pdf). 東北大学. 2025年2月12日閲覧。
- ^ a b c d 東北大学百年史通史編3巻 2010, p. 389.
- ^ 東北大学百年史通史編3巻 2010, p. 402.
- ^ a b c d 東北大学百年史通史編3巻 2010, p. 403.
- ^ a b 東北大学百年史通史編3巻 2010, p. 404.
- ^ 東北大学百年史通史編3巻 2010, p. 392.
- ^ a b “日就寮有朋寮入寮募集停止解除”. 東北大学新聞 (東北大学学友会新聞部) (297). (2000年4月10日)
- ^ “日就寮東北大の食堂廃止許すな”. 前進社 (前進社). (2007年3月22日)
- ^ “日就寮の自治文化”. 東北大学日就寮. 2025年2月12日閲覧。
- ^ a b “東北大学学寮管理運営規程”. 東北大学 (2008年3月24日). 2025年2月12日閲覧。
- ^ a b c “学生協だより”. 東北大学学生生活協議会広報委員会 (1998年12月17日). 2025年2月12日閲覧。
- ^ a b “学生ニュース” (pdf). 東北大学学生生活協議会広報委員会 (2001年1月31日). 2025年2月12日閲覧。
- ^ “学生協だより”. 東北大学学生生活協議会広報委員会 (2002年3月29日). 2025年2月12日閲覧。
参考文献
[編集]- 東北大学百年史編纂委員会 編『東北大学百年史』 通史 3、東北大学、2010年3月19日。ISBN 978-4-902297-10-2。