平房世
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(房世王から転送)
時代 | 平安時代初期 - 前期 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 元慶7年8月21日(883年9月25日) |
改名 | 房世王→平房世 |
官位 | 正四位下、因幡守 |
主君 | 仁明天皇→文徳天皇→清和天皇→陽成天皇 |
氏族 | 桓武平氏 |
父母 | 父:仲野親王 |
兄弟 | 茂世王、輔世王、基世王、当世王、季世王、秀世王、房世、潔世王、実世、十世王、班子女王、在世王、康世王、利世、惟世、胤世王、宜子女王 |
平 房世(たいら の ふさよ)は、平安時代初期から前期にかけての皇族・貴族。当初房世王を名乗る。桓武天皇の孫で、二品・仲野親王の子。官位は正四位下・因幡守。
経歴
[編集]承和13年(846年)二世王の蔭位により无位から従四位下に直叙され、治部大輔に任ぜられる。承和15年(848年)宮内大輔に転じて、仁明朝末から文徳朝にかけてこれを務めた。
文徳朝末の天安2年(858年)武蔵権守次いで越中権守に転じると、貞観3年(861年)越前権守と清和朝初頭まで地方官を務める。貞観4年(862年)従四位上に叙せられるが、まもなく散位となる。貞観5年(863年)平朝臣姓の賜与を上奏し許されて臣籍降下する。貞観6年(864年)弾正大弼に任ぜられて一時的に京官に復するが、翌貞観7年(865年)に河内権守として再び地方官に転じると、その後河内守・摂津守・因幡守と清和朝後半から陽成朝にかけて地方官を務めた。またこの間、陽成朝初頭の貞観19年(877年)には正四位下に叙せられている。
元慶7年(883年)8月21日卒去。最終官位は正四位下行因幡守
官歴
[編集]『六国史』に基づく。
- 承和13年(846年) 正月7日:従四位下(直叙)
- 承和14年(847年) 12月19日:見治部大輔
- 承和15年(848年) 2月14日:宮内大輔
- 嘉祥4年(851年) 4月1日:次侍従
- 仁寿2年(852年) 2月15日:中務大輔
- 天安2年(858年) 2月5日:武蔵権守。3月8日:越中権守。8月27日:養役夫司(文徳天皇崩御)
- 貞観2年(860年) 閏10月25日:装束司長官(同子内親王)
- 貞観3年(861年) 正月13日:越前権守
- 貞観4年(862年) 正月7日:従四位上
- 貞観5年(863年) 8月8日:臣籍降下(平朝臣姓)
- 貞観6年(864年) 3月8日:弾正大弼
- 貞観7年(865年) 正月7日:河内権守
- 貞観9年(867年) 正月12日:河内守
- 時期不詳:摂津守
- 貞観19年(877年) 正月3日:正四位下
- 時期不詳:因幡守
- 元慶7年(883年) 8月21日卒去(正四位下行因幡守)