妙福寺 (碧南市)
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(志貴毘沙門天から転送)
妙福寺 | |
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所在地 | 愛知県碧南市志貴町2-61 |
位置 | 北緯34度52分17.64秒 東経136度59分29.08秒 / 北緯34.8715667度 東経136.9914111度 |
山号 | 多聞山 |
宗派 | 浄土宗西山深草派 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 仁寿2年(852年) |
正式名 | 多聞山妙福寺 |
札所等 |
三河新四国八十八ヶ所霊場73番・74番 三河七福神 |
文化財 | 木造地蔵菩薩半跏像 |
法人番号 | 6180305004854 |
妙福寺(みょうふくじ)は、愛知県碧南市志貴町にある浄土宗西山深草派の寺院。
山号は多聞山[1]。本尊は阿弥陀如来[1]。志貴毘沙門天(しきびしゃもんてん)や「棚尾の毘沙門さん」とも呼ばれる。安専寺や光輪寺とともに「棚尾の三寺」と呼ばれる。三河新四国八十八ヶ所霊場73番・74番札所。三河七福神。
歴史
[編集]仁寿元年(851年)、志貴荘の荘司として志貴周亮(志貴左衛門藤原周亮)がこの地にやってきて、仁寿2年(852年)に毘沙門天を祀った[2]。仁寿3年(853年)8月21日には志貴周亮によって八王子宮(現・八柱神社)も創建されている[2]。
鎌倉時代には地頭で棚尾城主の熊谷若狭守直氏が一宇を建立した[1]。当初は天台宗の寺院だった。
天正18年(1590年)、生田新左エ門忠兼が月翁清白上人を住職に迎え、天台宗から浄土宗に転派した[1]。月翁清白が開基とされている[1]。
徳川家康が武運を祈願したとされ、勝運の神として親しまれている[1]。
2013年(平成25年)10月23日、住職の加藤良邦は浄土宗西山深草派の宗務総長に就任した[3][4]。
境内
[編集]境内の毘沙門堂に祀られる毘沙門天は三河七福神の一つであり、日本三体毘沙門とされることもある[1]。毎月3日は毘沙門堂の例祭であり、境内は参詣者で賑わう[1]。
- 本堂
- 山門(高麗門) - もとは刈谷城の辰巳櫓である[5]。明治時代初期に移築されて山門となった[5]。
- 鐘楼門
- 書院
- 庫裏
- 水盤舎
- 毘沙門堂 - 志貴毘沙門天を祀る。
- 弘法堂
- 薬師堂
- 鎮守堂
- 秋葉山常夜燈 - 嘉永元年(1848年)に岡崎の石工である太田藤右衛門淑彦によって製作された。2020年(令和2年)頃に撤去された。
- 抱き地蔵尊
- 身代わり地蔵尊
- おびんずる尊
- 杉村修平懿文徳碑 - 杉村修平は種痘医・文人。天保9年(1838年)12月に碧海郡棚尾村に生まれ、19歳で名古屋に出て経史・蘭学・医学を学んだ[6]。慶應元年(1865年)から慶應2年(1866年)頃に棚尾村に戻って医者を開業した[6]。本業の傍らで妙福寺に私塾を開き[6]、藤井達吉などにも教えた。
- 古久根蔦堂庵歌碑 - ホトトギス同人[1]。
- 鈴木花蓑歌碑 - ホトトギス同人[1]。
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山門と水盤舎
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毘沙門堂
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伊藤萬蔵寄進の「志貴毘沙門天王奉安地」碑
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毎月3日の縁日
文化財
[編集]市指定文化財
[編集]現地情報
[編集]- 所在地
- アクセス
脚注
[編集]外部リンク
[編集]- 妙福寺(志貴毘沙門天) へきなん観光ナビ