志良以榮
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(志良以栄から転送)
志良以 榮(しらい さかえ、1937年〈昭和12年〉1月8日 - )は、日本の政治活動家。政経同友会、平民党、国民党(1988年設立)などを率いた経験を持ち、政治団体日本国民党(2004年設立)代表。過去に自民党衆議院議員の私設秘書を務めた[1]。筆名は白井祐伯。
志良以は政治団体「国民党」を1988年に設立した。同党は選挙ポスターを貼り出さないなど、独特の選挙戦術で知られる。本部事務所(連絡先)は新宿区歌舞伎町に置かれていたが、港区浜松町の奈良武(同党より立候補歴のある弁理士)の個人事務所に移転した。2014年12月31日に解散が届け出られた[2]。この間、志良以は自らを代表者とする別の政治団体「日本国民党」[3]を2004年に立ち上げた。
選挙活動歴
[編集]- 1991年4月の東京都知事選挙と、同年6月の参議院議員補欠選挙(埼玉県選挙区)に志良以榮が立候補するも、落選。
- 1993年の第40回衆議院議員総選挙では全国で25名の候補を擁立し、東郷健率いる雑民党とともに確認団体となったが、全員落選。
- 1995年の第17回参議院議員通常選挙では、友党の文化フォーラム(大平シローなども所属)、新しい政治の風を含め、約30名を大量擁立したが、全員落選。
- 1996年の第41回衆議院議員総選挙には、愛知県の選挙区からのみ候補者を擁立するが[4]、全員落選。
- 1998年の第18回参議院議員通常選挙では、比例区を見送り、愛知県選挙区のみに候補者を擁立したが、全員落選。
- 2000年の第42回衆議院議員総選挙では、政策協定を結んだ自由連合の公認を受け、愛知県を中心に選挙区候補を擁立(志良以親子のみ静岡より出馬)するが、全員落選。
- 2001年の第19回参議院議員通常選挙では、再び愛知県選挙区に公認候補を擁立したが、全員落選。
- 2003年の第43回衆議院議員総選挙には、志良以榮が東京10区から立候補するも落選した。
- 2004年の第20回参議院議員通常選挙では、候補者擁立を見送った。
- 2005年の東京都議会議員選挙では、志良以榮が港区選挙区から立候補したものの、最下位落選。
脚注
[編集]- ^ 「週刊朝日」1993年7月23日号
- ^ 『総務省|政治資金収支報告書|平成27年 5月29日公表(平成19・25~26年分 解散分)』(プレスリリース)総務省、2015年5月29日 。
- ^ 『平成19年分政治資金収支報告書の要旨(平成20年9月12日付け官報)』(PDF)(プレスリリース)総務省、2008年9月12日 。
- ^ 中日新聞の意見広告費が無料であることから、他の諸政党でも愛知県に形式上の活動拠点を置く場合が少なくない。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 国民党の選挙活動 (Web Archive)
- 参院選選挙公報愛知県選挙区・しらいサカエ(国民党・1998年)