常徳寺 (京丹後市)
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(常徳寺 (京丹後市大宮町)から転送)
常徳寺 | |
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所在地 | 京都府京丹後市大宮町口大野858 |
位置 | 北緯35度34分59.0秒 東経135度05分20.6秒 / 北緯35.583056度 東経135.089056度座標: 北緯35度34分59.0秒 東経135度05分20.6秒 / 北緯35.583056度 東経135.089056度 |
山号 | 薬王山 |
宗派 | 日蓮本宗 |
本尊 | 大曼荼羅 |
創建年 | 1602年(慶長7年) |
開基 | 日来 |
法人番号 | 4130005010993 |
常徳寺(じょうとくじ)は、京都府京丹後市大宮町口大野858にある日蓮本宗の寺院。山号は薬王山。本尊は大曼荼羅。
歴史
[編集]美濃斎藤氏の家臣である小牧賴秀の長子小牧義秀が、慶長元年(1596年)に丹後奥大野にある長福寺第9世本成坊日吾の門を叩いた[1]。出家して得度すると日来と称し、慶長7年(1602年)に庵室をおこしたのが常徳寺のはじまりである。
- 1602年(慶長7年) - 日来が開基した。
- 1642年(寛永19年) - 現在地薬師谷に移り、日円の代に本堂・山門・庫裏を整える。
- 1836年(天保7年) - 番神堂・山門を残し、焼失。
- 1841年(天保12年) - 焼失した建物を復興。
- 1876年(明治9年) - 富士門流の統一教団日蓮宗興門派の結成に参加。
- 1899年(明治32年) - 日蓮宗興門派は日蓮本門宗(本門宗)と改称。
- 1927年(昭和2年) - 北丹後地震により、山門以外の建物が倒壊。
- 1941年(昭和16年) - 本門宗は一致派の日蓮宗、勝劣派の顕本法華宗とともに三派合同を行い、日蓮宗を結成。
- 1950年(昭和25年)12月 - 本山要法寺とともに日蓮宗から独立して日蓮本宗を結成[2]。
境内
[編集]- 本堂 - 1927年(昭和2年)の北丹後地震で倒壊した後に再建された。
- 山門 - 文政3年(1820年)建立と伝わる。
- 鐘楼
- 三十三番神堂
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本堂
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山門
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鐘楼
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三十三番神堂(左)
歴代住職
[編集]代 | 日号 | 阿闍梨号・院号 | 御遷化年月日 | 享年 | 備考 |
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開基・初代 | 日来 | 本誠坊
実行院 |
寛永9年6月22日(1632年) | 65歳 | 丹後・長福寺10代 |
2代 | 日通 | 事円院 | 慶安元年9月21日(1648年) | ||
3代 | 日長 | 理教院 | 万治2年2月24日(1659年) | ||
4代 | 日英 | 円殊院 | 寛文10年3月1日(1670年) | ||
5代 | 日達 | 一要院 | 元禄9年8月10日(1696年) | 丹後・妙受寺開基 | |
6代 | 日浄 | 普光院 | 宝永2年3月1日(1705年) | ||
10代 | 日円 | 久遠坊 | 寛保2年10月7日(1742年) | ||
16代 | 日立 | 安住阿闍梨 | 文化8年7月22日(1811年) | 60歳 | 山城・京都要法寺32祖
山城・本地院第18世 |
22代 | 日進 | 精行阿闍梨 | 明治21年7月26日(1888年) | 73歳 | 山城・京都要法寺39祖 |
28代 | |||||
29代 | |||||
30代 |
文化財
[編集]府暫定登録文化財
[編集]- 山門 - 京都府暫定登録文化財
- 三十番神堂 - 京都府暫定登録文化財
市指定文化財
[編集]- 日興上人御本尊一幅 - 京丹後市指定文化財
- 日親上人御本尊一幅 - 京丹後市指定文化財