コンテンツにスキップ

山本桂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山本勝哉から転送)
山本 桂
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 山梨県都留市
生年月日 (1959-05-12) 1959年5月12日(65歳)
身長
体重
184 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手内野手
プロ入り 1977年 ドラフト3位
初出場 1981年6月2日
最終出場 1987年10月11日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

山本 桂(やまもと かつら、1959年5月12日 - )は、山梨県都留市出身の元プロ野球選手外野手内野手)。右投右打。1983年5月より登録名「山本 勝哉」(読み同じ)。

来歴・人物

[編集]

県立谷村工では中心打者として活躍。1976年秋季県大会準々決勝に進むが、日本航空工に延長11回逆転サヨナラ負け。翌1977年春季県大会も準決勝で都留高に敗退。夏も県予選で敗れ甲子園には縁がなかった。投手としても1976年秋季山梨県大会2回戦で身延高ノーヒットノーランに抑えている。

同年ドラフト3位で日本ハム入団、長距離打者として期待される。1981年には6月から左翼手三塁手として12試合に先発出場を果たす。巨人との日本シリーズでは、2試合に代打として起用されるが無安打に終わった。同年はイースタンリーグで首位打者と本塁打王の2冠を獲得。1983年にも2度目の首位打者、本塁打王となるが、一軍での出場機会は減少。

1985年3月、西本和美との交換トレードで巨人に移籍。ここでもあまり活躍の場はなく、1987年には一番打者、右翼手として6試合に先発して新浦壽夫から2安打を放ったが[1]、同年限りで現役引退。
2軍では通算79本塁打を放った[1]

ファミリーコンピュータプロ野球ファミリースタジアム'87には「かつら」という名前で代打に登録されていた。

詳細情報

[編集]

年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1981 日本ハム 32 54 49 3 11 2 1 0 15 6 1 0 0 0 5 0 0 10 2 .224 .296 .306 .602
1982 7 12 10 2 3 0 1 0 5 0 0 0 0 0 2 0 0 2 0 .300 .417 .500 .917
1983 7 17 16 2 3 1 0 1 7 2 1 0 0 0 1 0 0 2 0 .188 .235 .438 .673
1984 5 7 7 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .000 .000 .000 .000
1985 巨人 5 5 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 1 0 .000 .200 .000 .200
1986 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
1987 12 25 24 3 6 1 0 0 7 1 0 0 1 0 0 0 0 5 1 .250 .250 .292 .542
通算:7年 69 121 111 10 23 4 2 1 34 9 2 0 1 0 9 0 0 24 3 .207 .267 .306 .573

記録

[編集]

背番号

[編集]
  • 25 (1978年 - 1981年、1984年)
  • 3 (1982年 - 1983年)
  • 59 (1985年 - 1987年)

登録名

[編集]
  • 山本 桂 (やまもと かつら、1978年 - 1983年5月3日)
  • 山本 勝哉 (やまもと かつら、1983年5月4日 - 1987年)

脚注

[編集]
  1. ^ a b 週刊ベースボール1987年12月28日号「去りゆく愛球人間たち、その成績と今後」ベースボールマガジン社

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]