山形県立米沢商業高等学校
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(山形県立米沢第三高等学校から転送)
山形県立米沢商業高等学校 | |
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北緯37度54分6.6秒 東経140度6分49.4秒 / 北緯37.901833度 東経140.113722度座標: 北緯37度54分6.6秒 東経140度6分49.4秒 / 北緯37.901833度 東経140.113722度 | |
過去の名称 |
米沢市立商業補習学校 米沢市立商業学校 山形県立米沢商業学校 山形県立米沢第二工業学校 山形県立米沢商業学校(再) 山形県立米沢第三高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 山形県 |
学区 | 南学区 |
校訓 | 至誠、進取 |
設立年月日 | 1902年(明治35年)6月13日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 商業科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D106220250042 |
高校コード | 06130B |
所在地 | 〒992-0037 |
山形県米沢市本町三丁目1番12号 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
山形県立米沢商業高等学校(やまがたけんりつ よねざわしょうぎょうこうとうがっこう, Yamagata Prefectural Yonezawa Commercial High School)は、山形県米沢市本町三丁目にある県立の高等学校。
概要
[編集]- 歴史
- 1902年(明治35年)創立の「米沢市立商業補習学校」を前身とする。商業学校を経て、1948年(昭和23年)の学制改革により、新制高等学校となった。現校名となったのは1950年(昭和25年)。2022年(令和4年)に創立120周年を迎えた。
- 設置課程・学科
- 全日制課程
- 商業科
- 校訓
- 「至誠、進取」 - 創立時の校訓は「士魂・商才」であったが、創立20周年を迎えた1922年(大正11年)に「至誠・進取」に改定された。
- 校章
- 地元、米沢城の異名「舞鶴城」にちなみ、翼を広げた鶴の絵と校名の「商」の文字を組み合わせたものとなっている。
- 校歌
- 創立20周年を迎えた1922年(大正11年)に校訓とともに制定された。作詞は須藤栄吉(当時の英語教師)、作曲は大沼哲(陸軍軍楽少佐)による。歌詞は3番まであり、校名は歌詞中に登場しない。
- 制服
- 冬服は男女ともにブレザー、男子はネクタイにズボン、女子はリボンにスカート。男子のブレザーはグレー、女子のブレザーはえんじ色。
沿革
[編集]旧制・商業学校時代
- 1902年(明治35年)
- 1908年(明治40年)4月1日 - 「米沢市立商業学校」(乙種商業学校)と改称。
- 1917年(大正6年)
- 4月1日 - 甲種商業学校となる。
- 5月 - 大火により校舎全部を焼失したため、米沢市会議事堂内に仮教室を設置し授業を再開。
- 1919年(大正8年)
- 1月 - 門東町に新校舎が完成。
- 5月 - 再度大火のため校舎全部を焼失。北部尋常小学校内の一部に仮教室を設置。
- 11月 - 南部尋常小学校に移転。
- 1920年(大正9年)3月 - 米沢市立高等小学校の廃校により、清水町のその校舎をすべてを継承し移転を完了。
- 1921年(大正10年)1月 - 校旗を樹立。
- 1922年(大正11年)5月 - 創立20周年を記念して校歌・校訓・綱領を制定。
- 1924年(大正13年)4月1日 - 山形県への移管により、「山形県立米沢商業学校」と改称。
- 1925年(大正14年)7月 - 福田町(現在地)に校舎が新築し移転を完了。
- 1944年(昭和19年)4月1日 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策により、「山形県立米沢第二工業学校」に転換。土木科と建築科を設置。
- 1946年(昭和21年)
- 4月 - 修業年限を5年(現在の中1から高2に相当)とする(ただし、4年修了時点で卒業することもできた)。
- 9月 - 「山形県立米沢商業学校」に戻る。商業科に移籍しない生徒を山形県立米沢工業学校に移籍。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
- 商業学校の生徒募集を停止。
- 新制中学校を併設し(名称:山形県立米沢商業学校併設中学校、以下・併設中学校)、商業学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
- 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
- 商業学校3・4年修了者はそのまま在籍し、商業学校4・5年生となった(ただし、4年修了時点で卒業することもできた)。
新制・商業高等学校
- 1948年(昭和23年)
- 4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により、商業学校が廃止され、新制高等学校「山形県立米沢第三高等学校[1]」が発足。
- 商業学校卒業者(5年修了者)を新制高校3年生、商業学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業者(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
- 併設中学校を継承し(名称:山形県立米沢第三高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に商業学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
- 5月 - 定時制を併設。
- 4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により、商業学校が廃止され、新制高等学校「山形県立米沢第三高等学校[1]」が発足。
- 1949年(昭和24年)
- 3月31日 - 併設中学校を廃止。
- 4月1日 - 一般商業課程と貿易課程を設置。
- 1950年(昭和25年)4月1日 - 「山形県立米沢商業高等学校」(現校名)と改称。
- 1955年(昭和30年)3月31日 - 貿易課程を廃止。
- 1963年(昭和38年)4月1日 - 上郷分校課程を商業科とする。
- 1964年(昭和39年)3月31日 - 南原分校を廃止。
- 1973年(昭和48年)4月1日 - 情報処理科(1学級)を新設。
- 1974年(昭和49年)4月 - 情報処理科の新校舎が完成。電算設備を導入。
- 1977年(昭和52年)4月1日 - 定時制夜間課程商業科の学級を2学級から1学級に減じる。
- 1978年(昭和53年)4月1日 - 定時制夜間課程普通科を1学級新設。
- 1984年(昭和58年)4月1日 - 定時制普通科の募集を停止。
- 1985年(昭和60年)4月1日 - 定時制商業科の募集を停止。
- 1988年(昭和63年)
- 3月31日 - 定時制課程を廃止。
- 4月1日 - 上郷分校の募集を停止。
- 1990年(平成2年)4月1日 - 制服を改定。
- 1991年(平成3年)3月31日 - 上郷分校を廃止。
- 1994年(平成6年)4月 - 国際経済科を新設し、3学科体制となる。
- 2001年(平成13年)
- 3月 - 至誠会館が完成。
- 4月 - 学科改編により、商業科を総合ビジネス科、国際経済科を国際ビジネス科、情報処理科を情報ビジネス科とする。
- 2002年(平成14年)6月 - 創立100周年記念式典を挙行。
- 2012年(平成24年)4月1日 - 制服を改定。
- 2014年(平成26年)4月1日 - 国際ビジネス科の募集を停止。
- 2022年(令和4年)4月1日 - 学科改編により、商業科2学級となる。
- 2025年(令和7年)- 山形県立米沢工業高等学校と統合し、山形県立米沢鶴城高等学校が開校予定[2]。
部活動
[編集]運動部
文化部
著名な出身者
[編集]交通アクセス
[編集]脚注
[編集]- ^ 山形県立米沢第一高等学校は山形県立米沢興譲館高等学校の前身、山形県立米沢第二高等学校は山形県立米沢工業高等学校の前身、山形県立米沢第四高等学校は山形県立米沢東高等学校の前身。
- ^ “新高校名は「米沢鶴城」 25年開校、米沢工と米沢商が統合”. 山形新聞. (2023年10月4日) 2023年10月8日閲覧。