コンテンツにスキップ

第47回国民体育大会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山形国体から転送)
第47回べにばな国体
参加都道府県 47
参加人数 30,093
競技種目数 42競技
開会式 1992年1月26日
閉会式 1992年10月4日
開会宣言 板垣清一郎
選手宣誓
最終炬火ランナー
主競技場 山形県総合運動公園陸上競技場

第47回国民体育大会(だい47かいこくみんたいいくたいかい)は、1992年に開催された国民体育大会である。史上5回目の完全国体[注釈 1]である。テーマは「べにばな国体」、スローガンは「思いっきり躍動 21世紀の主役たち」。開催時の県知事板垣清一郎

この国体開催に合わせて立ち遅れていたインフラ整備も行われ、庄内空港の開港、山形新幹線の開業、山形自動車道村田JCTから寒河江ICまでの開通と高速交通網の整備が一挙に進んだ。

大会概要

[編集]
期間 開催地 競技数 参加者数
1992年1月26日 - 1月29日 山形県山形市 2 2,214
1992年2月28日 - 3月2日 山形県山形市 2 2,219
1992年9月6日 - 9月9日 山形県(5市町) 5 5,238
1992年10月4日 - 10月9日 山形県(30市町村) 33 20,422
合 計 42 30,093

マスコットキャラクター

[編集]

宣伝キャラクターはたいきくん。北山形駅前の小便小僧もたいきくんの衣装をまとい、盛り上げた。

イメージソング

[編集]

音楽

[編集]

坪井伸親

活躍選手

[編集]

のちにハンマー投の金メダリストとなる室伏広治やり投で出場(ハンマー投げは種目に無かった)し、ほぼ初心者に等しいながらも驚異的な身体能力で2位を獲得した。

高校野球決勝戦では、星稜高校松井秀喜選手が高校通算60本目のホームランを打ち高校野球公式戦最後のホームランとなり、決勝戦を制した。

華原朋美障害馬術トップスコア競技(少年の部)で4位に入賞した。

開会式発煙筒事件

[編集]

10月5日に山形県総合運動公園陸上競技場(現:NDソフトスタジアム山形)で行われた秋季大会開会式で、第125代天皇(現:上皇明仁)が「おことば」を述べていた際に、新左翼系党派「統一共産同盟」の活動家の男が「天皇訪中反対」[注釈 2]・「天皇は帰れ」などと叫び、トラックからロイヤルボックスにいた天皇皇后夫妻に向けて発煙筒を投げつける事件が発生した[注釈 3]。発煙筒は夫妻に届かずトラック内に落ちたため、夫妻に怪我は無く、男はすぐに取り押さえられた。しかし、要人警護体制の不備が露わになり、国内に大きな波紋を広げた[1]。後日、警護体制不備の責任をとり山形県警警備部長が辞表を提出した[2]

実施競技

[編集]

総合成績

[編集]

天皇杯

[編集]
  • 1位 - 山形県
  • 2位 - 東京都
  • 3位 - 愛知県

皇后杯

[編集]
  • 1位 - 山形県
  • 2位 - 東京都
  • 3位 - 愛知県

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ スケート&アイスホッケー競技会とスキー競技会に別れる冬季2大会及び水泳競技を中心とした夏季大会と陸上競技を中心とした秋季大会の全てを同一県で開催すること。詳しくは国民体育大会を参照。
  2. ^ 天皇は同年10月23日から初の中国訪問を予定していた。
  3. ^ 夫妻は皇太子・皇太子妃だった1975年にも、火炎瓶を投げつけられるテロ(ひめゆりの塔事件)に巻き込まれている。

出典

[編集]
  1. ^ 1992年10月5日付『日本経済新聞』朝刊 35頁
  2. ^ 「山形県警の警備部長が辞表を提出 べにばな国体の発炎筒事件で?」 1992年10月21日付『朝日新聞』夕刊

参考文献

[編集]

外部サイト

[編集]