大分交通宇佐参宮線
宇佐参宮線 | |
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概要 | |
現況 | 廃止 |
起終点 |
起点:豊後高田駅 終点:宇佐八幡駅 |
駅数 | 6駅 |
運営 | |
開業 | 1916年3月1日 |
廃止 | 1965年8月21日 |
所有者 | 宇佐参宮鉄道→大分交通 |
使用車両 | 車両の節を参照 |
路線諸元 | |
路線総延長 | 8.8 km (5.5 mi) |
軌間 | 1,067 mm (3 ft 6 in) |
最小曲線半径 | 120.7 m (396 ft) |
電化 | 全線非電化 |
最急勾配 | 18.2 ‰ |
停車場・施設・接続路線(廃止当時) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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宇佐参宮線(うささんぐうせん)は、かつて大分県豊後高田市の豊後高田駅から同県宇佐郡宇佐町(現・宇佐市)の宇佐駅を経て、同町の宇佐八幡駅までを結んでいた、大分交通の鉄道路線である。
日豊本線宇佐駅から豊後高田市街や宇佐神宮へのアクセス路線として建設されたが、大分交通の経営するバス路線と競合するため廃止された。豊後高田からさらに東方へ延伸し、国東線と共に国東半島一周鉄道を形成する計画もあったが、実現せず終わった。
路線データ
[編集]1965年(昭和40年)3月当時
運行概要
[編集]- 運行本数:豊後高田 - 宇佐八幡間10往復半(他、宇佐八幡 - 宇佐間上り区間列車が1本存在)
- 所要時間:豊後高田 - 宇佐間11分、宇佐 - 宇佐八幡間12 - 13分
歴史
[編集]種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 大分県宇佐郡北馬城村大字岩崎1180-4[1] |
設立 | 1914年(大正3年)3月25日[1] |
業種 | 鉄軌道業 |
事業内容 | 旅客鉄道事業、バス事業[1] |
代表者 | 社長 成清信愛[1] |
資本金 | 325,000円(払込額)[1] |
特記事項:上記データは1943年(昭和18年)4月1日現在[1]。 |
宇佐神宮のある宇佐郡宇佐町と国東半島の玄関口にあたる西国東郡高田町を国鉄宇佐駅へ鉄道で結ぶべく地元有志により1911年(明治44年)1月に鉄道敷設申請が提出された。翌1912年(明治45年)5月鉄道免許状が下付されたものの、資金調達が捗らす延長申請が繰り返された。ようやく1914年(大正3年)3月になり宇佐参宮鉄道が設立され、資本金を15万円とし、初代社長に水之江浩[注釈 1][2]が就任した。同年12月工事施工の認可が下りると、1916年(大正5年)3月豊後高田-宇佐-宇佐八幡間が開通した。業績は好調で車両、施設など増強し、真玉及び拝田への路線延長を計画した。1924年(大正13年)に豊後高田より中真玉村までの延長敷設免許を取得したが、地元の豊後高田町が中間駅となることに反対の声を上げ、また桂川の架橋費用の問題もあり1928年(昭和3年)免許失効となる。また宇佐八幡駅より日出生鉄道(豊州鉄道→大分交通豊州線)拝田駅までの延長敷設免許を1928年(昭和3年)に取得すると用地取得、工事着手と順調に進んだが、終点拝田駅の共同使用について豊州鉄道[注釈 2]が不利になるとして難色を示したため協議にならず1930年(昭和5年)鉄道大臣に裁定方を申請するが決着はつかなかった。そうしている間に不況の影響で収益は悪化しついに1935年(昭和10年)に計画は放棄され西国東郡と宇佐郡を結ぶ計画は消滅した。
- 1912年(明治45年)5月1日 鉄道免許状下付(宇佐郡宇佐町-西国東郡高田町間)[3][4]
- 1914年(大正3年)3月25日 宇佐参宮鉄道株式会社設立[3]
- 1916年(大正5年)3月1日 全線開業[3][5]
- 1924年(大正13年)6月9日鉄道免許状下付(西国東郡高田町-同郡中真玉村間)[6]
- 1928年(昭和3年)
- 1932年(昭和7年)2月25日 鉄道免許失効(宇佐八幡起点5492m-終点間 指定ノ期限マテニ実施設計ノ認可申請ヲ為ササルタメ)[9]
- 1935年(昭和10年)4月17日 鉄道起業廃止許可(宇佐郡宇佐町-同郡豊川村間)[10]
- 1945年(昭和20年)4月20日 交通統制により、県下の鉄道・バス会社と共に大分交通へ統合
- 1965年(昭和40年)
駅一覧
[編集]1965年(昭和40年)8月当時
接続路線
[編集]- 宇佐駅:国鉄日豊本線
輸送・収支実績
[編集]年度 | 輸送人員(人) | 貨物量(トン) | 営業収入(円) | 営業費(円) | 営業益金(円) | その他益金(円) | その他損金(円) | 支払利子(円) | 政府補助金(円) |
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1915 | 31,255 | 359 | 2,510 | 2,189 | 321 | ||||
1916 | 244,400 | 15,451 | 22,112 | 20,165 | 1,947 | 検査改算減額1,431 | 14,551 | 9,199 | |
1917 | 332,942 | 25,203 | 36,879 | 27,047 | 9,832 | 336 | 雑損金2,566 | 8,981 | 8,381 |
1918 | 400,310 | 21,145 | 36,188 | 39,967 | ▲ 3,779 | 10,006 | 12,324 | ||
1919 | 405,176 | 25,512 | 49,958 | 45,453 | 4,505 | 積立金繰入1,200 | 雑損金5,056 | 4,554 | 3,835 |
1920 | 443,029 | 24,767 | 76,097 | 57,869 | 18,228 | 9,958 | |||
1921 | 410,673 | 22,972 | 81,199 | 53,163 | 28,036 | ||||
1922 | 408,265 | 25,324 | 83,367 | 48,861 | 34,506 | ||||
1923 | 439,063 | 28,603 | 87,498 | 54,177 | 33,321 | 1,000 | 5,129 | ||
1924 | 463,903 | 29,093 | 86,563 | 55,864 | 30,699 | 準備金繰入1,000 | 4,547 | ||
1925 | 344,354 | 20,930 | 61,529 | 38,753 | 22,776 | 3,167 | 841 | ||
1926 | 466,093 | 32,251 | 87,234 | 53,282 | 33,952 | 7,805 | |||
1927 | 448,417 | 28,495 | 81,009 | 53,137 | 27,872 | 自動車1,083 | 7,896 | ||
1928 | 430,585 | 33,560 | 91,774 | 55,942 | 35,832 | 積立金繰入4,756 | 償却金4,756 | 7,804 | |
1929 | 404,585 | 33,961 | 88,618 | 57,540 | 31,078 | 自動車669 | 償却金1,000 | 6,597 | |
1930 | 388,437 | 27,614 | 84,573 | 56,904 | 27,669 | 自動車806 | 5,181 | ||
1931 | 321,073 | 23,015 | 72,797 | 44,761 | 28,036 | 自動車2,757 | 4,395 | ||
1932 | 302,603 | 22,192 | 67,325 | 37,018 | 30,307 | 自動車8,799 | 6,146 | ||
1933 | 336,393 | 25,015 | 72,563 | 42,644 | 29,919 | 自動車10,617 | 6,345 | ||
1934 | 342,016 | 26,246 | 75,961 | 42,686 | 33,275 | 自動車業20,377 | 償却金3,282 | 7,100 | |
1935 | 361,612 | 26,299 | 78,915 | 41,755 | 37,160 | 自動車業31,563 | 償却金10,117 | 6,546 | |
1936 | 390,665 | 27,113 | 82,737 | 46,400 | 36,337 | 自動車業27,934 | 償却金1,266 | 6,326 | |
1937 | 457,651 | 31,211 | 105,029 | 54,464 | 50,565 | 準備金繰入46,597 自動車業27,768 |
寄付金10,000 償却金42,021 |
6,093 | |
1939 | 609,506 | 48,370 | |||||||
1941 | 911,607 | 55,496 | |||||||
1943 | 1,157,892 | 44,690 | |||||||
1945 | 1,480,671 | 35,729 | |||||||
1952 | 930,260 | 41,810 | |||||||
1958 | 1,051千 | 32,266 | |||||||
1963 | 792千 | 26,826 |
- 鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計、国有鉄道陸運統計、地方鉄道軌道統計年報、私鉄統計年報各年度版
車両
[編集]- 蒸気機関車
- ディーゼル機関車
- D21・22 L形20tディーゼル機関車 1955年日立製作所製[13]。
- ガソリンカー
- ディーゼルカー
- 客車
- ホハフ101-104 ボギー客車。1966年耶馬渓線に転出
- ハニフ111-114・ハフ115 2軸客車。ハニフ113・114は元九州鉄道、ハフ115は元日本鉄道
- 貨車
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f 『地方鉄道及軌道一覧. 昭和18年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『人事興信録. 4版』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b c 『地方鉄道及軌道一覧. 昭和18年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1912年5月4日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1916年3月4日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1924年6月11日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1928年3月13日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道免許失効」『官報』1928年5月4日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道免許一部失効」『官報』1932年2月25日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道起業廃止」『官報』1935年4月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b c 奈良崎博保「大分交通宇佐参宮線の鉄道営業廃止」『鉄道ファン』No.52
- ^ 「宇佐参宮鉄道ヘ機関車譲渡ノ件」『第十門・地方鉄道及軌道・二、地方鉄道・武州鉄道・営業廃止・大正十年~大正十五年』
- ^ 「日立ニュース 新型20tディーゼル機関車完成(大分交通株式会社納)」『日立評論』 38巻、1号、1956年1月30日、231-232頁 。
参考文献
[編集]- 奈良崎博保・谷口良忠 (1966). “大分交通国東線・宇佐参宮線”. 鉄道ピクトリアル No. 186 (1966年7月臨時増刊号:私鉄車両めぐり7): pp. 79-95, 104-106.(再録:鉄道ピクトリアル編集部 編『私鉄車両めぐり特輯』 2巻、鉄道図書刊行会、東京、1977年。)
- 鉄道省『昭和12年10月1日現在鉄道停車場一覧』鉄道史資料保存会(1986年覆刻)、東京、1937年、p. 438頁。ISBN 4-88540-048-1。
- 『大分交通40年のあゆみ』大分交通、1985年、47-52頁
- 『大分県交通史』九州交通新聞社、1978年、100-101頁
関連項目
[編集]- 日本の廃止鉄道路線一覧
- 廃線
- 国鉄10形蒸気機関車 - 本路線で使用された国鉄払下げの蒸気機関車。26の1両が在籍し、現在は宇佐神宮境内に保存されている。