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天野地区 (河内長野市)

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天野村 (大阪府)から転送)
天野地区
あまのちく
日章旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 大阪府
自治体 河内長野市
旧自治体 南河内郡天野村
世帯数
4,583世帯
総人口
11,471
住民基本台帳、2014年12月)
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天野地区の地図
北:小山田、南:天野

天野地区(あまのちく)は、大阪府河内長野市の地域。河内長野市立天野小学校河内長野市立小山田小学校の学区にあたる。

本項では概ね同地域に存在した南河内郡天野村(あまのむら)についても述べる。

地理

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市の北端から南西にかけての地域で、広大な面積を有する緑地帯や山間部で構成されている。西除川が北流し、周辺に豊かな果樹園や水田地帯となっている。高度経済成長期に造成された住宅団地は、北東部を中心に広がっている。南部は天野山をはじめ滝畑方面へとつながる山間地を形成している[1]

  • 山岳:天野山
  • 河川:西除川(天野川)

交通

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西除川に並行して府道217号大野天野線が通っているが、北側は極狭小路線のため、主に高規格な市道で代用されている。南側は大阪外環状線府道20号枚方富田林泉佐野線が横断し、滝畑方面へは府道217号大野天野線に代わって市道でアクセスされている。

歴史

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あまのむら
天野村
廃止日 1940年6月1日
廃止理由 新設合併
長野町・天野村千代田村長野町
現在の自治体 河内長野市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 大阪府
南河内郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 2,564
国勢調査1935年
隣接自治体 南河内郡長野町、千代田村、高向村狭山村
泉北郡上神谷村美木多村横山村
天野村役場
所在地 大阪府南河内郡天野村大字小山田
座標 北緯34度26分16.8秒 東経135度32分7.3秒 / 北緯34.438000度 東経135.535361度 / 34.438000; 135.535361 (天野村)
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地域

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当地域は「天野・小山田地区」と表記されることもあるように、天野・下里からなる天野地区と旧小山田村域の小山田地区の2つに区分される。

天野地区は天野町と下里町で構成され、小山田地区は小山田町、荘園町、緑ケ丘北町、緑ケ丘中町、緑ケ丘南町で構成される。

天野町

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天野山金剛寺

読みは「あまのちょう」。1889年の町村制施行により、天野山として天野村の大字となる。天野(天野山)、高瀬、中尾の地区で分かれている。天野里として、平安末期から続く地名であり、 金剛寺は南朝の後村上天皇行在所にもなっていた[1]。天野山を含む丘陵支脈上にあり、天野川によって形成された狭長な谷あいに位置する。南側は滝畑へとつながっている。

主な施設、旧跡など

下里町

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読みは「しもざとちょう」。1889年の町村制施行により、下里として天野村の大字となる。下里と広野の地区で分かれている。鎌倉時代から文献に残る地名で天野村と合わせて見られる[1]。天野川中流域に位置し、東部を中心に山間地であるが、谷あいに集落や田畑が続く。

主な施設、旧跡など

小山田町

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大阪千代田短期大学

読みは「おやまだちょう」。1889年の町村制施行により、小山田として天野村の大字となる。平安時代末期から続く地名であり、奈良時代の小山田古墓といわれる火葬墓や平安中期の長池窯跡群などが残る。小山田と田中平井の地区がある。西部を中心に田畑や果樹園が広がり、小山田の桃として古くから地域に慕われている。寺ヶ池公園周辺は赤峰台や寺池台などの住宅地が造成され、千代田台と生活圏が一体となっている。また、その一部には旧日立造船の社宅団地が転用された住宅地も含まれている。

主な施設、旧跡など

荘園町

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読みは「そうえんちょう」。南海小山田団地(南海小山田荘園)として南海電気鉄道によって造成された。都市公園として荘園町第1~4公園がある。西端は大阪府道217号大野天野線に隣接している。

緑ケ丘北町、緑ケ丘中町、緑ケ丘南町

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読みは「みどりがおかきたまち」「-なかまち」「-みなみまち」。三井サニータウンという名称で三井不動産によって造成された。都市公園として緑ケ丘北第1~3公園、緑ヶ丘中第1~2公園、緑ケ丘南第1~2公園がある。

教育

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出典

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  1. ^ a b c d 角川日本地名大辞典 27 大阪府』編纂委員会、1983年。 

関連項目

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