大谷 (さいたま市見沼区)
■大谷 | |
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大谷県営住宅(現・大宮七里住宅) | |
北緯35度55分11.99秒 東経139度40分17.97秒 / 北緯35.9199972度 東経139.6716583度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 埼玉県 |
市町村 | さいたま市 |
区 | 見沼区 |
地域 | 旧大宮市域 |
人口 | |
• 合計 | 9,517人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
337-0014[2] |
市外局番 | 048[3] |
ナンバープレート | 大宮 |
大谷(おおや)は、埼玉県さいたま市見沼区の大字。郵便番号は337-0014[2]。
地理
[編集]さいたま市見沼区東部の大宮台地上に位置するが、北・東・南から見沼の谷戸が台地を取り巻くように複雑に入り組み、起伏がある地形である。東で膝子に、西で蓮沼および南中野に、南で東新井・御蔵・笹丸・染谷・加田屋新田・加田屋に、北で東門前・新堤・東宮下に隣接する。おおむね加田屋川の右岸にあたる。
区域区分は、地内を縦断する埼玉県道65号さいたま幸手線を境に分かれる。西側は市街化区域に属し[4]、住宅地が主体でほかに商店街や団地などがある。東側は市街化調整区域に属し[4]、一部で日生大谷団地があるほかは畑地が多く、思い出の里市営霊園がある。南北に縦断する都市計画道路大間木丸ヶ崎線が計画されており、東楽園通りと埼玉県道65号さいたま幸手線の間は東側車線が整備済みとなっている[4]ほか、一部用地が確保されている。南部には御蔵中央通線が計画されている[4]。また、内田川が加田屋川に注ぐ。
公共交通機関は東武野田線(東武アーバンパークライン)の七里駅のほか、国際興業と東武バスウエストの路線バスがある。どちらも本数が充実しており、国際興業では大宮駅へ、東武バスウエストでは北浦和駅(一部は浦和駅)へ行くことができる。
縄文期および弥生後期の遺跡である大谷後遺跡が地内にある[5]。
河川
[編集]地価
[編集]小字
[編集]- 弁天、八石、下田、氷川、松原、向大谷、松崎、向原、稲荷、後[7]
歴史
[編集]おおやむら 大谷村 | |
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廃止日 | 1913年4月2日 |
廃止理由 |
新設合併 大谷村・猿ヶ谷戸村・新堤村・東宮下村・東門前村・膝子村・風渡野村 → 七里村 |
現在の自治体 | さいたま市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 埼玉県 |
郡 | 北足立郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
564人 (埼玉県市町村誌、1889年(明治22年)) |
隣接自治体 | 北足立郡猿ヶ谷戸村、東門前村、新堤村、東宮下村、膝子村、片柳村 |
大谷村役場 | |
所在地 | 埼玉県北足立郡猿ヶ谷戸村 |
ウィキプロジェクト |
かつては江戸期より存在した武蔵国足立郡南部領に属する大谷村であった[5]。南北朝時代には既に武蔵国大谷郷と称しており、古くから存在する地名である。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では97石余(田65石余、畑31石余)、『元禄郷帳』および『天保郷帳』では97石余であった[5]。助郷は日光御成街道大門宿に出役していたが、寛保・宝暦年間は中山道大宮宿にも代出役していた[5]。化政期の世帯数は60軒で、村の規模は東西10町余、南北8町であった[5]。長芋と柿渋が村の特産品であった。
地名の由来
[編集]大きな谷があったことから[5]。
沿革
[編集]- 初めは知行は旗本青木氏[5]。以降変遷なし。なお、検地は1800年(寛政12年)に実施。
- 1828年(文政11年)より大門宿寄場34か村組合に所属[5]。
- 幕末の時点では足立郡に属し、明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、旗本青木五十五郎の知行であった[8][5]。
- 1868年(慶応4年)6月19日:武蔵知県事・山田政則(忍藩士)の管轄となる。
- 1869年(明治2年)
- 1871年(明治4年)11月13日:第1次府県統合により、埼玉県の管轄となる。
- 1879年(明治12年)3月17日:郡区町村編制法の埼玉県での施行により、北足立郡の所属となる[5]。
- 1889年(明治22年)
- 1913年(大正2年)4月1日:膝子村外6ヶ村組合を解消し、7村の区域をもって七里村が発足[9]。同日大谷村廃止。七里村の大字大谷となる。
- 1955年(昭和30年)1月1日:七里村が大宮市に編入合併され[9]、大宮市の大字となる[10]。
- 1963年(昭和38年)1月30日:地内に「山吹幼稚園」が開園する[11]。
- 1964年(昭和39年):地内に1961年(昭和36年)より着手された大宮七里県営住宅が完工する[5]。
- 1975年(昭和50年)12月1日:市営霊園(大宮市霊園)の募集を一部で開始する[12]。
- 1976年(昭和51年)
- 4月1日:地内に大宮市立大谷小学校(現・さいたま市立大谷小学校)が開校する[11][13]。
- 4月:地区の南部に市営霊園の大宮市霊園(現・さいたま市思い出の里市営霊園)が開設される[14]。
- 1982年(昭和57年)4月1日:地内に大宮市立大谷中学校(現・さいたま市立大谷中学校)が開校する[13]。
- 2000年(平成12年)
- 2001年(平成13年)5月1日:浦和市・大宮市・与野市が合併し、さいたま市が発足。同市の大字となる。
- 2003年(平成15年)4月1日:さいたま市が政令指定都市に移行し、同市見沼区の大字となる。
世帯数と人口
[編集]2017年(平成29年)9月1日時点の世帯数と人口は、以下のとおりである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
大字大谷 | 4,290世帯 | 9,517人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下のとおりとなる[17]。
区域 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
1750 - 1752番地 | さいたま市立蓮沼小学校 | さいたま市立大谷中学校 |
1 - 916番地、931 - 932番地 1039 - 1046番地、1184 - 1749番地 1753 - 1803番地、1821 - 1855番地 1860 - 1877番地 |
さいたま市立大谷小学校 | |
917 - 930番地、933 - 1038番地 1047 - 1183番地、1804 - 1820番地 1856 - 1859番地、1878番地以降 |
さいたま市立東宮下小学校 | さいたま市立七里中学校 |
交通
[編集]鉄道
[編集]地内に鉄道路線は通っていない。最寄り駅は地点によって異なり、東武野田線(東武アーバンパークライン)の大和田駅、または同七里駅である。七里駅は、大字大谷字稲荷東213番地42の地点から約2.2 kmの位置にある[6]。
道路
[編集]- 埼玉県道65号さいたま幸手線
- 大間木丸ヶ崎線
- 大谷中通り
- 東楽園通り
バス
[編集]- 東武バスウエスト
- 国際興業バス
- さいたま東営業所
- 大04:大宮駅東口 - 堀の内橋 - 西中野 - 日大前 - 大谷 - 大谷県営住宅
(大宮駅東口→大谷県営住宅に深夜バスも運行・平日4本、土曜2本) - 大04-2:大宮駅東口 - 自治医大医療センター - 日大前 - 大谷 - 大谷県営住宅《新道・自治医大医療センター経由》
- 大04-3:大宮駅東口 - 堀の内橋 - 西中野 - 日大前 - 大谷 - 大宮東高校 - 東部リサイクルセンター(平日の朝夕のみ)
- 大04:大宮駅東口 - 堀の内橋 - 西中野 - 日大前 - 大谷 - 大谷県営住宅
- さいたま東営業所
- さいたま市コミュニティバス
地域
[編集]住宅団地
[編集]- 南平台団地
- 日生大谷団地 - 市街化調整区域に立地
- 生協大谷団地
県営住宅
[編集]- 大宮東宮下住宅
- 通称名:県営大宮東宮下団地。南半分が当地区内にあたる。また、同じ団地内に高層団地があるが、6号棟のみ当地区内にあたる。1 - 5号棟は大字東宮下に属する。
- 大宮七里住宅
- 通称名:県営大宮七里団地。完成当初は大谷県営住宅と呼ばれていた。至近にある国際興業バスおよびさいたま市コミュニティバスの同名のバス停名は、その名残である。
- 大宮七里第二住宅
- 通称名:県営大宮七里第二団地
マンション
[編集]- サンパーク七里
- 大宮七里グリーンハイツ[10]
- ダイアパレス大宮七里
公園・緑地
[編集]- 七里総合公園(一部)[15]
- 環境広場 - 最終処分場[18]
- 大谷ホタルの里 - 西福寺の麓に所在する
- 大谷公園
- 大谷松原公園
- 生協大谷公園
- 日生住宅公園
- 南平台第一公園
- 南平台第二公園
- 南平台第三公園
※ これ以外にも七里保育園のすぐ南側などに無名の公園がある。
施設
[編集]- 七里コミュニティセンター
- さいたま市立七里図書館を併設
- 大宮大谷郵便局
- 思い出の里市営霊園
- 国際興業・さいたま市見沼区コミュニティバス大谷県営住宅バス停〈折返場〉
- 学校法人山吹学園 山吹幼稚園
- さいたま市立七里保育園
- さいたま市立大谷小学校
- さいたま市立大谷中学校
- 高齢者総合サービスセンター 敬寿園 七里ホーム
- ソラスト大宮東 - 介護付有料老人ホーム
- 有料老人ホーム ニチイケアセンター大谷
- 大谷会館
- 大谷第四自治会館
- 生協大谷自治会館
- 氷川神社
- 曹洞宗西福寺
脚注
[編集]- ^ a b “さいたま市の人口・世帯(時系列結果)”. さいたま市 (2017年9月5日). 2017年9月20日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年9月18日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
- ^ a b c d 外部リンク節の『さいたま市地図情報』を参照。
- ^ a b c d e f g h i j k l 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 188頁。
- ^ a b “鑑定評価書”. www.land.mlit.go.jp. 2021年4月5日閲覧。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』1387頁。
- ^ 「旧高旧領取調帳データベース」の検索結果も参照。
- ^ a b 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 1420頁。
- ^ a b 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 956頁。
- ^ a b 『大宮のむかしといま』 資料-26-29頁。
- ^ 『大宮のむかしといま』 資料-11頁。
- ^ a b “教育要覧 令和元年度版”. さいたま市教育委員会. p. 113 (2019年8月9日). 2019年11月14日閲覧。
- ^ “さいたま市/思い出の里市営霊園の紹介”. www.city.saitama.jp. 2021年4月5日閲覧。
- ^ a b 七里総合公園 - さいたま市公園緑地協会.2019年11月14日閲覧。
- ^ “七里コミュニティセンター”. さいたま市 (2019年10月1日). 2019年11月14日閲覧。
- ^ “さいたま市立小・中学校通学区域一覧”. さいたま市 (2017年8月23日). 2017年9月20日閲覧。
- ^ “さいたま市の最終処分場”. さいたま市 (2019年8月27日). 2019年11月14日閲覧。
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。
- 『大宮のむかしといま』大宮市、1980年11月3日。全国書誌番号:81007009、NCID BN03449939。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- さいたま市見沼区役所
- さいたま市地図情報 - さいたま市
- 見沼区ガイドマップ - さいたま市