椎名麟三
椎名 麟三 (しいな りんぞう) | |
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1953年5月 | |
誕生 |
1911年10月1日 日本・兵庫県飾磨郡曾左村之内書写村 |
死没 |
1973年3月28日(61歳没) 日本・東京都 |
墓地 | 富士霊園 |
職業 | 小説家 |
言語 | 日本語 |
国籍 | 日本 |
最終学歴 | 姫路中学校中退 |
活動期間 | 1939年 - 1973年 |
ジャンル | 小説 |
文学活動 | 第一次戦後派 |
代表作 |
『深夜の酒宴』(1947年) 『永遠なる序章』(1948年) 『自由の彼方で』(1954年) 『美しい女』(1955年) 『懲役人の告発』(1969年) |
主な受賞歴 | 芸術選奨文部大臣賞(1956年) |
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椎名 麟三(しいな りんぞう、1911年10月1日 - 1973年3月28日)は、日本の小説家である。本名は大坪 昇(おおつぼ のぼる)。
貧窮の中に育ち、職を転々とした後、共産党に入るも投獄され転向。戦後、『深夜の酒宴』で独自の実存主義的作風を示して一躍脚光を浴び、第一次戦後派の代表作家と目された。その後キリスト教に入信、平凡愚劣な現実や生を肯定する宗教的作風に新境地を拓いた。
人物
[編集]父・大坪熊次(おおつぼ くまじ)と母・みすの、の長男として、兵庫県飾磨郡曾左村之内書写村(現・姫路市書写東坂(ひがしさか))に出生。両親ともに愛人を持ち、のちに父母ともに自殺した事から困窮し、14歳で家出する。旧制姫路中学を中退し、果物屋での20時間労働、飲食店の出前持ち、燐寸工場の鉄具ひろい、コック見習いなどの職を転々とした。宇治川電気(現・山陽電鉄)の車掌時代にカール・マルクスを読みはじめるとともに日本共産党に入党。
1931年(昭和6年)に特高に検挙された。獄中で読んだニーチェ『この人を見よ』をきっかけに転向。その後ニーチェの『大いなる正午』をきっかけに哲学にのめり込む。エッセイ「蜘蛛の精神」によれば、キルケゴール、ジンメルなどを師とあおぎ、後に入信することとなるキリスト教に関する知識を得た。小説に関してはドストエフスキーとの出会いを通して「小説なるものの真の意味」を知ったと述べている。
第二次世界大戦後の活動は、1947年(昭和22年)2月に雑誌『展望』に掲載した『深夜の酒宴』にて執筆再開[1]。1950年(昭和25年)、キリスト教へ入信。日本基督教団上原教会にて赤岩栄牧師から洗礼を受ける。以後キリスト教作家として活動。1956年『美しい女』で芸術選奨文部大臣賞受賞。1973年(昭和48年)3月28日、脳内出血のため東京都世田谷区松原の自宅で死去[2]。61歳没。
作品
[編集]小説
[編集]- 「深夜の酒宴」(1947年)のち講談社文芸文庫
- 『重き流れのなかに』(1947年)筑摩書房、のち新潮文庫
- 『深尾正治の手記』銀座出版社 1948年
- 『永遠なる序章』(1948年)河出書房、のち新潮文庫
- 『その日まで』筑摩書房 1949年
- 『病院裏の人々』月曜書房 1950年
- 『赤い孤独者』(1951年)河出書房 のち旺文社文庫
- 『嫉妬』早川書房 1951年
- 『邂逅』(1952年)講談社 のち旺文社文庫
- 『愛と死の谷間』筑摩書房 1953年 のち角川文庫
- 『自由の彼方で』大日本雄弁会講談社 1954年 のち新潮文庫、講談社文芸文庫
- 『神の道化師』新潮社 1955年 のち旺文社文庫、講談社文芸文庫
- 『美しい女』中央公論社 1955年 のち角川文庫、新潮文庫、中公文庫
- 『愛の証言』光文社(カッパ・ブックス) 1955年
- 『母の像』河出新書 1955年
- 『その日まで』近代生活社(近代生活新書) 1956年
- 『運河』新潮社 1956年 のち旺文社文庫
- 『人生の背後に』角川小説新書 1956年
- 『新作の証言』筑摩書房 1957年
- 『椎名麟三作品集』全7巻 大日本雄弁会講談社 1957年 - 1958年
- 『雨は降り続いている』東京書房 1958年
- 『明日なき日』人文書院 1959年
- 「寒暖計」新潮 1959年
- 『断崖の上で』中央公論社 1959年
- 『罠と毒』中央公論社 1960年
- 『長い谷間』講談社 1961年
- 『媒妁人』新潮社 1962年
- 『カラチの女』講談社 1963年
- 『懲役人の告発』新潮社・純文学書き下ろし特別作品(1969年)
- 『変装』新潮社 1970年
- 『椎名麟三全集』全23巻別巻 冬樹社 1970年 - 1979年
- 『椎名麟三初期作品集』河出書房新社 1975年
脚本
[編集]映画
[編集]戯曲
[編集]- 姫山物語(1963年、ミュージカル)
- 悪霊(1970年、冬樹社) - 脚色
- 蠍を飼う女 自選戯曲集(1971年、新潮社)
テレビドラマ
[編集]- その男(1959年、NHK大阪「テレビ劇場」)
- 終電車脱線す(1960年、ラジオ東京テレビ「日立劇場」)
- 自由への証言(1960年、NHK大阪) - 芸術祭奨励賞
- 待っている間の(1962年、日本テレビ「愛の劇場」)
- 約束(1964年、NHK「NHK劇場」) - 芸術祭奨励賞
随筆・評論
[編集]- 『自由を索めて エッセエ集』(近代文庫社 1949年)
- 『愛と自由の肖像』(社会思想研究会出版部 1956年 のち現代教養文庫)
- 『猫背の散歩』(河出書房 1956年)
- 『私の聖書物語』(中央公論社 1957年 のち文庫)
- 『生きる意味』(社会思想研究会出版部 1959年 のち現代教養文庫)
- 『私の人生手帖』(社会思想研究会出版部(現代教養文庫) 1961年)
- 『文学入門』(佐古純一郎共編 日本基督教団出版部 1963年)
- 『信仰というもの』(教文館(現代キリスト教双書) 1964年)
- 『地底での散歩』(国際日本研究所 1966年)
- 『人・生活・読書』(二見書房 1967年)
- 『私のドストエフスキー体験』(教文館 1967年)
- 『凡愚伝』(日本基督教団出版局 1967年)
- 『椎名麟三人生論集』(全5巻 二見書房 1968年)
- 『椎名麟三信仰著作集』(全13巻 教文館 1977年 - 1982年)
- 『愛について』(旺文社文庫 1977年9月)
- 『椎名麟三創作ノート』(全3巻 菁柿堂 1981年 - 1982年)
記念碑など
[編集]山陽電気鉄道本社前に文学碑がある。椎名麟三がかつて山陽電鉄に車掌として勤めていたこと、またその経験を生かし「美しい女」を執筆したことによる。碑文には「考えてみれば人間の自由が僕の一生の課題であるらしい」と刻まれている(『鉄道ピクトリアル』1990年5月増刊号・特集 山陽電気鉄道/神戸電鉄より)。
また、書写山圓教寺には、岡本太郎による文学碑がある。椎名が書写山のふもと、東坂に生まれたことによる。
脚注
[編集]- ^ 岩波書店編集部 編『近代日本総合年表 第四版』岩波書店、2001年11月26日、359頁。ISBN 4-00-022512-X。
- ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)160頁