大倉工業硬式野球部
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チーム名(通称) | 大倉工業 |
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加盟団体 | 日本野球連盟 |
加盟区分 | 企業チーム |
創部 | 1962年 |
廃部 | 1982年 |
チーム名の遍歴 |
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本拠地自治体 |
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都市対抗野球大会 | |
出場回数 | 3回 |
最近の出場 | 1982年 |
最高成績 | 1回戦敗退 |
社会人野球日本選手権大会 | |
出場回数 | 4回 |
最近の出場 | 1982年 |
最高成績 | 2回戦敗退 |
日本産業対抗野球大会 | |
出場回数 | 2回 |
最近の出場 | 1971年 |
最高成績 | 8強 |
大倉工業硬式野球部(おおくらこうぎょうこうしきやきゅうぶ)は、香川県丸亀市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟していた社会人野球の企業チームである。1982年12月に解散した。
運営母体は、合成樹脂フィルム等を製造するメーカーの大倉工業。
概要
[編集]1962年、大倉工業の硬式野球部『大倉工業硬式野球部』として創部[1]。
1967年、創部6年目で都市対抗野球に初出場を果たした[1]。
1976年、日本選手権に初出場を果たし、本戦では1回戦で住友金属鹿島を破り全国大会初勝利をあげた。
1982年、同年は都市対抗野球と日本選手権ともに本戦出場を果たすが、シーズン終了後の12月に本社の業績低迷に伴い休部が発表され[2]、その後廃部となった。
設立・沿革
[編集]主要大会の出場歴
[編集]- 都市対抗野球大会 - 出場3回
- 社会人野球日本選手権大会 - 出場4回
- JABA徳山(スポニチ)大会 - 優勝1回(1978年)
主な出身プロ野球選手
[編集]- 村上義則(投手) - 1970年ドラフト4位で中日ドラゴンズに入団
- 宮脇敏(投手) - 1971年ドラフト2位でロッテオリオンズに入団
- 仁科時成(投手) - 1976年ドラフト3位でロッテオリオンズに入団
- 藤岡貞明(投手) - 1979年ドラフト外で横浜大洋ホエールズに入団
かつて在籍していた主な選手・コーチ・監督
[編集]- 富原忠夫(捕手) - 選手として在籍。現役引退後、競輪選手に転向。日本自転車競技連盟の会長などを歴任した。
- 橋野純(内野手) - 選手として在籍。母校・香川県立丸亀商業高等学校からの監督就任要請により退社。