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埼玉県立児玉白楊高等学校

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埼玉県立児玉白楊高等学校
地図北緯36度11分16.4秒 東経139度7分10.9秒 / 北緯36.187889度 東経139.119694度 / 36.187889; 139.119694座標: 北緯36度11分16.4秒 東経139度7分10.9秒 / 北緯36.187889度 東経139.119694度 / 36.187889; 139.119694
過去の名称 埼玉県児玉農学校
埼玉県児玉農業高等学校
埼玉県立児玉農工高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 埼玉県の旗 埼玉県
設立年月日 1899年
創立記念日 10月31日
共学・別学 男女共学
課程 全日制
単位制・学年制 学年制
設置学科 生物資源科
環境デザイン科
機械科
電子機械科
学校コード D111210000682 ウィキデータを編集
高校コード 11189K
所在地 367-0216
埼玉県本庄市児玉町金屋980
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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埼玉県立児玉白楊高等学校(さいたまけんりつ こだまはくようこうとうがっこう)は、埼玉県本庄市児玉町金屋にあった全日制の公立高等学校

2023年4月1日より、旧埼玉県立児玉高等学校と合併し、新埼玉県立児玉高等学校と改称している。ここでは、児玉白楊高校時代のことについて記載する。2023年度以降については、埼玉県立児玉高等学校を参照のこと。

歴史・概要

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火力応用の換気乾燥飼育法である「一派温暖育」を考案したことで知られる木村九蔵[1]、養蚕を研究・指導を目的として[1]1884年(明治17年)に[2]「養蚕改良競進組」を結成し[1]1900年(明治33年)に養蚕学校を開校したのが始まりである[2]

ちなみに校名の「白楊」は学校のシンボルでもあるポプラ並木の漢名。

2023年4月より、埼玉県立児玉高等学校と合併した。校名は、向こうの名前を引き継いで「埼玉県立児玉高等学校」となり、“白楊”の名は消えてしまったが、校舎等施設は当校施設を活用している[3]

沿革

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  • 1884年明治17年)[2] - 木村九蔵が「養蚕改良競進組」を結成[1]
  • 1899年(明治32年) - 前身の「競進社蚕業学校」を設置認可。(開校記念日)
  • 1900年(明治33年) - 開校[2]
  • 1925年大正14年) - 校名を「競進社実業学校」と改称。
  • 1933年昭和8年) - 蚕業専門教育から普通農業教育に移行。
  • 1937年(昭和12年) - 校名を「埼玉県児玉農学校」と改称。
  • 1948年(昭和23年) - 学制改革により、校名を「埼玉県児玉農業高等学校」と改称。
  • 1972年(昭和47年) - 県立に移管し、農業科2学級と機械科2学級を置き校名を「県立児玉農工高等学校」と改称。
  • 1988年(昭和63年) - 機械科1学級を電子機械科(共学)に転換する。
  • 1990年平成2年) - 各科を順次男女共学に転換。
  • 1992年(平成4年) - 園芸科を環境デザイン科(共学)に転換する。
  • 1995年(平成7年) - 校名を「県立児玉白楊高等学校」と改称。
  • 1999年(平成11年) - 農業科を生物資源科(共学)に転換する。
  • 2023年(令和5年) - 埼玉県立児玉高等学校と合併、当校が新「埼玉県立児玉高等学校」となる

設置科

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  • 生物資源科
  • 環境デザイン科
  • 機械科
  • 電子機械科

定員 各40名

主な行事

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  • 体育祭
  • 農業、工業センター実習
  • ポプラ祭
  • ロードレース
  • 予餞会
  • 球技大会

交通

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脚注

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  1. ^ a b c d 大平明日香(2014年11月12日). “養蚕業:支えた偉人展開催中 木村九蔵らを紹介−−本庄”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
  2. ^ a b c d 遠藤大志(2014年10月25日). “児玉白楊高:「競進社」資料を公開 前身の養蚕教育施設紹介−−本庄”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
  3. ^ 児玉新校トップページ - 埼玉県立児玉白楊高等学校

関連項目

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外部リンク

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