在ベネズエラ日本国大使館
在ベネズエラ日本国大使館 Embajada del Japón en Venezuela | |
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日本国大使館が入居するトレ・ディヒテル(2010年撮影) | |
所在地 | ベネズエラ |
住所 | Torre Digitel, Piso 9, Avenida Don Eugenio Mendoza con Esquina Calle Miranda, Urbanización La Castellana, Municipio Chacao, Estado Miranda |
座標 | 北緯10度29分50.0秒 西経66度51分7.0秒 / 北緯10.497222度 西経66.851944度座標: 北緯10度29分50.0秒 西経66度51分7.0秒 / 北緯10.497222度 西経66.851944度 |
開設 | 1938年(公使館) 1957年(大使館) |
大使 | 佐藤靖 |
管轄 | ベネズエラ |
ウェブサイト | www |
在ベネズエラ日本国大使館(スペイン語: Embajada del Japón en Venezuela / Embajada de Japón en Venezuela、英語: Embassy of Japan in Venezuela)は、ベネズエラの首都カラカスにある日本の大使館。
歴史
[編集]1938年6月1日、カラカスのオテル・マヘスティック(マジェスティック・ホテル)に在ベネズエラ日本帝国公使館(在ヴェネズエラ日本帝国公使館[1])が開設された[2]。初代特命全権公使はボゴタ常駐の山形清で、1938年8月19日にカラカスへ到着し、同年10月11日にエレアサル・ロペス・コントレーラス大統領へ信任状を捧呈した[2]。
1939年9月1日に第二次世界大戦が勃発した当初ベネズエラは中立を維持していたが、大日本帝国が真珠湾を攻撃してから1ヶ月足らずの1941年12月31日、ベネズエラは大日本帝国を含む枢軸国との関係を破棄して連合国側に付くことを宣言した[3]。これにより両国の外交関係が断絶し、カラカスの帝国公使館も閉鎖された[4]。
1952年4月28日、サンフランシスコ平和条約の発効により日本国が独立したが、ベネズエラも同条約締結国のうちの一国である[5]。同年内に、日本とベネズエラの外交関係が再開[4]。1957年3月30日、在ベネズエラ日本国公使館(在ヴェネズエラ日本国公使館[1])を大使館に昇格することが定められ[6]、同年7月1日に在ベネズエラ日本国大使館(在ヴェネズエラ日本国大使館[1])が発足した[7]。
所在地
[編集]Torre Digitel, Piso 9, Avenida Don Eugenio Mendoza con Esquina Calle Miranda, Urbanización La Castellana, Municipio Chacao, Estado Miranda[8]
出典
[編集]- ^ a b c 2003年の在外公館の名称及び位置並びに在外公館に勤務する外務公務員の給与に関する法律の改正まで、「ヴェネズエラ」が日本の公文書における正式表記であった。
- ^ a b NIHON VES: Relaciones provechosas en ciencia e ingeniería entre Japón y Venezuela - Chegoyo
- ^ "Venezuela Breaks with Axis Regimes," New York Times, Jan. 1, 1942
- ^ a b ベネズエラ基礎データ | 外務省
- ^ VI 平和条約の批准・発効
- ^ 法律第十一号(昭三二・三・三〇) ◎在外公館の名称及び位置を定める法律等の一部を改正する法律 | 衆議院
- ^ 『わが外交の近況 昭和32年9月』各説 > 一 我が国と各地域との間の諸問題 > ラテン・アメリカ関係 > 2 ラテン・アメリカ諸国への企業進出と経済提携
- ^ 大使館案内 | 在ベネズエラ日本国大使館
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 在ベネズエラ日本国大使館、同
- 在ベネズエラ日本国大使館 (Embajada-del-Japón-en-Venezuela) - Facebook