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ヤマハ音楽院

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合歓音楽院から転送)

ヤマハ音楽院(ヤマハおんがくいん)は、財団法人ヤマハ音楽振興会が、1970年に音楽家や指導者の育成を目的に設立した音楽学校。

概要

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設立時はネム音楽院と称したが、1983年ヤマハ音楽院に改称した[1]公益法人制度の改定にともない、公益法人としてより社会に貢献する人材育成を目指し、指導者育成に軸を置くためとして、2008年度より指導者養成科を除く募集を停止した[2]

SMAP浜崎あゆみEvery Little ThingCHEMISTRY倖田來未Crystal Kay島谷ひとみKinKi Kidsなどに曲を提供する作曲家を送り続けていた。これは36年間続く「作編曲→ライブ・レコーディング」という独自のカリキュラムが組まれているからである。

さらに近年はDTMを全学生必修にし、年間20回にも及ぶオリジナル曲のライブ開催で、ゲーム音楽、インターネット番組制作、着メロ着うた、ヤマハ楽器の音源データ制作など、時代が要求する音楽制作のあらゆる方面でOBが活躍している。また関東圏には1,000名をヤマハ音楽教育システム講師として送り出している。

旧名「ネム音楽院」の「ネム」はヤマハがかつて経営していたリゾート施設「合歓の郷」の由来にもなっている[3]

ネム音楽院は当初、JOC ジュニアオリジナルコンサートで活躍する自作自演のピアニストやエレクトーニストを養成する目的があり、平部やよい等の作曲家も積極的にヤマハの教育に関与していたが、ピアニスト部門のみヤマハマスタークラスに移管した。

卒業生等

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脚注

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出典

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  1. ^ 沿革”. ヤマハ音楽振興会. 2012年5月24日閲覧。
  2. ^ 燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや”. Dr.青山 倶楽部 (2007年8月14日). 2012年5月23日閲覧。
  3. ^ 梶田昌史 & 田渕浩久 2017, p. 28, §1.
  4. ^ 梶田昌史 & 田渕浩久 2017, pp. 28–32, §1.

参考文献

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  • 梶田昌史、田渕浩久『作編曲家 大村雅朗の軌跡 1951-1997』ディスクユニオン、2017年6月29日。ISBN 978-4-86647-019-1 

外部リンク

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