古和釜町
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古和釜町 | |
---|---|
北緯35度44分15.91秒 東経140度3分14.6秒 / 北緯35.7377528度 東経140.054056度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 千葉県 |
市町村 | 船橋市 |
人口 | |
• 合計 | 1,460人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
274-0061[2] |
市外局番 | 047[3] |
ナンバープレート | 船橋 |
古和釜町(こわがまちょう)は、千葉県船橋市の地名。丁番を持たない単独町名である。郵便番号は274-0061[2]。
地理
[編集]北北西で金堀町、北西で楠が山町、西で大穴北、北東で八千代市吉橋、緑が丘西、東で坪井町、南で松が丘と隣接する。近年では宅地化が進んでいるが、北部を木戸川が、東部を桑納川が流れ、稲作と畑作が広く営まれている。
歴史
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
古和釜村の歴史は古く、奈良県から移民してきた人びとによって切り開かれたと言われている。 高根台団地が造成される1961年(昭和36年)の時点では、古和釜の町域は現在の高根台三丁目にまで及んでいた。同団地に触発される形で当時の古和釜町の南部一帯が宅地化、人口が急増していた。1973年(昭和48年)3月1日付でこの古和釜町南部に住居表示が施行されて、松が丘一〜五丁目及び高根台三丁目として独立[4]。比較的宅地化が進行していなかった北部地域は古和釜町のまま現在に至る。古和釜町が開拓される以前の江戸時代初期には伊勢神宮の神領や千葉氏の領地、江戸時代末期には徳川幕府と松平氏の領地であったことが伝えられている。[5]
地名の由来
[編集]桑納川と木戸川の合流地点付近に、人間の胸のあたりまで没する窪地(穴=釜)があり、その周辺が奈良県の古和から移住してきた人々によって開かれた土地であったため古和釜と呼ばれるようになった。[6]全国各地に存在する 古和清水(子和清水)の伝説とは関係性がない。
世帯数と人口
[編集]2017年(平成29年)11月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
古和釜町 | 665世帯 | 1,460人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 船橋市立古和釜小学校 | 船橋市立古和釜中学校 |
交通
[編集]鉄道
[編集]路線バス
[編集]道路
[編集]- 都市計画道路3・4・25号宮本古和釜町線(地元民からは「バス通り」の愛称で親しまれる)
施設
[編集]- 第一の森
- 千葉県立船橋古和釜高等学校
- 福寿荘
- サングリーンテニスクラブ
- 東光寺
- 八王子神社
- 船橋市東消防署古和釜分署
文化財
[編集]- 市指定
- 石造自休大徳坐像(有彫)
脚注
[編集]- ^ a b “船橋市町丁別人口”. 船橋市 (2017年11月24日). 2017年11月30日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月30日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月1日閲覧。
- ^ 『広報ふなばし』第302号(1973年(昭和48年)2月号) p. 2。船橋市北図書館ほか所蔵
- ^ https://www.city.funabashi.lg.jp/shisetsu/toshokankominkan/0002/0020/0002/p009687.html
- ^ https://www.city.funabashi.lg.jp/shisetsu/toshokankominkan/0002/0020/0002/p009687.html
- ^ “小・中学校通学区域表(住所別)”. 船橋市 (2016年12月22日). 2017年11月30日閲覧。