コンテンツにスキップ

加佐美神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
加佐美神社
舞殿
所在地 岐阜県各務原市蘇原古市場町5丁目1
位置 北緯35度25分21.50秒 東経136度51分55.12秒 / 北緯35.4226389度 東経136.8653111度 / 35.4226389; 136.8653111
主祭神 加佐美大神
蘇我倉山田石川麻呂
応神天皇
社格 式内社(小)
郷社
金幣社
創建 貞観6年(864年
例祭 10月14日15日
テンプレートを表示

加佐美神社(かさみじんじゃ)は、岐阜県各務原市蘇原古市場町にある神社

式内社である。元々は蘇原10カ村(伊吹・飛鳥・島崎野口・熊田・東島・坂井大島・宮代古市場)の総社であるが、現在は蘇原地区の総社とされている。旧社格は郷社。

各務原市内の金幣社五社のうちの一社である。

概略

[編集]

864年貞観6年)、清和天皇により創建。かつてこの地を、蘇我倉山田石川麻呂などの蘇我氏が治めており、「蘇原」の地名は、蘇我氏の領有に由来するといわれている。蘇我倉山田石川麻呂が亡くなった後、曽原荘(現在の蘇原)の人々が蘇我倉山田石川麻呂を崇敬し、祭祀したのが始まりといわれており、神社自体は7世紀には存在した可能性がある。905年延喜5年)ころ、各務郡曽原荘古市場にあり八幡宮と呼ばれていたという。908年(延喜5年)には笠見明神と称されたという。

境内には阿弥陀堂、薬師堂があり、神仏習合の名残がある。かつては神宮寺として根本寺が存在したが、明治初期に廃仏毀釈で廃寺となっている。本殿(1687年建築)幣殿(1910年建築)拝殿(1746年建築)は国の登録有形文化財に登録されている[1][2][3][4][5][6][7]

また、狛犬、獅子頭が各務原市指定文化財となっている[8][7]

蘇我氏とつながりが深く、周辺には蘇我石川麻呂の墳墓(伝蘇我倉山田石川麻呂の墓)や、山田寺跡(山田寺塔心礎)がある。

1975年(昭和50年)9月16日、岐阜県神社庁より金幣社に指定される[7]

参道は蘇原中央通りの一部に該当する。かつては参道には二の鳥居と三の鳥居があり、二の鳥居は蘇原中央通りとおがせ街道との交点、三の鳥居は蘇原中央通りと山田寺通りとの交点に存在したいわれている[9]

祭神

[編集]
  • 加佐美大神
    • 一説によると、かつては加佐美神社の北にある「加佐美山」自体が信仰の対象であったという。加佐美大神は加佐美山を神としたと推測される。
  • 蘇我倉山田石川麻呂
  • 応神天皇

境内社

[編集]

主な神事[7]

[編集]
  • 1月1日 - 歳旦祭・開運祈禱祭・交通安全祭
  • 2月節分 - 節分祭
  • 旧暦2月14日 - 秋葉祭
  • 2月20日 - 祈年祭・御鍬祭
  • 3月15日 - 住吉祭
  • 4月第一土曜日 - 奥之宮祭・水神祭
  • 7月最終日曜日 - 大祓神事
  • 10月15日以前の第二日曜日 - 例大祭
    • かつては毎年10月14日・15日に行われていた。花御輿がくりだされる。以前はけんか神輿が奉納されたが、事故により中止されている。
  • 11月15日 - 七五三祭
  • 11月23日 - 新穀感謝祭
  • 12月31日 - 除夜祭
  • 毎月1日・15日 - 月次祭

所在地

[編集]

交通機関

[編集]

その他

[編集]

境川を挟んで西側にある「市林山」は市隼雄命(橿森神社祭神)の墳墓がある。

また、神社の裏山にはかつて八幡山城があった。

境内には忠魂碑として征清紀念碑日露戦役忠魂碑、殉国戦士碑がある。元は別の場所に設置されていたのを移した碑である。

脚注

[編集]
  1. ^ 加佐美神社本殿”. 岐阜県. 2013年4月20日閲覧。
  2. ^ 加佐美神社本殿(文化遺産オンライン)
  3. ^ 加佐美神社幣殿”. 岐阜県. 2013年4月20日閲覧。
  4. ^ 加佐美神社幣殿(文化遺産オンライン)
  5. ^ 加佐美神社拝殿”. 岐阜県. 2013年4月20日閲覧。
  6. ^ 加佐美神社拝殿(文化遺産オンライン)
  7. ^ a b c d e f g h 式内金幣社加佐美神社の栞
  8. ^ 市指定文化財”. 各務原市. 2013年5月15日閲覧。
  9. ^ 各務原市 地区別景観計画 風景形成基準ガイドライン 重点風景地区3 加佐美神社地区” (PDF). 各務原市. 2025年2月26日閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]