富山薬学専門学校 (旧制)
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(共立富山薬学校から転送)
富山薬学専門学校 (富山薬専) | |
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創立 | 1920年(官立移管) |
所在地 | 富山県富山市 |
初代校長 | 小野瓢郎 |
廃止 | 1951年 |
後身校 | 富山大学 |
同窓会 | 富山大学薬学部同窓会 |
富山薬学専門学校(とやまやくがくせんもんがっこう)は、日本の官立旧制薬学専門学校。富山大学の旧制前身校の一つ。所在地は富山県富山市奥田付近。
沿革
[編集]前身諸校
[編集]- 1894年(明治26年):私立の共立富山薬学校として発足した。同年は日本薬剤師会の発足年でもある。
- 富山市の補助金と、富山県内所在の複数にわたる製薬会社による寄付金で設立。所在地は富山市梅沢町。
- 本科(修業年限2年、入学資格 満17歳以上)、速成科(修業年限1年、入学資格 満15歳以上)、選科を設置。
- 1895年(明治27年)2月:開校始業式。
- 1897年(明治30年)11月:富山市に移管、富山市立薬学校と改称。
- 速成科を廃止、3年制(予科1年、本科2年)に変更。
- 1899年(明治32年)8月:校舎焼失。以後、仮校舎を転々とする。
- 1900年(明治33年)3月:富山市議会、廃校を決議。
- 4月、学校の目的を薬剤師育成から売薬業子弟の教育に変更、存続決定。
- 1900年5月:富山県知事により、市立富山薬業学校への改組認可。
- 本科(3年制、入学資格 尋常小学校卒業程度)、別科(2年制、薬剤師試験対策)。
- 1906年(明治39年)12月14日:富山県立薬業学校の設立が富山県会で可決される[1]。
- 1907年(明治40年)4月:富山県に移管、富山県立薬業学校と改称。富山市立薬業学校廃止[1]。
- 薬剤師育成目的に復帰。予科(2年制、入学資格 高等小学校2年修了程度)・本科(3年制)。
富山県立薬学専門学校
[編集]- 1909年(明治42年)7月17日:専門学校令により富山県立薬学専門学校設立認可。
- 1910年(明治43年)4月:富山県立薬学専門学校開学。
- 本科(3年制、中学校卒業者対象)、別科(3年制、高等小学校2年修了者対象)。
- 当時の所在は富山市総曲輪(日赤富山支部病院跡地)。同年に薬草園(標本園)を完備させる。
- 1910年12月4日:開校記念式を挙行。
官立富山薬学専門学校
[編集]- 1920年(大正9年)12月1日:官立移管公布、富山薬学専門学校となる。
- 新校地は上新川郡奥田村(富山市奥田)。
- 1922年(大正11年)5月10日:開校式を挙行[2]。
- 1945年(昭和20年)8月:空襲により校舎焼失。
- 1947年(昭和22年)4月:奥田校舎復興。
- 1948年(昭和23年)4月:男女共学となる。
- 1949年(昭和24年):国立学校設置法により国立富山大学に統合包括され、同大学の薬学部となった。
- 1951年(昭和26年)3月:富山大学富山薬学専門学校、廃止。
歴代校長
[編集]- 共立富山薬学校
- 校長:邨沢金広
- 富山市立薬学校
- 校長:桜井勘六(1897年11月 - 1898年12月)
- 校長:日野五七郎(1898年12月 - 1900年5月)
- 市立富山薬業学校
- 校長:日野五七郎(1900年5月 - ?)
- 校長:堀大次郎(? - 1904年3月)
- 校長:長野恵(1904年4月 - 1905年3月)
- 校長心得:稲垣茂(1905年4月)
- 校長:堤従清(1905年4月 - 1907年3月)
- 富山県立薬業学校
- 校長事務取扱:山村弁之助(1907年4月 - 1907年10月)
- 校長:中西司馬(1907年10月 - 1910年3月)
- 富山県立薬学専門学校
- 校長:中西司馬(1910年4月 - 1910年6月死去)
- 校長:平山増之助(1910年9月 - 1914年1月)
- 校長代理:野副豊三郎(1914年1月 - 1915年9月)
- 校長:小野瓢郎(1915年9月 - 1921年3月)
- 官立富山薬学専門学校
- 校長:小野瓢郎(1920年12月 - 1921年10月19日死去)
- 校長事務取扱:高橋隆造(1921年10月 - 1921年12月)
- 校長:平山松治(1921年12月20日[3] - 1925年7月25日死去)
- 校長事務取扱:高橋隆造(1925年7月 - 1925年12月)
- 校長:高橋隆造(1925年12月 - 1944年4月)
- 校長:横田嘉右衛門(1944年4月 - 1951年3月)
- 新制富山大学薬学部 初代学部長