ゆうぽうと
ゆうぽうと U-Port | |
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建物全景(2008年3月) | |
情報 | |
旧名称 | 東京簡易保険会館 |
開館 | 1982年4月1日 |
閉館 | 2015年9月30日 |
最終公演 | ウエスタンカーニバル |
収容人員 | 2,007人 |
客席数 | 1,803席 |
延床面積 | 49,897m² |
設備 |
多目的ホール(ゆうぽうとホール):オーケストラピット、楽屋、リハーサル室、シャワー室、ピアノ、照明室、音響室 ホテル、結婚式場、宴会場、レストラン、カルチャースクール、フィットネスジム |
用途 | バレエ、オペラ、ミュージカル、コンサート、その他 |
運営 |
地上部:西洋フード・コンパスグループ 地下部:セントラルスポーツ |
所在地 |
〒141-0031 東京都品川区西五反田8-4-13 |
位置 | 北緯35度37分20.9秒 東経139度43分18.9秒 / 北緯35.622472度 東経139.721917度座標: 北緯35度37分20.9秒 東経139度43分18.9秒 / 北緯35.622472度 東経139.721917度 |
最寄駅 |
大崎広小路駅徒歩1分 五反田駅徒歩5分 大崎駅徒歩7分 |
最寄IC | 目黒出入口下車約15分 |
外部リンク | 公式サイト(閉館時) - ウェイバックマシン |
ゆうぽうとは、かつて東京都品川区西五反田に所在した、ホテルや結婚式場、フィットネスジム、多目的ホールなどを併設した日本郵政保有の複合施設である。1982年4月1日開館、2015年9月30日閉館[1]。
沿革
[編集]1959年3月、第31回通常国会において簡易生命保険法の一部を改正する法律案(家族保険の創設)が可決され、附帯決議の一項目として「福祉施設の拡充強化等契約者サービスの向上を図るよう努力すべきである」との決議がなされた[2]。
旧郵政省は、福祉施設の拡充と円滑な運営のため、国から既設の老人福祉施設、診療施設等の現物出資を受けて運営を行う特殊法人を設立し、国の直営から切り離す構想を固め、1962年度予算において特殊法人設立のための出資金が認められた[2]。運営法人を設立するための「簡易保険郵便年金福祉事業団法案」が第40回通常国会に提出され、1962年3月30日に可決成立、翌31日に「簡易保険郵便年金福祉事業団法」が公布施行された[2]。同法の施行により、簡易生命保険法と郵便年金保険法が一部改正され、郵政大臣が、加入者の福祉を増進するために必要な施設の設置ができること、その施設の設置と運営を簡易保険郵便年金福祉事業団(のちの簡易保険福祉事業団)に行わせることとされた[2]。
1956年に誰もが利用できる低廉な公共の施設として国民宿舎が制度化され、1961年には国民休暇村が開設された[3]。簡易保険福祉事業団にも、いつでも利用できる施設を求める簡易保険・郵便年金加入者の声が広く寄せられた[3]。特に東京や京都などの都市部の加入者からは、1950年代末頃から長年にわたって都市型福祉施設の設置を求める声が上がっていた[3]。事業団を所管する旧郵政省は、簡易保険加入者福祉施設の量的・質的拡充を求める社会的ニーズに応えるべく、簡易生命保険法第101条に基づき、観光地等に設けられたかんぽの宿などと共に「簡易保険郵便年金会館」の建設を進めた[3]。
事業団は、1965年2月の「福祉施設5か年計画書」において、東京、京都、九州地区に1か所ずつ「簡易保険郵便年金会館」を建設することを計画した[3]。この計画書に基づいて1966年6月に作成された「福祉施設建設5か年計画書」では、東京都、京都府、福岡県の3か所に会館を建設することとされた[3]。その趣旨として「簡易保険郵便年金加入者の日常生活における共同の利便の促進と生活文化の向上を図るための近代的福祉施設を設けることについての、加入者の強い要望にこたえるとともに、簡易保険事業の有力なPR施設たらしめんとするものである」と記され、簡易保険のPRという側面も持っていた[3]。
また、1968年3月に郵政審議会が出した「特色ある簡易保険とするための方策に関する答申」においても、特に都市における生活の利便を図るため、「都市センター」「医療センター」などが、新しい加入者サービスとして取り上げられた[3]。
都市型施設の第1号として、京都市左京区松ヶ崎に「京都簡易保険会館」が開館した[3]。郵政省が京都地方簡易保険局の隣接地1万2236㎡を事業団に現物出資することになり、1970年度に設計委託費、1971年度に工事費の予算が認められ、1972年3月に着工、1973年11月に完成し、12月に開館した[3]。京都会館には、簡易保険の略称「かんぽ」に会館の英訳(hall)を付け加えた「かんぽーる京都」という愛称が付けられた[3]。この施設は2002年3月31日に廃止された[4]。跡地には現在の左京区総合庁舎が建設され、2011年5月に左京区の区役所・福祉事務所・保健所が移転した[5][6][7]。
「かんぽーる京都」に続いて東京会館の建設が計画され、1982年4月に「東京簡易保険会館」が開設された[3]。経済・社会事情の激変の中で、建設過程や運営内容について従来にない対応を迫られ、1972年度に土地取得が承認されてから開館まで約10年を要した[3]。東京会館の愛称は、「みんなの出発するところ」というイメージから、港の英訳(port)を付けた「ゆうぽうと」になった[3]。事業団の加入者福祉施設の中で、最大規模の都市型施設であった[3]。
運営の効率化のため、多目的ホール、趣味・教養施設、健康診断施設など福祉性・公共性の強いものは事業団の直営としたが、その他は専門業者に委託した[3]。
なお、1982年度に会館や宿泊施設の新設を中止することが決定したため、福岡県の簡易保険会館は建設されなかった[2]。
「ゆうぽうと」は、2003年4月の日本郵政公社設立の際に旧簡易保険局から切り離されて、日本郵政公社直営となった。2007年10月の郵政民営化に際し、かんぽの宿とともに日本郵政が運営する一般のホテルとして営業を開始し、愛称の「ゆうぽうと」が正式名称となった。多目的ホール「ゆうぽうとホール」を併設し、各種イベント会場としても知られた。
民営化後に地上ホテルを西洋フード・コンパスグループへ、地下フィットネスジムをセントラルフィットネスクラブ五反田へそれぞれ業務委託し、日本郵政職員8人とともに運営したが、2008年12月1日に日本郵政から両社へ運営が完全移管された。
老朽化と赤字のため[8][9]2015年9月30日に多目的ホール「ゆうぽうとホール」を合わせて一切の営業を終了して閉館した。ゆうぽうとホールの最終公演は『ウエスタンカーニバル』だった[1]。
閉館後は日本郵政不動産によって再開発事業「五反田計画(仮称)」が進められ[10]、建物解体後の跡地に複合商業施設「五反田JPビルディング」が建設された。このビルにも多目的ホールがあり、品川区が区営施設「品川区立五反田産業文化施設」(CITY HALL & GALLERY GOTANDA)として運営している[11][12]。
施設
[編集]敷地面積は7,102㎡、延床面積は49,897㎡、鉄骨鉄筋コンクリート造14階・地下3階の建物であった[4]。
宿泊施設(客室240室、定員395人)、宴会・会議室(17室)、ホール(定員2,007人)、結婚式場(挙式場、披露宴会場、着付室、美容室、写真室)、レストラン、教室(7室、茶室1室を含む)、カルチャースクール、体育室、フィットネスジム、サウナ、スポーツスクールなどを備えた[4]。
検診センターを併設して人間ドックの受診が可能だったが[4]、民営化を控えた経営の見直しで2007年2月に終了した。
設計にあたっては、利用者とスタッフとの動線分離、防災および避難面での安全性の確保など、総合的な動線計画がポイントとなった[3]。また、多目的ホールを持つ施設であるため、構造計画および遮音について特に配意し、すぐれた音響効果を得るため、可動式の音響反射板、凹凸のタイル壁を設けた[3]。
ゆうぽうとホールは、プロセニアム形2層・客席数1,803席と都内でも大規模な多目的ホールであり、各種音楽イベントやコンサート、楽屋の数や舞台の使い勝手の良さから年間約150回のバレエ公演などが催された[8][9]。テレビ局主催のイベントとしては、『にっぽんの歌』(夏祭り にっぽんの歌・年忘れ にっぽんの歌、テレビ東京主催)、1987年から2014年まで全国童謡歌唱コンクールグランプリ大会(日本童謡協会・テレビ朝日系列24社主催)などで使用され、『にっぽんの歌』は、2009年から2014年まで利用したが、ゆうぽうとホールの閉鎖に伴い放送時間や形態を変更した。
1969年7月には、青少年層を対象に、スポーツを通じて心身の健全な発達を図るためのレクリエーション施設として、東京都世田谷区鎌田に「簡易保険東京青少年レクセンター」を開設した[2]。当初からテニスコート5面、野球グラウンド2面、屋外50mプール、子ども用丸型プール3面が設けられた[2]。1973年7月には室内プール、トレーニング室、サウナ、競技場(バレーボール、バスケットボール、テニス、バドミントン、卓球)を備えた体育館もオープンした[2]。また、スイミングスクールやテニススクールなどを開講し、スイミングの記録会、テニス大会なども随時開催した[2]。2002年度には、東京青少年レクセンターがゆうぽうとに統合され、「ゆうぽうと世田谷レクセンター」となった[13]。運営は1983年からセントラルスポーツに委託(2013~2019年度は株式会社ティップネスに委託)されており[13][14]、ゆうぽうとの閉館後も日本郵政が継続して保有し[15]、引き続き営業している。
利用方法
[編集]郵政民営化前は簡易保険加入者(契約者、被保険者、受取人)が優先され、利用時はかんぽの宿メンバーズカード、簡易保険証書写しなど簡易保険加入者の証明を求めた。非加入者は1人1泊あたり2,310円が加算された。郵政省や郵政事業庁時代は郵便局で予約も可能だった。
郵政民営化後は加入証明を求めず、宿泊料金は従来の加入者料金相当を維持した。
交通
[編集]五反田駅からゆうぽうとに通じる通りは地元住民から「ゆうぽうと通り」と呼ばれていた[16]。
- 東急池上線 - 大崎広小路駅から徒歩約1分
- JR山手線・都営地下鉄浅草線・東急池上線 - 五反田駅から徒歩約5分
- JR山手線・JR埼京線・JR湘南新宿ライン・東京臨海高速鉄道りんかい線 - 大崎駅から徒歩約7分
- 首都高速2号目黒線 - 目黒出入口から山手通り経由約15分
脚注
[編集]- ^ a b “平尾昌晃、「ゆうぽうと」閉館にしみじみ「お客さんも悲しそうな顔」”. ORICON STYLE (2015年9月30日). 2015年9月30日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i “第1章 簡易保険郵便年金福祉事業団の施設運営”. かんぽの宿 68年のあゆみ. 日本郵政株式会社. pp. 1-10. 2024年9月22日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r “第2章 事業団の経営改善と施設の多様化”. かんぽの宿 68年のあゆみ. 日本郵政株式会社. pp. 1-5. 2024年9月22日閲覧。
- ^ a b c d “施設概要”. かんぽの宿 68年のあゆみ. 日本郵政株式会社. p. 29. 2024年9月22日閲覧。
- ^ “京都市:左京区総合庁舎整備について(18.11.9)”. 京都市情報館. 2024年9月24日閲覧。
- ^ “京都市:左京区総合庁舎整備等事業の起工式について(21.8.24)”. 京都市情報館. 2024年9月24日閲覧。
- ^ “京都市左京区役所:区庁舎の所在地とアクセス”. 京都市情報館. 2024年9月24日閲覧。
- ^ a b 藤崎昭子 (2012年6月15日). “バレエ劇場が消える東京 ゆうぽうと・青山劇場…次々閉館”. 朝日新聞DIGITAL. 2015年12月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月20日閲覧。
- ^ a b “青山劇場、日本青年館…消えるバレエの拠点 老朽化で相次ぎ閉館”. 産経ニュース (2012年1月18日). 2015年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年8月16日閲覧。
- ^ 『「旧ゆうぽうと」跡地が生まれ変わる。大規模複合開発「五反田計画(仮称)」新築工事着工』(プレスリリース)日本郵政不動産、2021年8月10日 。2024年9月19日閲覧。
- ^ “2023年12月竣工予定の大規模複合施設「五反田計画(仮称)」の建物名称を「五反田JPビルディング」に決定”. 日本郵政不動産株式会社 (2023年7月4日). 2023年7月6日閲覧。
- ^ “旧ゆうぽうと再開発、「五反田JPビルディング」に”. 最新不動産ニュースサイト「R.E.port」. 2023年7月5日閲覧。
- ^ a b “第3章 施設運営の新展開と郵政公社への事業移管”. かんぽの宿 68年のあゆみ. 日本郵政株式会社. pp. 9-11. 2024年9月22日閲覧。
- ^ “施設紹介|ゆうぽうと世田谷レクセンター”. www.central.co.jp. 2024年1月20日閲覧。
- ^ “終章 事業譲渡の決断”. かんぽの宿 68年のあゆみ. 日本郵政株式会社. p. 3. 2024年9月22日閲覧。
- ^ “日本の街を元気に! 郵政が描く、まちづくりのデッサンVol.3 ゆうぽうと跡地に「五反田JPビルディング」地域に愛されるランドマークへ|JP CAST(郵便局の魅力を発信するメディア)”. www.jpcast.japanpost.jp. 2024年9月28日閲覧。
参考文献
[編集]- かんぽの宿 68年のあゆみ - 日本郵政