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中山慶親

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中山慶親
時代 室町時代 - 江戸時代初期
生誕 永禄9年11月29日1567年1月9日
死没 元和4年4月10日1618年6月2日
戒名 西照院凉月向空
官位 従二位権大納言
主君 正親町天皇後陽成天皇後水尾天皇
氏族 中山家
父母 父:中山親綱、母:白川雅業王
兄弟 慶親中山冷泉為親憲応親子今出川季持室、女子
有馬則頼
元親寛済、女子、女子
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中山 慶親(なかやま よしちか)は、室町時代から江戸時代初期にかけての日本公卿中山家15代当主。

生涯

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中山親綱の長男として誕生。天正4年11月28日1576年12月18日)、元服し、禁色宣下を受ける。同17年(1589年)、参議となり公卿入りを果たす。

元和4年(1618年)、中風で薨去した。享年53。法号は西照院凉月向空[1]

系譜

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官歴

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脚注

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  1. ^ 『系図纂要』第六冊(p.550)。『公卿補任』後水尾天皇元和四年条には「法名向空。」、「醍醐寺過去帳」(『醍醐寺文書』第118函5号)には「西照院正二品」とある。
  2. ^ 『寛永諸家系図伝』有馬則頼の女子の「中山中将室」、の中山中将は慶親のこと。(参考文献中の10頁目に記載)
  3. ^ a b 『系図纂要』第六冊(pp.550-551)。
  4. ^ 「醍醐寺過去帳」(前掲)には、そのうちの一人として正眼院実庭寿真大姉という戒名の女性(「予妹」)が一人おり、慶長17年7月17日(1640年9月2日)に亡くなっている。

参考文献

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