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版下 (浮世絵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
下絵から転送)

版下(はんした)とは、書画版木の下書きである。本項では、版本ではない、一枚摺りの浮世絵版画に限定して述べる。

概要

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葛飾北斎『百人一首うばがゑとき 皇嘉門院別当』版下。1835-36年。大英博物館蔵。

浮世絵版画は絵師だけで生まれるものではなく、版元-絵師-彫師-摺師の分業によって成り立っている。また画題も、版元もしくは出資者が決めるものであって、絵師は彼らの要求に応えねばならない。

版元ないし出資者から注文を受けた絵師は、作図案を提出する。これが「版下」である。輪郭線のみの図である。版元の了承を得た後、名主、或いは版元業界の自主組織から、検閲を受ける必要があった[注釈 1]

審査を通り、「改印(あらためいん)」を捺された版下は、彫師に渡る。そのまま彫摺すると、像が裏向きになってしまうので、版下を裏返して版木に貼り付け、小刀で輪郭を切り出し、不要な部分を各種で浚う。鏡像を見やすくする為、版下には薄手の和紙を用い、版木に貼って乾かす[3][4][5]。彫られた結果、版下は木屑と共に消亡する。

但し、葛飾北斎の『千絵の海』や『百人一首うばがゑとき[注釈 2]のように、揃い物が完結しなかった為、版下が現存するものもある[7][5][8][注釈 3]

脚注

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注釈

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  1. ^ 1790年(寛政2年)以降、松平定信により、キリスト教関連は大前提として、幕藩体制を批判するもの、織豊政権に触れるもの、及び猥褻なものは取り締まり対象となった[1][2]。個人からの注文の場合は、絵草紙屋、つまり書店には並ばないので、検閲無し。
  2. ^ 53点の版下が確認されている[6]
  3. ^ アダチ版画研究所の安達以乍牟は、『千絵の海』版下が多く現存するのは、北斎の版下描写が細かいため、彫師と版元から、製作時間及び費用がかかるため、彫りを拒否されたのだろうと推測する[9]

出典

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  1. ^ 菊池ほか 1982, pp. 120、122-123.
  2. ^ 小林・大久保 1994, pp. 218–219森山悦乃「江戸幕府の出版統制」
  3. ^ 菊池ほか 1982, pp. 82–83.
  4. ^ 小林・大久保 1994, pp. 177–178製作の場から-企画から完成まで
  5. ^ a b 国際浮世絵学会 2008, p. 411大久保純一「版下」
  6. ^ モース 1996, p. 16.
  7. ^ 菊池ほか 1982, p. 83.
  8. ^ 鈴木 2017, pp. 480–503.
  9. ^ 小林・大久保 1994, p. 188小林・安達「浮世絵と共に50年」

参考文献

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  • 鈴木重三「『千絵の海』をめぐって」『葛飾北斎千絵の海』アダチ版画研究所、1972年。 
    • 鈴木重三「『千絵の海』をめぐって」『改訂増補絵本と浮世絵』ぺりかん社、2017年10月30日、480-503頁。ISBN 978-4-8315-1485-1 
  • 菊池貞夫、ほか「版下」『原色浮世絵大百科事典3 様式・彫摺・版元』大修館書店、1982年4月15日、82-83頁。 
  • Morse, Peter (1989-8-1). HOKUSAI:One Hundred Poets. New York: George Braziller. ISBN 978-0-80761-213-2 
    • モース, ピーター 著、高階絵里加 訳『北斎百人一首うばがゑとき』岩波書店、1996年12月12日。ISBN 4-00-008184-5 
  • 大久保純一 著、小林忠大久保純一 編『浮世絵の鑑賞基礎知識』至文堂、1994年5月20日。ISBN 978-4-7843-0150-8 
  • 国際浮世絵学会 編『浮世絵大事典』東京堂出版、2008年6月30日。ISBN 978-4-4901-0720-3 

関連項目

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