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彬子女王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三笠宮彬子女王から転送)
彬子女王
三笠宮家
2011年(平成23年)1月2日 撮影
新年一般参賀にて
続柄 寬仁親王第1女子

全名 彬子(あきこ)
身位 女王
敬称 殿下
お印
出生 (1981-12-20) 1981年12月20日(42歳)
日本の旗 日本東京都
父親 寬仁親王
母親 寬仁親王妃信子
栄典 勲二等宝冠章
役職 日本ラグビーフットボール協会名誉総裁
一般社団法人心游舎総裁
日本・トルコ協会総裁
公益社団法人日本プロスキー教師協会総裁
公益財団法人中近東文化センター総裁
三笠宮記念財団総裁
一般社団法人日英協会名誉総裁[1]
立命館大学衣笠総合研究機構客員協力研究員
法政大学国際日本学研究所客員所員
京都市立芸術大学芸術資源研究センター客員教授・特別招聘研究員
京都産業大学日本文化研究所特別教授[2]
國學院大學特別招聘教授
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称号:女王
敬称 殿下
Her Imperial Highness the Princess
皇室






彬子女王(あきこじょおう、1981年昭和56年〉12月20日 - )は、日本皇族身位女王敬称殿下[3]お印(ゆき)。勲等勲二等学位DPhilオックスフォード大学2011年[4]

第126代・今上天皇(徳仁)再従妹(はとこ)にあたる。

第123代大正天皇ひ孫寬仁親王同妃信子の第1女子。

現在、存命中かつ皇籍離脱していない皇族14名のうちのひとりであり、天皇の血を直系で受け継ぐ男系皇族(親王内親王女王)8名のうちのひとりである[注釈 1][注釈 2]

彬子は、現在の内親王女王(天皇と血縁関係にある女子で皇籍にある者)では最年長となる[5]

肩書一覧

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組織 肩書
日本ラグビーフットボール協会 名誉総裁[6]
心游舎 総裁
國華清話会 名誉会長
日本・トルコ協会 総裁
日本職業スキー教師協会 総裁
中近東文化センター 総裁
三笠宮記念財団 総裁
日英協会 名誉総裁[7]
京都産業大学 日本文化研究所 特別教授
立命館大学 衣笠総合研究機構 客員協力研究員
法政大学 国際日本学研究所 客員所員
京都市立芸術大学 芸術資源研究センター 客員教授[8]
國學院大學 特別招聘教授
国士舘大学大学院 人文科学研究科 客員教授

略歴

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生い立ち

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2014年4月27日トルコにて文化観光大臣オメル・チェリック(右)と
2015年6月3日、エルトゥールル号遭難事件追悼式典にて

寬仁親王と信子親王妃の第一子として誕生した。皇室における女王の存在は、1947年(昭和22年)10月に11宮家が皇籍離脱した後の現皇室典範における女王誕生は初である。2005年(平成17年)11月の清子内親王皇籍離脱以降、未婚の皇族女子中では最年長である。

松濤幼稚園に1年間在籍後学習院幼稚園に移り、以降は学習院で教育を受ける。2004年(平成16年)3月に学習院大学文学部史学科を卒業した。

この間、2001年(平成13年)に成年に達したことにより、勲二等宝冠章(現:宝冠牡丹章に相当)を受章した。

学術研究と公的活動

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同年9月より、イギリスオックスフォード大学マートン・カレッジに留学し、日本美術史を専攻した。海外に流出した日本美術に関する調査・研究を行う[9]。女子皇族の中では珍しく、学問研究に専念する。

2010年(平成22年)1月にオックスフォード大学大学院博士課程を修了して、博士号(D.Phil.)を取得した[4]。博士号取得は博士(理学)(総合研究大学院大学)の秋篠宮文仁親王に続き、皇族として2人目、女子皇族として史上初、海外の大学からの課程博士号取得は皇族として史上初となった。

2009年(平成21年)10月1日、立命館大学衣笠総合研究機構ポストドクトラルフェローに就任した[10]

2012年(平成24年)、ポストドクトラルフェローの任期が切れた4月より、2014年(平成26年)12月まで上皇明仁の幼稚園時代の学友で銀閣寺慈照寺住職を務める臨済宗相国寺管長有馬頼底に依頼し、宗教法人慈照寺研修道場美術研究員に就任している。

2012年(平成24年)4月、発起人代表として心游舎を設立し、翌2013年の一般社団法人化に伴い同法人の総裁に就任。

4月1日より2013年3月まで、立命館大学衣笠総合研究機構の特別招聘准教授を、2013年4月から2014年3月まで、同客員准教授を務めた。5月1日からは法政大学国際日本学研究所客員所員も務め、文部科学省国際共同に基づく日本研究推進事業欧州の博物館等保管の日本仏教美術資料の悉皆調査と、それによる日本及び日本観の研究に従事し、ドレスデン美術館ポーランドに出張した[11]

2013年(平成25年)6月12日、寬仁親王の後任として日本・トルコ協会総裁に就任。

2014年(平成26年)4月、京都市立芸術大学芸術資源研究センター特別招聘研究員及び公益社団法人日本職業スキー教師協会総裁に就任。2015年(平成27年)4月、中近東文化センター総裁に就任した。

2018年(平成30年)1月、2017年3月9日付でトルコ政府に認可されている三笠宮記念財団[12]総裁に就任することが発表される。

2019年(令和元年)5月10日、日本ラグビーフットボール協会名誉総裁に就任[6]

2020年(令和2年)4月、千葉工業大学特別教授および千葉工業大学地球学研究センター主席研究員(非常勤)に就任[13]

2022年(令和4年)3月1日、寛仁親王薨去後は空席となっていた日英協会名誉総裁に就任した[7]

2024年(令和6年)、女王自身が英国留学時代の体験などを書いた『赤と青のガウン』(2015年出版)が4月3日にPHP文庫にて文庫化された。

5月17日、PHP文庫の親会社であるPHP研究所が、『赤と青のガウン』がメディアとSNSで話題になり累計10万部(6刷・5月20日出来)に到達するベストセラーになったと発表。なお、評判の良さからフジテレビめざまし8との対面取材に応じた際に、次回作を書く予定があるかを尋ねられると「そのあと(帰国後)ということになりますと私の日常で起こった"すべらない話"をまとめるような形になってしまうような気もするので、そうしますとなかなか書くのが難しいこともあるかなと思ったりもいたします」と返答した。

9月16日、テレビ朝日のトーク番組徹子の部屋』に出演。著書『赤と青のガウン』を綴る切っ掛けとなったエピソードや皇族として生活する上での苦労話、日常での出来事などを親しみやすい言葉を用いて語った[14][15]。また、現在は京都で生活をしており、“日本の伝統文化を後世に遺したい”“固有の伝統文化が生き続けることができる土壌を形成したい”という願いに共感した有志らと設立した団体「心游舎」の総裁に就任し、次世代を担う子供たちを対象としたワークショップを行っていることも併せて語った[14][16]

寬仁親王の葬儀

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2012年6月6日薨去した父・寬仁親王の斂葬の儀において喪主を務めた。この時は母・信子親王妃に代わって寬仁親王の姉妹(彬子女王のおば)である近衞甯子千容子の助けや、彬子同様に若くして喪主を務めた経験がある東久邇信彦(元皇族)の励ましを受けたと、後に雑誌に寄稿[17]している。また、同手記では、寬仁の薨去をきっかけに、両親の確執から疎遠であった三笠宮本家(祖父である崇仁親王)との絆が強固になったことに、深く感謝している旨を記している。

「女性宮家」に関する発言

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2012年(平成24年)1月7日の『毎日新聞』のインタビュー記事で皇位継承問題に絡む女性宮家創設問題について、日本国政府の議論が女性宮家を創設するかどうかのみとなっていることに違和感を覚えているとし、戦後に皇族の身分から離れた旧皇族の復帰案もあることを指摘している。また、結婚後に公務を続けることについては「結婚後も公務をすることに抵抗はありません」と語った。この記事の元になったインタビューでは、女性宮家創設は、結婚適齢期の女性皇族にとって今後の人生を左右する問題であることに触れ「決めるのであれば早く決めていただきたい」と答えた。

しかしその後の一部報道で、この言葉があたかも女性宮家創設を推進する発言であるかのように伝えられた[18]

普段のマスコミとの会見は日本国憲法上の理由から伯父の政治家である麻生太郎の話を表立って話すことはないが、祖母にあたる崇仁親王妃百合子が高齢となり体調が憂慮された際には、その様子を本人の代わりにメディアによく伝えていた(崇仁親王妃百合子は2024年11月15日に薨去)。

スポーツ振興

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競輪では、GI寬仁親王牌・世界選手権記念トーナメントの表彰式で、優勝者に賜杯を授与する[19][20]。GI高松宮記念杯競輪でも2015年2019年[21]2024年に、優勝者にカップを授与した。優秀選手表彰式典にも出席する年もある[22]

自転車競技大会で、「寛仁親王記念ワールドグランプリ」(NPO法人CSSシクロ)もある[23]。またクラシックラリーのミッレミリアの名誉総裁でもある。

全日本学生スキー選手権大会のリレー競技では、男子の優勝校に寬仁親王牌が、女子の優勝校に彬子女王牌が下賜される。東都大学野球の始球式を務め、その際に着用したユニフォームの背番号「38」(宮(ミヤ)家にちなむ)は國學院大學硬式野球部永久欠番となった。

2019年5月10日より、公益財団法人日本ラグビーフットボール協会の名誉総裁に就任した[24]

研究活動

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2011年5月28日オックスフォード大学学位授与式にて

2004年(平成16年)の学習院大学卒業後、同年9月よりオックスフォード大学に留学した。

2006年(平成18年)12月、東京大学(本郷キャンパス)で開催されたジャポニスム学会第四回例会で「標本から美術へ-19世紀の日本美術蒐集:シーボルト、アンダーソン、フェノロサ」と題した研究を発表した。

2007年(平成19年)7月、お茶の水女子大学で開かれた第9回国際日本学シンポジウムで「ウィリアム・アンダーソン・コレクション再考」と題した研究を発表した。論文は『比較日本学研究センター研究年報』第4号に掲載されており、大学のホームページから閲覧可能である。

2009年(平成21年)2月、日本美術誌『国華』1360号にも論文が掲載された。7月、論文「「風俗画」再考 -西洋における日本美術研究の視点から-」が、『風俗絵画の文化学―都市をうつすメディア』(思文閣出版)に掲載された。10月1日から立命館大学衣笠総合研究機構で研究員となり、日本の有形・無形文化財をデータベース化する作業などに携わる。

2010年(平成22年)1月19日、オックスフォード大学での学位口頭試問に合格、オックスフォード大学博士課程を修了して、博士号(D.Phil.)を取得した。論文テーマは“19〜20世紀に大英博物館が収集した日本の美術品とその展示の事例にみる、英国人の日本美術観の変化について”(全文英語、全320ページ)。研究発表リハーサルで、別の日本人院生が担当教授から論文全文書き直しだけを指示された(何が問題なのかは自分で考えなければならない)のを見て“自分はプリンセスだから評価に「下駄を履かされている」のではないだろうか、自分が対象だったら何をどうすべきかまで細かく指導を受けたのではないか”と落ち込んだこともあったという。

2010年1月31日付で留学を終了した。帰国後は立命館大学衣笠総合研究機構(グローバルCOEプログラム日本文化デジタル・ヒューマニティーズ拠点日本文化研究班)ポストドクトラルフェロー(PD)に就任した。10月にハワイ大学での日本美術のシンポジウムを現地の研究者と共同で企画し、研究発表を行った。

2012年(平成24年)4月から2014年(平成26年)12月まで宗教法人慈照寺研修道場美術研究員として勤務した。また同月から2013年(平成25年)3月まで立命館大学衣笠総合研究機構で特別招聘准教授、2013年4月から2014年3月まで同機構客員准教授に就任。2014年5月より同機構客員協力研究員を務めている。

2012年5月より法政大学国際日本学研究所(文部科学省国際共同に基づく日本研究推進事業欧州の博物館等保管の日本仏教美術資料の悉皆調査とそれによる日本及び日本観の研究)の客員所員に就任。

2014年4月、京都市立芸術大学芸術資源研究センター特別招聘研究員、併せて同センター客員教授に翌年4月から就任した。

2015年(平成27年)4月より京都産業大学にて特別教授(日本文化研究所研究員)として勤務している[25]

著作

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単著

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  • 『赤と青のガウン -オックスフォード留学記-』PHP研究所、2015年/PHP文庫、2024年
  • 『日本美のこころ』小学館、2015年12月/小学館文庫、2024年12月(「和楽」の連載をまとめたもの)
  • 『京都 ものがたりの道』毎日新聞出版、2016年10月
  • 『最後の職人ものがたり -日本美のこころ-』小学館、2019年2月(「和楽」連載の該当号分抜粋)

編著

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  • 『文化財の現在 過去・未来』宮帯出版社、2013年(シンポジウムをまとめた論文集)

学術論文

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  • 「書評 ウィリアム・アンダーソン『日本絵画芸術』および関連文献集成」『ジャポニスム研究』(通号 28) 、2008年
  • 「ウィリアム・アンダーソン・コレクション再考 (第9回国際日本学シンポジウム) -- (ヨーロッパにおける日本美術史の成立と発展--フランス及びイギリスの主要な日本美術コレクションの果たした役割)」『お茶の水女子大学比較日本学研究センター研究年報』(4)、2008年3月
  • 「標本から美術へ : 十九世紀の日本美術品蒐集、特にアンダーソン・コレクションの意義について」『國華』114(7) (通号 1360)、2009年2月
  • 「解釈の創出 「風俗画」再考」『風俗絵画の文化学』思文閣出版、2009年7月
  • 「風俗画と京都-京都商品陳列所の公式カタログに描かれた風俗画を中心に」「あとがき」松本郁代、出光佐千子、彬子女王編『風俗絵画の文化学II』思文閣出版、2012年3月
  • 「大英博物館所蔵アンダーソン・コレクションの可能性」『豊饒の日本美術 小林忠先生古稀記念論集』藝華書院、2012年3月
  • 「19世紀英国における円山四条派理解について-英国人蒐集家が京都の画師に寄せた思い-」『京都イメージ-文化資源と京都文化』ナカニシヤ出版、2012年3月
  • 「英国における日本美術コレクション-特に大英博物館を中心として」『近世やまと絵再考─日・英・米それぞれの視点から』 ブリュッケ、2013年10月
  • 「海を渡った法隆寺壁画─西洋における「うつし」の役割」」「あとがき」 島尾新 彬子女王 亀田和子編 『写しの力-想像と継承のマトリクス-』 思文閣出版、2013年12月

新聞・雑誌掲載記事(インタビュー)

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  • 「若き皇族の「生活」と「意見」」『文藝春秋』2009年12月
  • 「女性皇族で初の博士号を英オックスフォード大でとった 彬子さま」『朝日新聞』朝刊「ひと」欄、2010年2月10日
  • 「日々のお暮しとライフワーク 彬子女王殿下」『皇室』第48号、扶桑社、2010年秋
  • 「急接近:彬子さま 典範改正に向けた女性皇族自身の思いとは?」『毎日新聞』朝刊、2012年1月7日
  • 「寛仁親王殿下逝去90日:彬子さまが葬儀の秘話を語る」『毎日新聞』朝刊、2012年9月5日
  • 彬子女王/瑶子女王「今だから語れる寛仁親王、父の素顔」『文藝春秋』2012年10月

雑誌寄稿記事

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  • 「彬子女王殿下がご体験 春日大社の「饗応膳」」『和樂』小学館、2010年10月(撮影:篠山紀信
  • 「彬子女王殿下ご寄稿「私と日本美術」」『皇室』第48号、扶桑社、2010年秋
  • 「日本刀を守るために」『文藝春秋』第19巻 第10号、2012年7月

雑誌・Web連載

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  • 小学館 『和楽』 誌上連載 「日本美のこころ」
  1. 伊勢神宮の御神宝」2011年1月号
  2. 「世界中が感嘆した幕末・明治の工芸」 2011年2月号
  3. 「外国人が遺してくれた日本の文化遺産・浮世絵」2011年3月号
  4. 「世界で唯一の芸術、日本の竹工芸」 2011年4月号
  5. 「文人趣味を色濃く残す煎茶」2011年5月号
  6. 大英博物館の「日本」」2011年6月号
  7. 「彬子女王×千宗屋in真珠庵 原点で語る日本美の未来」2011年7月号
  8. 「時空を超えた贈り物」2011年8月号
  9. 石清水八幡宮の「御花神饌」」2011年9月号
  10. 「中世の人々が歩いた道」「月の桂」 2011年10月号
  11. 「二人の日本人陶工がもたらした種」2011年11月号
  12. 「世界に誇る日本の珈琲文化」2011年12月号
  13. 「大道庭園の「生きる芸術」」2012年1月号
  14. 「粘り強くて美しい紙」2012年2月号
  15. 「彬子女王×中村勘太郎改め、中村勘九郎 歌舞伎次世代ここに始まる」2012年3月号
  16. 「京の水で育った食文化」2012年4月号
  17. 「ボンボニエールという伝統」2012年5月号
  18. 「日本神話の高千穂、霧島を巡る 天孫降臨の地へ」2012年6月号
  19. 「被災地・福島の祭を伝承する 相馬の野馬追」 2012年7月号
  20. 「芸術の都・ドレスデンの王侯貴族を魅了した日本磁器の魅力」2012年8・9月号
  • PHP研究所 『Voice』 誌上連載 「オックスフォード留学記」(2012年4月号 - 2014年5月号)
  1. 「おわりとはじまり」 2012年4月号
  2. 「側衛に守られるということ」2012年5月号
  3. 「授業のこと」 2012年6月号
  4. 「マートン・コレッジの一日」 2012年7月号
  5. 「父・寬仁親王の思い出」2012年8月号
  6. 「現地の日本人事情」 2012年9月号
  7. 「JRの恐怖」2012年10月号
  8. 「アフタヌーンティーを女王陛下と」 2012年11月号
  9. 「英国の電車の思い出あれこれ」 2012年12月号
  10. 「パスポートは茶色」 2013年1月号
  11. 「再び英国へ」 2013年2月号
  12. 「ヴァレンタインの思い出」 2013年3月号
  13. 「宝探しin大英博物館」 2013年4月号
  14. 「英国の食あれこれ」 2013年5月号
  15. 「英国でおかあさんになる」 2013年6月号
  16. 「初めての展覧会で大騒ぎ」 2013年7月号
  17. 「プライスさんのパンケーキ」 2013年8月号
  18. 「オックスフォード某重大事件(?)」 2013年9月号
  19. 「お雑煮とスコーン」 2013年10月号
  20. 「スイスと私」 2013年11月号
  21. 「理解できない英国あれこれ」 2013年12月号
  22. 「修士課程から博士課程へ」 2014年1月号
  23. 「スーパーアドバイザー」 2014年2月号
  24. 「博士論文性胃炎」 2014年3月号
  25. 「博士論文への二つの壁」 2014年4月号
  26. 「人生でいちばん緊張した日」(終) 2014年5月号
  • 「イノリノカタチ」全16回(2018年4月号 - 2020年12月・2021年1月合併号)
  • 和樂webサイト「美の国ニッポンをもっと知る!」連載「彬子女王殿下が次世代に伝えたい日本文化」(2019年1月24日 - )[26]
  • 彬子女王の記事一覧(PHPオンライン)[27]
    • 彬子女王殿下が、いつもの「本屋パトロール」中に起きた奇跡的な出来事〈特別寄稿〉(2024年5月9日、PHPオンライン)[28]

出演

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系譜

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彬子女王 父:
寬仁親王
祖父:
崇仁親王三笠宮
曾祖父:
大正天皇
曾祖母:
貞明皇后
祖母:
百合子
曾祖父:
高木正得
曾祖母:
高木邦子
母:
信子
祖父:
麻生太賀吉
曾祖父:
麻生太郎【先代】
曾祖母:
麻生夏子
祖母:
麻生和子
曾祖父:
吉田茂
曾祖母:
吉田雪子
 
 
 
 
 
 
 
 
歴代天皇
 
歴代皇后
 
親王
 
内親王女王
 
臣籍降下
 
 
 
 
大正天皇(明治天皇の子)
 
貞明皇后(大正天皇の妻)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
昭和天皇(大正天皇の子)
 
香淳皇后(昭和天皇の妻)
 
秩父宮雍仁親王(大正天皇の子)
 
雍仁親王妃
勢津子
(秩父宮雍仁親王の妻)
 
高松宮宣仁親王(大正天皇の子)
 
宣仁親王妃
喜久子
(高松宮宣仁親王の妻)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
三笠宮崇仁親王(大正天皇の子)
 
崇仁親王妃
百合子
(三笠宮崇仁親王の妻)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
東久邇成子
(照宮)
(昭和天皇の子、臣籍降下)
 
久宮祐子内親王(昭和天皇の子)
 
鷹司和子
(孝宮)
(昭和天皇の子、臣籍降下)
 
池田厚子
(順宮)
(昭和天皇の子、臣籍降下)
 
上皇
明仁
(昭和天皇の子)
 
上皇后
美智子
(上皇明仁の妻)
 
常陸宮正仁親王(昭和天皇の子)
 
正仁親王妃
華子
(常陸宮正仁親王の妻)
 
島津貴子
(清宮)
(昭和天皇の子、臣籍降下)
 
近衞甯子(三笠宮崇仁親王の子、臣籍降下)
 
寬仁親王(三笠宮崇仁親王の子)
 
寬仁親王妃
信子
(寬仁親王の妻)
 
桂宮
宜仁親王
(三笠宮崇仁親王の子)
 
千容子(三笠宮崇仁親王の子、臣籍降下)
 
高円宮憲仁親王(三笠宮崇仁親王の子)
 
憲仁親王妃
久子
(高円宮憲仁親王の妻)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
天皇
徳仁
(明仁の子)
 
皇后
雅子
 
皇嗣秋篠宮文仁親王(明仁の子)
 
皇嗣妃文仁親王妃紀子(秋篠宮文仁親王の妻)
 
黒田清子
(紀宮)
(明仁の子、臣籍降下)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
彬子女王(寬仁親王の子)
 
瑶子女王(寬仁親王の子)
 
 
 
 
 
承子女王(高円宮憲仁親王の子)
 
千家典子(高円宮憲仁親王の子、臣籍降下)
 
守谷絢子(高円宮憲仁親王の子、臣籍降下)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
敬宮愛子内親王(徳仁の子)
 
 
 
小室眞子(秋篠宮文仁親王の子)
 
佳子内親王(秋篠宮文仁親王の子)
 
悠仁親王(秋篠宮文仁親王の子)

注釈

[編集]
  1. ^ 現在、は不在。
  2. ^ 現行の皇室典範では、女系も男系皇族と結婚すれば皇籍になることが可能であるが、現在において女系皇族は不在となっている。

脚注

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  1. ^ 彬子さま、日英協会名誉総裁に:時事ドットコム”. 時事ドットコム. 2022年3月1日閲覧。
  2. ^ 研究所メンバー|日本文化研究所 京都産業大学
  3. ^ 皇室典範第二十三条第二項「前項の皇族以外の皇族の敬称は、殿下とする。」
  4. ^ a b Her Imperial Highness Princess Akiko of Mikasa (2004)”. Merton College. 2024年11月9日閲覧。
  5. ^ ご略歴 宮内庁
  6. ^ a b JRFU. “彬子女王殿下 日本ラグビーフットボール協会名誉総裁に御就任のお知らせ|日本ラグビーフットボール協会|RUGBY:FOR ALL「ノーサイドの精神」を、日本へ、世界へ。”. www.rugby-japan.jp. 2022年11月14日閲覧。
  7. ^ a b 彬子さま、日英協会名誉総裁に:時事ドットコム”. 時事ドットコム. 2022年3月1日閲覧。
  8. ^ 三笠宮家”. 宮内庁. 2015年4月1日閲覧。
  9. ^ AERA』2008年10月6日号 「次を担う『女性皇族』たち」
  10. ^ 立命館大学グローバルCOE 松本研究室”. 立命館大学. 2024年11月9日閲覧。
  11. ^ 「すてきな女になれ」 寛仁さま、娘への遺言状に朝日新聞2012年6月7日
  12. ^ 三笠宮さま逝去1年 思い継承 研究拠点、トルコに財団毎日新聞社2017年10月27日
  13. ^ 彬子女王殿下、千葉工業大学特別教授および千葉工業大学地球学研究センター主席研究員(非常勤)にご就任千葉工業大学プレス発表資料 令和2年4月1日
  14. ^ a b 彬子女王「銀行口座開くときは?」「住民票は?」黒柳徹子から次々質問 ユーモアたっぷり驚きの回答”. デイリースポーツonline. デイリースポーツ新聞社 (2024年9月16日). 2024年9月16日閲覧。
  15. ^ 彬子女王:著書が30万部のベストセラーに きっかけは父・寬仁親王殿下との約束「徹子の部屋」で”. MANTANWEB. MANTAN (2024年9月15日). 2024年9月16日閲覧。
  16. ^ 団体概要”. 一般社団法人心遊会. 2024年9月16日閲覧。
  17. ^ 『文藝春秋』2015年7月号
  18. ^ 「急接近:彬子さま 典範改正に向けた女性皇族自身の思いとは?」『毎日新聞』朝刊, 2012.1.7
  19. ^ 稲垣悲願 GI初V - スポーツ報知、2016年10月12日18面
  20. ^ 村上博幸が寛仁親王牌V「仲間と家族に感謝したい」 - スポーツ報知、2019年10月15日
  21. ^ 『第70回高松宮記念杯競輪(GI)レポート』 最終日編 - KEIRIN.JP
  22. ^ 【競輪】表彰式に彬子女王殿下がご臨席 - デイリースポーツ、2016年2月18日
  23. ^ 「寛仁親王記念ワールドグランプリ」の開催にあたって - 寛仁親王記念ワールドグランプリ国際自転車競技大会
  24. ^ 彬子女王殿下 日本ラグビーフットボール協会名誉総裁に御就任のお知らせ日本ラグビーフットボール協会
  25. ^ 彬子女王殿下が日本文化研究所研究員にご就任 | What'sNew | 京都産業大学”. www.kyoto-su.ac.jp. 2024年11月3日閲覧。
  26. ^ 彬子女王殿下 | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!
  27. ^ 彬子女王の記事一覧」『PHPオンライン』PHP研究所、2024年5月9日。
  28. ^ 彬子女王「彬子女王殿下が、いつもの「本屋パトロール」中に起きた奇跡的な出来事〈特別寄稿〉」『PHPオンライン』PHP研究所、2024年5月9日。
  29. ^ “『赤と青のガウン』の著者・彬子女王殿下が、テレビ朝日系列「徹子の部屋」に出演されます【9/16(月・祝)13時~】”. PHP研究所. (2024年9月). https://www.php.co.jp/news/2024/09/0916tetukonoheya.php 2024年9月21日閲覧。 

関連項目

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外部リンク

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