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万国博中央口駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
万国博中央口駅
ばんこくはくちゅうおうぐち
EXPO MAIN GATE
千里中央 (3.2 km)
地図当駅の所在地は現在の万博記念公園駅(左)付近
(北は万博記念公園、北東は公園東口駅)
所在地 大阪府吹田市
北緯34度48分27.09秒 東経135度31分55.65秒 / 北緯34.8075250度 東経135.5321250度 / 34.8075250; 135.5321250座標: 北緯34度48分27.09秒 東経135度31分55.65秒 / 北緯34.8075250度 東経135.5321250度 / 34.8075250; 135.5321250
所属事業者 北大阪急行電鉄
所属路線 会場線
キロ程 9.0 km(江坂起点)
駅構造 地上駅橋上駅
ホーム 1面2線
開業年月日 1970年昭和45年)2月24日
廃止年月日 1970年(昭和45年)9月14日
乗換 万国博モノレール(中央口駅)
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万国博中央口駅(ばんこくはくちゅうおうぐちえき)は、かつて大阪府吹田市にあった北大阪急行電鉄会場線

概要

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1970年昭和45年)2月24日江坂駅から9.0 km(南北線分岐点から3.6 km)地点に[1]日本万国博覧会(大阪万博)観客輸送用の駅として開業した。橋上駅舎であり、会場中央口に直結していた。万国博終了により、同年9月14日に廃止。中国自動車道の上り線用地に設置されていたため[注釈 1]、現在跡地は桃山台駅から当駅までの地上線路だった部分が中国自動車道上り線に、駅ホーム一帯は中国吹田インターチェンジ上り線料金所(出口側料金所)になっている。

歴史

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駅構造

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島式ホーム1面2線で、終端側に2本の引き上げ線が存在した[3]。千里中央側には、両渡りポイントを有していたが、基本的には2番線を降車ホーム、1番線を乗車ホームとして使用していた。

コンコースには高見沢電機製作所(現在の高見沢サイバネティックスの前身)製の多能式自動券売機が50台設置され[3]、駅閉鎖後は公衆浴場にて使われたという。後に高見沢サイバネティックスが引き取って稼働できる状態で保存されており、2011年平成23年)に機械遺産に認定されている[4]

利用実績

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下表の人員は万国博中央口駅を利用した万国博会場入場者である。これとは別に1970年中の同駅での乗降人員総数(ただし有料乗降者)は45,295,679人(乗車22,647,837人、降車22,647,842人)[5]となっている[注釈 2]

月/1970年 輸送人員(人)
3月(17日) 2,032,130
4月(30日) 2,783,500
5月(31日) 3,555,100
6月(30日) 3,293,000
7月(31日) 3,459,700
8月(31日) 6,417,200
9月(13日) 2,910,300
24,450,930
  • 出典:『75年のあゆみ 記述編』(1982年、阪急電鉄)78-79頁掲載の「月別万国博輸送状況表」による。
  • なお、前者と同種の統計指標が『日本万国博覧会公式記録 第2巻』(1972年、日本万国博覧会記念協会)449頁掲載の「入場者の利用交通機関別内訳」表にもあるが、後者の表では3月の人数が1,930,130人と記されているために合計数が24,348,930人となり、一致していない。本項目では、阪急電鉄『75年のあゆみ』掲載の表は出典が「大阪陸運局調」と明記されていることなどから前者の方によった。

登場する作品

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備考

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隣の駅

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北大阪急行電鉄
会場線
千里中央駅(仮設駅) - 万国博中央口駅

脚注

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注釈

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  1. ^ 中国自動車道中国吹田インターチェンジ - 中国豊中インターチェンジ間は万博開催中の1970年(昭和45年)3月1日に開通したが、この関係で当初の上下線は現在の下り線部分を暫定2車線追越禁止区間)にして供用していた。
  2. ^ 資料が異なっているために、乗車または降車の2200万人規模の数値は、万国博会場入場者に関する輸送人員調べにある2400万人規模の数値との間に齟齬がある。『豊中市統計書』記載の人員が「定期」「定期外」(ちなみに同駅の定期券利用者はおそらく会場内施設勤務者や地元住民)に区分されていることから、乗降人員総数は幼児など乗車券を要しない者が含まれていないものと考えられる。ただし、逆に2月の同駅開業後から3月の万国博開幕前にかけての開催期間外の乗降者が含まれている点でも資料の特性に違いがある。

出典

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  1. ^ 北大阪急行電鉄株式会社 編『北大阪急行25年史』1994年、192頁。 
  2. ^ 『7日本万国博覧会公式記録 第3巻』日本万国博覧会記念協会、1972年3月、376頁。NDLJP:11957385/194 
  3. ^ a b 北大阪急行電鉄株式会社 編『北大阪急行25年史』1994年、45頁。 
  4. ^ 日本機械学会 2011年度 機械遺産認定のお知らせ”. 高見沢サイバネティックス (2011年7月25日). 2023年4月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月23日閲覧。
  5. ^ 豊中市企画部企画課 編『豊中市統計書 第10回』(昭和46年版)豊中市、1972年3月、138-139頁。NDLJP:9903573/93 
  6. ^ 杉山淳一. “なぜ甘い? 映画やドラマの鉄道考証──蒸気機関車C62形「129号機」のナゾ”. ITmedia ビジネスオンライン. 杉山淳一の時事日想. アイティメディア. p. 5. 2021年12月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月23日閲覧。

関連項目

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