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中島啓江

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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なかじま けいこ
中島 啓江
プロフィール
生年月日 1957年11月15日
没年月日 2014年11月23日
没年齢 57歳(数え58)
出身地 日本の旗 日本 鹿児島県
死没地 日本の旗 日本 東京都
血液型 A型
瞳の色 濃褐色
毛髪の色 黒色
公称サイズ(2009年10月時点)
身長 / 体重 165 cm / 180 kg
BMI 66.1
スリーサイズ 153 - 148 - 155 cm
靴のサイズ 26.5 cm
活動
デビュー 1985年
ジャンル 歌手
他の活動 女優
モデル: テンプレート - カテゴリ

中島 啓江(なかじま けいこ、1957年昭和32年〉11月15日 - 2014年平成26年〉11月23日[1])は、日本の女性オペラ歌手鹿児島県肝属郡佐多町(現・南大隅町)出身。本名同じ。最終所属はピュアハーツ太田プロダクション(業務提携)。血液型A型。身長165cm、体重180kg[2]

経歴

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鹿児島で生まれ、実の父親から日常的に殴り蹴られるDVに苦しみ、母と逃げ回りながら怯えて育った[3]昭和音楽短期大学声楽科卒業。ディプロマコース・オペラ専攻科修了。1979年藤原歌劇団に入団し、『修道女アンジェリカ』でオペラ歌手としてデビュー。1985年に『マック・ザ・ナイフ』でミュージカル初出演。翌1986年に『天高くオペラ肥ゆる秋』で初ソロコンサートを行った。

その後、宮本亜門演出のミュージカル『アイ・ガット・マーマン』や『三宅裕司のいかすバンド天国』『夢りんりん丸』など多数のテレビ番組に出演した。

1994年からは、自身が構成・演出する銀座博品館劇場でのソロコンサート『夢で逢いましょう』を定期的に開催。その他、テレビやラジオでのタレント活動やトークショーなど幅広いジャンルで活躍していた。

2014年11月23日午前10時35分、呼吸不全のため東京都内の病院で死去。57歳没[1]。誕生日8日後の死去だった。体調不良のため11月17日から入院していたが、21日に入って急激に容態が悪化したという。訃報が公表された直後、昭和音楽短大の後輩である森公美子は「いつも私の前を歩いてくれました。今思い出を語るにはあまりに突然すぎて言葉になりません」と先輩の突然の死を悼んだ。ほかに『イカ天』で共演した三宅裕司と『たま』元メンバーの石川浩司、中島主演のミュージカルの演出を手がけた宮本亜門、実の妹のように可愛がり公私共に親しかった小林幸子、舞台で共演したコロッケらが中島への追悼コメントを寄せ、中島が出演していたラジオ番組『大沢悠里のゆうゆうワイド』では、2014年12月22日に追悼特集が放送された。

被災地支援活動に積極的で、2007年1月7日より阪神淡路大震災他様々な被災地に寄付金を送る為の無料コンサートを、岡田秀春と東京で始め、中島啓江が亡くなる2014年まで毎年続けた。

エピソード

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  • デビュー時にはその音域の広さ(4オクターブと言われていた)から、「和製フレディ・マーキュリー」と度々呼ばれることがあった。しかし、それについてマーキュリーおよびクィーンファンから批判を受けたこともある。
  • 51歳で189.2kgだった中島は、病院で健康診断を受けたところ、太りすぎで心臓に過度の負担がかかっていることが判明。そこで中島は、脂肪燃焼成分・カルニチンの合成を高め、たんぱく質アミノ酸に分解するアクチニジンを含むキウイを毎朝食べる“朝キウイダイエット”に挑戦。「20kgは絶対やせるつもりです」とステージ上でファンに宣言していた。中島は、ベッドから起き上がるのも一苦労だったという状態から順調に体重を落とし、水泳ウォーキングで「をかいて気持ちいい」と語るほど運動にも慣れていった。その結果、3か月で20kgの減量に成功し、168.4kgとなった。しかし晩年には180㎏までリバウンドしたことにより膝を痛め、杖や車いすを使って生活していた。
  • 啓江」と書いて「けいこ」と読むのは、中国揚子江沿いで生活したことのある母親が、そのときに中国の人々から受けた好誼に感謝する意を込めて、揚子江の「」に因んで名付けたためである。なお2005年のネプリーグのファイブツアーズにて彼女の名前が出題されたが、石原良純と名倉潤の二名が解答し、いずれも不正解だった。(石原が「なかじまふみえ」、名倉が「なかじまふさえ」と解答)
  • 前歯を外側からかぶせる形で補強している。ある音階を歌うと共振で前歯がぐらぐらと揺れてしまうのを防ぐためである、と『平成教育委員会2010!!祝たけし先生勲章受賞 春の連休ボケ解消SP』(2010年5月9日放映分)へのゲスト出演時に告白している。

主な出演作品

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ミュージカル

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舞台

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テレビ

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ラジオ

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映画

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CM

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教育教材

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  • 秋山仁の中学生おもしろ数学」シリーズ
  • ユーレイなんだぜ[4](1990年)
  • この胸おいで… - 「サンドイッチ」のメンバーとして歌唱(1999年)
  • ゆらゆら[5](2012年)

著書

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  • 『じゃあね』KTC中央出版
  • 『答えは、YES!―ビッグ・ママからのメッセージ』岩波書店
  • 『いつも心にありがとう』 グラフ社
  • 『わたしから、ありがとう。』岩崎書店 - 原案

脚注

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  1. ^ a b 中島啓江さん呼吸不全で死去、57歳(サンケイスポーツ) 2014年11月28日閲覧。
  2. ^ 中島啓江さん:57歳で急死 体重180キロ、心臓や肺圧迫 呼吸不全 毎日新聞 2014年11月29日閲覧
  3. ^ DV、過食、顔面マヒ…中島啓江さんが乗り越えた壮絶人生 - 日刊ゲンダイ 2014年11月29日
  4. ^ 日本放送協会. “ユーレイなんだぜ”. NHK みんなのうた. 2024年3月12日閲覧。
  5. ^ 日本放送協会. “ゆらゆら”. NHK みんなのうた. 2024年3月12日閲覧。

外部リンク

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