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後藤祝秀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マック後藤から転送)
後藤 祝秀
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 香川県綾歌郡国分寺町(現:高松市[1]
生年月日 (1960-02-06) 1960年2月6日(64歳)
身長
体重
192 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1980年 ドラフト2位
初出場 1982年4月10日
最終出場 1985年10月16日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

後藤 祝秀(ごとう のりひで、1960年2月6日 - )は、香川県出身の元プロ野球選手投手)、俳優、映画「FARM」では、企画・脚本もしている。芸名はマック後藤[1]

来歴・人物

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丸亀商業高では、坂本恭信(駒大電電関東)の控え投手として1977年春の選抜に出場。準々決勝に進むが岡山南高に惜敗[2]。この試合で坂本をリリーフし甲子園初登板を果たす。同年の春季四国大会にも坂本と投の二本柱を組み決勝に進出。中村高山沖之彦と投げ合うが逆転負けを喫する。同年夏は県予選で敗退。

高校卒業後は中央大学へ進むも中退、社会人野球本田技研を経て、1980年プロ野球ドラフト会議中日ドラゴンズから2位指名され入団[1]。入団時から球界一の長身投手として注目された[1]

1982年に一軍に上がり、4月25日には横浜大洋ホエールズを相手に初先発を果たす。同年は5月までに5試合に先発したが、結果を残せず失速。1985年には中継ぎに回り19試合に登板するが、未勝利のまま1986年限りで現役引退[1]。長身から投げ下ろす角度のある速球とスライダー、フォークボールが武器だったが制球力に難があった。

1987年には打撃投手に転向したが、同年オフに俳優に転身した[1]

1992年に米国映画「ミスター・ベースボール」に古巣・中日の投手役で出演している[1]

その後は岐阜県で野球教室を運営[3]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1982 中日 10 5 0 0 0 0 2 0 -- .000 134 30.2 30 5 14 1 1 16 0 0 14 9 2.61 1.43
1983 3 0 0 0 0 0 1 0 -- .000 8 2.2 1 1 0 0 0 3 0 0 1 1 3.38 0.38
1985 19 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 92 21.2 23 2 9 0 1 4 2 0 14 10 4.15 1.48
通算:3年 32 5 0 0 0 0 3 0 -- .000 234 55.0 54 8 23 1 2 23 2 0 29 20 3.27 1.40

記録

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背番号

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  • 35 (1981年 - 1986年)
  • 83 (1987年)

俳優としての主な出演作品

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その他「遥かなる甲子園」「CATS EYE」などに出演

脚注

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  1. ^ a b c d e f g プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、222ページ
  2. ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
  3. ^ 岐阜後藤野球塾

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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