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ポアンカレ写像

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ポアンカレ断面から転送)

力学系理論におけるポアンカレ写像(ポアンカレしゃぞう、: Poincaré map)とは、連続力学系を離散力学系に簡約化する方法の一つ[1]。特に周期軌道カオス的軌道のような、何度も回り続けるような流れを調べるに効果を発揮する[2]

アンリ・ポアンカレによって、天体力学の研究の中で導入された[3]。ポアンカレ写像のアイデアは、1881年から1886年にかけて発表された論文「微分方程式によって定義される曲線について」の中に見られる[4]

定義

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一般の場合

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独立変数t ∈ ℝ従属変数x ∈ ℝn とする自律系常微分方程式

(1 )

から生成される流れ φ(t, x) について考える[5]。流れは点 xt 時間後に写る点を与える写像 φ : ℝ × ℝn → ℝn を意味する[6]

左がベクトル場に対して横断的な Σ の例、右が横断的ではない Σ の例

さらに、n 内でベクトル場 f に横断的な n − 1 次元超曲面 Σ を考える。ここで、Σf横断的であるとは、Σ 上の任意の点 ξ で、ベクトル f (ξ)

(2 )

を充たすことをいう[7]。ただし、n(ξ)ξ における Σ直交するベクトルを、 はベクトルの内積を表す[7]

3 上のポアンカレ写像 P(x) の説明図

そして、ξ ∈ Σ から出発する軌道が、τ 時間後にまた Σ 上に戻って来ると仮定する。すなわち、 ある τ = τ(ξ) > 0 があって、φ(τ, ξ) ∈ Σ である[5]Σ 上に戻って来ることは複数ありうるので、それらのうちの最小時間を τ(ξ) とする。このときの写像 Σ ∋ ξφ(τ(ξ), ξ) ∈ Σポアンカレ写像である[5]。特に、ξ を改めて x と表し、

(3 )

によって定まる写像 P(x) をポアンカレ写像と呼ぶ[8][7][9]。ただし、ポアンカレ写像の定義域Σ 全体ではなく、Σ真部分集合 U となるのが一般である[10]

ポアンカレ写像 P帰還写像(英: return map、英: first-return map)とも呼ばれる[5][11][12][13]。横断的な曲面 Σポアンカレ断面(英: Poincaré section[14][8]切断面(英: cross section[14][15]横断面(英: cross section[9][12]と呼ばれる。流れによって Σ に戻って来る最小時間 τ帰還時間と呼ばれる[13][8]

周期軌道の場合

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Σ 上から出発して Σ 上に戻って来る軌道があればポアンカレ写像は定義されるが、特に流れが周期軌道(閉曲線となる軌道)を持つときは、その周期軌道の近傍でポアンカレ写像の存在が次のように保証される[16]

周期軌道 γ 近傍のポアンカレ写像 P(x) の説明図

式 (1) で定まる力学系に周期軌道が存在し、その周期軌道を γ とし、γ の周期を T とする。周期軌道上の点 x0 ∈ γ と交わるように n − 1 次元曲面 Σ を取る。Σx0γ と横断的に交わるように取れば、Σ はベクトル場 f に横断的なポアンカレ断面になる[17]

x0 から出発する軌道は時間 T 経過後に x0 に戻って来る[15]。また、f (x)C r 級(r ≥ 1)であれば、φC r 級である[7]。よって、x0 に十分近い点 x ∈ Σ から出発する軌道は、x0 の近くに戻って来る[15]。そのため、Σ 上で x0 の近傍 U ⊂ Σ を適当に取れば、U 上の任意の点 x から出発する軌道が Σ と再び交わるようにできる。こうして構成できる U から Σ への写像 Pポアンカレ写像という[15]

周期的な非自律系の場合(ストロボ写像)

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流れを定める常微分方程式が、次のように、時間 t を陽に含む非自律系でなおかつ t について周期 T の周期性を持つ場合がある[18]

(4 )

流れ φ を、点 x ∈ ℝn における時刻 t0 ∈ ℝ も明記して φt, t0(x) と書き表すとする。このとき、φt, t0(x) = φt+T, t0+T(x) が成り立ち、ϕ(x) = φT, 0(x) で定まる写像によって

(5 )

が成り立つ[18][19]。また、整数全体を で表し、1次元トーラスを周期 T によって 𝕋 = ℝ/T と定義する。このとき、 n × 𝕋拡大相空間φ をその上の流れと見なすことができる[20][21]。したがって、ϕ = φT, 0 : ℝn → ℝn は、拡大相空間 n × 𝕋t = 0 ∈ 𝕋 で切断面を取ったポアンカレ写像 P : ℝn → ℝn に相当する[20][21]

このような非自律系のポアンカレ写像は、ストロボ写像[22][23]時間 T 写像[24][19]とも呼ばれる。ストロボ写像という名は、周期的にストロボを当てるように軌道を見るような方法であることに因む[23]

利点

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微分方程式の軌道とポアンカレ断面の交点を時間の順序に並べて {x0, x1, x2, …} と表すと、ポアンカレ写像はこれらを追跡する写像である[25]。ポアンカレ写像 P によって

(4 )

という離散力学系が定まり、この離散力学系の軌道が {x0, x1, x2, …} という関係となる[8]

しかし、任意の常微分方程式系に対してポアンカレ写像の構成できる一般的な方法は存在しない[26]。ほとんどの場合で、ポアンカレ写像の具体的な形を書き下すのは非常に難しく、普通は不可能といってもよい[27][28]。ポアンカレ写像の構成は、問題に応じて試行錯誤で行う必要がある[26]。それでも、以下のような利点がポアンカレ写像には存在する。

ポアンカレ写像は、微分方程式などによって与えられる連続力学系ないし流れの問題を、次元が1つ低い相空間上の写像の問題に置き換える手法である[29]。扱う問題の次元(変数)を1つ減らせるのはポアンカレ写像を考える第一の利点で、問題の研究を進めやすくする[30][26]。また、微分方程式(流れ)を扱うよりも写像を扱う方が一般的には容易いのも、ポアンカレ写像が有利な点である[30][31]

ポアンカレ写像では、元の連続力学系の軌道に対し、ポアンカレ断面以外の点は無視する[32]。これにより、処理するデータ量を圧倒的に少なく抑えることができる[30]。このようにポアンカレ写像は元の軌道のごく一部のみを観察する手法であるが、それでもなおポアンカレ写像の振る舞いに元の軌道の特徴(周期性、安定性、カオス性など)を残すことができる[33]。後述のように、特に連続力学系の周期軌道では、その性質の多くをポアンカレ写像によって表現できる[15]

基本的性質

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微分方程式の解の一意性より、それに対するポアンカレ写像も1対1対応が成立する[34]。微分方程式が定める流れ φC r 級であれば、定義よりポアンカレ写像 P(x) C r 級で、P(x) 逆写像C r 級でもある[13][12]。よって、C r 級流れに対するポアンカレ写像は C r微分同相写像である[12]。さらに、帰還時間 τ(x)C r 級函数である[13]

ある周期軌道に対して異なるポアンカレ断面 Σ1Σ2 を取ったとする。Σ1Σ2 上に定義されるポアンカレ写像を P1P2 と表す。このとき、P1P2C r 共役の関係にある[35]。したがって、周期軌道の充分近い範囲で考える限りは、どこにポアンカレ断面を取ってもポアンカレ写像の性質は変わらないことがいえる[36]

相空間が 3 のときは、連続力学系(流れ)による軌道の種類に応じ、それに対するポアンカレ写像の軌道は次のように様相となる。

  • 元の軌道が周期軌道であれば、それが通過するポアンカレ断面上の点列は有限個の点となる[25][34]。それらの点はポアンカレ写像にとっての不動点または周期点となる[37]
  • 元の軌道が準周期軌道であれば、点列は1つの閉曲線を稠密に埋めつくす[34][38]
  • 元の軌道が不規則であれば、それが通過するポアンカレ断面上の点列は雲のように分散する[25]
  • 元の軌道がストレンジアトラクター上の軌道であれば、それが通過するポアンカレ断面上の点列はランダムのように飛び飛びだが、何らかの幾何的構造を持つ[39]

流れによる周期軌道の安定性の問題は、ポアンカレ写像の不動点の安定性の問題に還元でき、さらに写像の固有値で特徴付けできる[26]n 内における流れによる周期軌道を γ とし、その周期を T とする。周期軌道上の点 pγ から T 後の状態を与える流れ φ(T, p)微分 (T, p) は、1 を必ず固有値として持つ。1 以外の固有値を λ1λn − 1 とすると、pγ におけるポアンカレ写像 P の微分 DP(p) は同じ λ1λn − 1 を持つ[40][41]

出典

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  1. ^ 森・水谷 2009, p. 99.
  2. ^ Strogatz 2015, pp. 305–306.
  3. ^ Lorenz 2001, p. 45.
  4. ^ 齋藤 1984, pp. 3, 263–264.
  5. ^ a b c d 坂井 2015, p. 263.
  6. ^ 荒井 2020, p. 40.
  7. ^ a b c d ウィギンス 2013, p. 66.
  8. ^ a b c d 千葉 2021, p. 196.
  9. ^ a b ロビンソン 2001, p. 275.
  10. ^ 國府 2000, p. 10.
  11. ^ 今・竹内 2018, p. 214.
  12. ^ a b c d 伊藤 1998, p. 88.
  13. ^ a b c d ロビンソン 2001, p. 276.
  14. ^ a b 今・竹内 2018, p. 213.
  15. ^ a b c d e 丹羽 2004, p. 118.
  16. ^ 伊藤 1998, pp. 87–88.
  17. ^ 今・竹内 2018, pp. 213–214.
  18. ^ a b 丹羽 2004, p. 126.
  19. ^ a b 伊藤 1998, p. 82.
  20. ^ a b 丹羽 2004, p. 127.
  21. ^ a b 柴山 2016, p. 62.
  22. ^ 小室 2005, p. 25.
  23. ^ a b 井上・秦 1999, p. 75.
  24. ^ アリグッド、サウアー、ヨーク 2012a, p. 48.
  25. ^ a b c 松葉 2011, p. 31.
  26. ^ a b c d ウィギンス 2013, p. 65.
  27. ^ Hirsch; Smale; Devaney 2007, p. 226.
  28. ^ Strogatz 2015, p. 306.
  29. ^ アリグッド、サウアー、ヨーク 2012a, p. 54.
  30. ^ a b c ベルゲジェ、ポモウ、ビダル 1992, p. 60.
  31. ^ 荒井 2020, p. 166.
  32. ^ 松葉 2011, p. 37.
  33. ^ 松葉 2011, pp. 30, 37.
  34. ^ a b c 井上・秦 1999, p. 73.
  35. ^ ウィギンス 2013, p. 93.
  36. ^ ウィギンス 2013, p. 94.
  37. ^ アリグッド、サウアー、ヨーク 2012b, p. 85.
  38. ^ ベルゲジェ、ポモウ、ビダル 1992, p. 64.
  39. ^ 井上・秦 1999, p. 78.
  40. ^ 千葉 2021, p. 197.
  41. ^ ロビンソン 2001, pp. 277–278.

参照文献

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外部リンク

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